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平成7年5月29日開催された「追悼・感謝・友好-アジア共生の祭典」について

 平成7年5月29日開催された「追悼・感謝・友好-アジア共生の祭典」について

ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地は、日本軍降伏後、4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争で、特別な功労を立てて戦死した11名の残留日本兵が祀られていることをご存知ですか。
1945年8月15日の日本軍降伏後も現地に残留して、インドネシア 独立義勇軍に身を投じた人々は、2000人程度と推定されています。そのうち1000人が戦死しています。この1000人の残留日本兵は、インドネシアの各地にある国営英雄墓地に埋葬されており、その中の数名は独立名誉勲章を授与されています。
また独立50周年となった平成7年8月、生き残られた残留日本兵69名に対し、渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハルト大統領は官邸に招いて、お礼を述べられております。


話しは前後しますが、平成7年5月29日、東京の日本武道館で戦後50年を記念して、日本会議主催の「追悼・感謝・友好-アジア共生の祭典」が開かれました。私もこの企画に神社界から参画しましたので出席しました。ちょうど、独立50周年を迎えたインドネシアからは、スハルト大統領特使として、陸軍大学長、駐日大使などを歴任したサイデマン・スリヨハデイブロジョ外務省上級大使が参列されました。サイデマン大使は、「アジアへの回帰を」と題して約1万人の参列者に対して、次のような挨拶をされました。


皆様、今日、第二次世界大戦が終結致しましてから五十周年を記念する祭典にお招きいただきまして、わが祖国インドネシアを代表してここでご挨拶するのを大変うれしく思っています。
 第二次世界大戦が終わりましてから、今年で五十年が過ぎました。この戦争は多大な悲しみと苦しみとそして大量の死と破壊をもたらしました。しかし、この戦争は何億人という世界の人々に対して新しい輝かしい世界への扉を開くことになりました。それは多くの人々が自由を獲得し、また独立を手にすることができるようになったからです。そしてインドネシアもインドネシア共和国という主権国家を打ち立てることができました。
 これらの植民地となっていた人々の中でも、特に若い人々が大きな犠牲を払い、また独立のために命を捧げました。そして、第二次世界大戦中、あるいはその直後に植民地に住んでいた人々だけではなく、外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
 私の国インドネシアをとりますと、多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。そして多くの日本の若者たちがそのために命を犠牲にしてくれました。そこで、今日の式典におきまして私たちの独立のために命を捧げてくれたこれらの若者たちを偲びたいと思います。
 しかし、私たちは政治的な独立を獲得したものの、旧植民地時代がもたらした、ひどい貧しさやあるいは後進性からすぐに脱却して豊かさと進歩の恩恵に浴することができないできました。西洋諸国による帝国主義と植民地主義の支配に苦しんだ諸国が受けた傷はあまりにも大きなものであって、そんなに短時間ではこの傷をいやすことはできないでおります。
 そこで私たちはこういった国々に対して外から手を差し伸べねばなりません。今や日本は世界で二番目に豊かな国です。私たちは日本の肋けをほしいということをここで訴えたいと思います。これまで日本は開発途上国、あるいは貧しい国々が発展するのに暖かい手を伸ばしてくれました。しかし、日本はもっと大きな力を発揮することができると信じております。
 日本は西洋諸国の一員として認められたいといったような行動をとってきましたけれども、日本は地理的に言ってアジア・アフリカの中の一国であるということを認識しなければならないと思います。勿論、日本がこれまで過去の歴史において西側諸国の一員となろうとして努力をしてきたということは十分理解できることです。
 しかし今日とこれから到来する世界は過去の世界と全く違うものになるでしよう。もし日本がアジア・アフリカの一国であるという精神を取り戻すとすれば日本は全世界の大部分にあたるアジア・アフリカの貧しい人々から尊敬され、そして信頼されることになると思います。私は日本国民がこのような大いなる挑戦に向かって立ち上がってくれるものと確信をしております。


次に日本会議主催の「追悼・感謝・友好-アジア共生の祭典」に参列されました翌日の平成7年5月30日付けのサイデマン・スリヨハデイブロジョ外務省上級大使のご感想文を紹介します。

アジア共生の祭典のご感想を。
 昨日は、日本人というのはアジアなんだなあと思いながら一日暮らしました。駐日大使として赴任していた頃(79~83年)の日本人は西洋人にほめられたい、西洋人の一員になりたい、という態度がありありと感じられてなんともいえない気持ちでした。ところが昨日会った人たちは皆が皆、アジア人であると感じられてとても愉快でした。
 かつて日本は我々に自信と敢闘精神を教えてくれました。日本軍政の最大の功績はベタを創設したことですが、インドネシア語を普及したことも多種多様なインドネシアの団結に偉大な役割を果たしました。
 日本に学べというのは、日露戦争以降今日まで続いているアジアの伝統的な姿勢です。独立運動の指導者、スカルノとハッタが演説のなかで繰り返し言ったことは、1905年の日露戦争における日本の勝利についてでした。これこそ我々が白人に勝てる証明だと。独立を勝ち取った後の我々は植民地にさせられていたことの反省として、科学技術と人材の養成を克服すべき課題として掲げています。その際、学ぶべき日本とは欧米化する日本じゃない。欧米に負けないように科学技術文明を高めつつも、固有の文化を失わなかった日本にこそ我々は学びたいのです。
 各国の大使は日本に赴任すると、皇居にご挨拶に伺います。私は昭和天皇と皇太子殿下(今の天皇陛下)にお会いしたとき、こんなに高い地位の方がなんと謙遜なご姿勢なのだろうと、我々のところまで降りてきて下さって我々を理解しょうとなさるご姿勢に非常な感銘を受けました。各国の大使も皆同じような体験をしています。感動すべき、健全で健やかな日本ここにありと今でもそのときのことは心に深く刻まれています。

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