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野村秋介氏と私

野村秋介氏と私
私をヤクザから見れば同じ玄人の人間かもしれません。事実、今も玄人の人から先生と呼ばれています。もちろんある程度の度胸もすわっております。前歴もあります。ただ詐欺や窃盗・暴力行為といった類の犯罪者ではありません。ミャンマーのスーチーさんと同じ政治犯です。これで命をなくしてもよいと考えていました。大義に生きて大義に死す、此れこそわが道と考えています。私はキリスト教のいう殉教者となってもよいと考えています。

殉教者は国の法律に抵触したのであって、刑法に従って処罰されて当然であると、昔の為政者も国民の多くも考えていました。法の観点から見れば、まさにその通りであります。自ら意識的に国法を犯したのであり、しかも限られたエリート集団ではなく、一般庶民に至るまでこぞって、自ら望んで殉教の道を選び、為政者にとってはまさに脅威の集団と言える存在を作りたいと思っています。

過去の歴史を振り返れば、確かに政治と絡んでいるし、政治的理由で処刑されています。しかし、処刑される側は、政治的理由によるとは考えていないところに問題の複雑さがある、と思います。「神国」日本を侵すものは武力的にも排除すべきであると考えています。

平成5年10月20日。野村秋介氏は朝日新聞東京本社において、社長ら首脳と話し合いの後「天皇(すめらみこと)弥栄」と三度言い残し、拳銃自決されました。野村秋介氏の朝日新聞本社における壮烈な自決より17年が経ちました。よく東京で野村秋介氏と出会うと、冗談で「花谷、東京に来たければ仁義をきれ」と度々言われました。野村秋介氏は昭和10年生まれで、河野一郎邸焼き打ち事件・経団連襲撃事件で獄中生活18年。この野村秋介氏に苦言を呈することができたのは同級生の大野君だけでした。

初めて野村秋介氏と出会ったのは大学生のころでした。それも福井県勝山市の平泉澄先生の自宅でした。野村さんは東京生まれで横浜育ち。神奈川工業高校中退後、愚連隊に入り、若年の頃は、出口辰夫(通称:モロッコの辰。後に暴力団稲川会四天王の一人となった)の舎弟だった、と本人から聞いています。網走刑務所で服役中、五・一五事件の三上卓の門下生と出会ったことを機に民族主義者となり、自らも三上の弟子となったと聞いています。

野村さんは言葉と違い、繊細で大変やさしい人でした。そのエピソードで河野一郎邸焼き討ち事件で千葉刑務所に入獄していた際に、寡黙で朴訥、勤勉な「獄中左翼」の朴判岩(在日韓国人)が無事故、無欠勤で勤勉に働いていたが、それにも関わらず看守に虐待されているのを見かねて、野村秋介が横田秀雄管理部長に朴判岩の勤勉さ、良識ある行動を報告されました。すると1ヶ月もしないうちに、朴判岩に仮釈放面接が下った。朴判岩は野村秋介さんにお礼を言ったが、野村秋介さんは「僕の力ではない。君自身の生きざまというか姿勢が、僕を感動させて、管理部長も感動させたんだ」と、答えたそうです。

私のエピソードで東京の新宿でとタクシーに乗ったときでした。タクシーの運転手に渋谷にいってくれと頼まれたとき、沖縄県から来た運転手が道に迷うと、「必ず右や行け」というのです。野村さんに聞くと「右翼は右に行くのが当たり前」というのが口癖でした。

根本的に私と違う点はただ一点です。朝日新聞社社長室での自決ですが、社長を道ずれにして自決するのはよいのですが、なぜ社長に説教して自分だけが自決、というのは いかがなものでしょうか。私なら社長を道ずれにして自決します。それこそ新右翼の真骨頂です。そのことが理解できません。結局野村さんの考えというのはすごく観念的で理想的すぎるところもあると思います。その行動を見ますと一般人には理解できない、病的にさえ見えるところもあります。 石原慎太郎氏が「宇宙人」と呼んだように、「宇宙人」かもしれません。でも私は彼のロマンが好きです。ロックスターを愛する心理に近いのかもしれないが、彼の人生が多くの人の心を撃ったことも事実です。


 




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コメント 1

marifu4500@gmail.com

野村氏とは思想信条を異にしますが、この方の生きる姿勢には、心打たれるものがあります。朝日の社長を道連れにせず、一人で逝かれたことにも共感します。朝日と差し違える覚悟は当然でしょうが、社長という一個人の命に対して粗末な扱いはできなかったのではないでしょうか。
by marifu4500@gmail.com (2013-07-28 12:06) 

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