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「何事のおわしますかは知らねども」

「何事のおわしますかは知らねども」

 今年1年間、プログを読んで頂き感謝します。過激なことも記述し、過激な宮司さんと思われているかもしれませんね。明日の大晦日は殺人的に大忙しい1日ですので、これが今年最後のブログとなります。来年もプログを書きますのでよろしくお願いします。

今年最後のテーマーは「何事のおわしますかは知らねども」です。古代より日本人は大自然を通して、「見ることができない神」を拝んできました。決して目には見ることはできませんが、神様の存在を肌で感じていたのです。昔、12世紀に、西行法師(さいぎょうほうし)という仏教のお坊さんが、伊勢神宮に参拝して、
 
何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる

と歌いました。そこにどんなことがあり、どなたがおられるのかはわからない。が、ともかく、ありがたさと、恐れかしこむ気持ちで一杯になって、涙がこぼれてしようがないと、歌ったのです。仏教のお坊さんが、神道の神社に来て、このような気持ちになったというのです。それはまさに、「見ることができない神」に対する崇敬の気持ちでした。
 
日本人は昔から、「見ることができない神」を拝んできました。神様を拝んできたものの、その「神」がどういうお方なのか、よくわからないまま拝んできたのです。
 明治時代に、西郷隆盛先生は、「敬天愛人」と言いました。「天を敬い、人を愛すること」こそが、人間の生きる道なのだと。そして、「文明とは仁愛の道が広く行なわれることである」とも。ここでも、「天」という漠然とした言葉になっていますが、「見ることができない神」のことなのです。

このように日本人は古くから、神を尊び、祈る民でした。さらに大義のためには自分の生命を捧げることを厭いませんでした。西郷隆盛先生も、
 
 身は君恩に答えて一死軽し
 
と言いました。天子様のためには、自分の一身を捧げて死ぬのも軽いとしたのです。天子様だけではありません。明治維新という国家の大義のためには、己を捨て、死を賭して、事にあたりました。西郷隆盛は、
 
人を相手にせず、天を相手にせよ
 
とも言いました。彼は「目には見ることができない神」のためには、悠久の大義のために自分の命をかけたのです。明治天皇も、こんな和歌を残されております。
 
目に見えぬ神の心に通うこそ 人の心の誠なりけれ

日本人は古くから、目に見えないな神霊の存在をありありと感じ、崇敬の心をもって神を拝し祈る民でした。神武天皇をはじめ、日本の歴代の天皇は、神を尊び、神を第一とする心を持っていました。
 それは、「古事記」や「日本書紀」を読めば理解できます。「目には見えない神」ではあっても、神を尊び敬う気持ちは、人間にとって非常に大切なものです。神を畏れ、神を愛する心のない所には、真の宗教もありません。
 日本人は、「神」をどうとらえ、どのような心をもって「神」を愛してきたのでしょうか。ここを日本人が再認識しなければ、日本の国家の再生は永遠にできないと思います。

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