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昭和天皇は、この阿南惟幾陸軍大将が大好きでした

昭和天皇は、この阿南惟幾陸軍大将が大好きでした
皇學館大学の1年生の夏休みのとき、千早赤阪の鍛錬会に出席し、平泉澄先生から聞いたお話しをします。講話の中に、終戦間際の御前会議において、昭和天皇は次のように言われたそうです。昭和20年8月9日深夜の第一回御前会議が行われました。ポツダム宣言を受諾しようとする東郷外相案と本土決戦を主張する阿南陸相の意見が対立して、結論が出なかったそうです。

鈴木首相から、意見の対立がある以上、陛下の思し召しをもって会議の決定としたい、との動議がなされ、昭和天皇は初めて意見を述べる機会を得られたのです。昭和天皇が涙を拭いながら語られるお言葉を、全員がすすり泣きながら聞いていたのでした。

 私の任務は祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらい、その人たちに将来再び起ち上がってもらうほかにこの日本を子孫に伝える方法はないと思う。それに、このまま戦争をつづけることは、世界人類にとっても不幸なことである。
私のことはどうなってもかまわない。たえがたいこと、しのびがたいことではあるが、この戦争をやめる決心をした

列席していた陸海軍の閣僚たちは号泣しました。会議が終わった後、部屋を出て行かれる昭和天皇に、阿南陸軍大将は取りすがるようにして慟哭したそうです。陸軍の立場として、「一戦後和平」を考えて、徹底抗戦、本土決戦を主張してきた陸軍大将の男泣きでした。
それと多くの戦死者を出し空襲で甚大な損害まで出してしまい、さらに敗戦まで導いてしまったお詫びの涙でもありました。その時、昭和天皇はお言葉をかけられました。

阿南、阿南、おまえの気持はよくわかっている。しかし、私には国体を守れる自信がある

昭和天皇は、この阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大将が大好きでした。その理由は昭和天皇も阿南陸軍大将も乃木希典陸軍大将に薫陶を受けられた共通点があるからです。

それと別に昭和4年、42歳の時から4年間、阿南は侍従武官として昭和天皇に使えました。 昭和天皇も阿南大将の万人に対して思いやりの深い性格を信頼されていました。昭和13年、阿南大将は第109師団長として中国に出征しますが、この時に昭和天皇は阿南大将をお呼びになりました。二人だけで夕食を取られたのです。

第2回の御前会議が開かれたのは、8月14日午前11時過ぎからであった、といわれています。席上、昭和天皇は

阿南らが反対する気持ちはよく分かるが、自分の身はどうなってもよいから、国民の命を助けたい

と語られました。そしてポツダム宣言受諾の御聖断は下されました。昭和20年8月14日午後11時半すぎ、阿南大将は侍従武官時代に昭和天皇から拝領した純白のワイシャツを身につけ、有名な「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の言葉を残して自決されました。

私は平泉先生などのすばらしい恩師に恵まれ幸せです。平泉澄先生は東條英機陸軍大臣や嶋田繁太郎海軍大臣などに講義をされたお方です。阿南惟幾陸軍大将を阿南さん・東條英機陸軍大臣を東條さんと言うように、「さん」付けで私たちに講和されます。その意味では平泉先生ほど、昭和初期から敗戦までの激動期の陸海軍の中枢の人たちや東久邇宮稔彦王や高松宮さまもご講義をなさっておられますので、昭和史の生き証人でもあります。時々、昭和16年12月8日の開戦日はどのように決定されたのか、よくお話しくださいました。

平泉先生は気魄に満ちた講義や講和は、いつも殺気が感じられるほど恐い講義でした。平泉先生に怒られるかもしれませんが、私は天皇さまには人間を超越した何かがあるとは思っています。人にして神さま、神さまにして人であると思っています。天皇さまにただ人間だけを見る人のほうが、私にとっては不思議に思われてならなりません。私にとって天皇さまは現人神ではなく現御神(あきつみかみ)であらせられると思います。

昭和45年11月25日、三島由紀夫先生と森田必勝先輩が自決されたとき、私は1年間、一人悩み、井上日招の一人必殺の心構えで、左翼系の人物を道ずれにして死のうと思っていました。四六時中、公安警察の監視下にありながら、その隙を狙っていました。三重県の志摩半島で火炎瓶や改造拳銃を製造したりしました。何度かの手入れで検挙もされました。若かったのでしょう、死ぬことは決して恐くはなかったのです。しかしながら大学の指導教官から阿南陸軍大将のように大物になって「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」といって自決できるような大物になれ、といわれて思いとどまることにしました。

よもや還暦を過ぎてまで生き恥をさらすとは思えませんでした。自決し亡くなられて同志を思うと涙が流れます。本日、2001年の同時多発テロの首謀者とされるビンラディン氏を、米国主導の作戦により1日にパキスタンで殺害したと発表さりました。米当局者は、同容疑者はパキスタン北部の街アボタバードで殺害され、米国側が遺体を確保したと語っています。私はあなたの死に方がうらやましく感じられます。イスラム原理国家建設のために殉死されたのですから、後の世まであなたの志を継ぐべき人物が現れます。チエゲバラも同様です。

いまだに阿南陸軍大将にまで私はなれていません。私が自決しても何ら世の中は変わりません。恩師田中卓先生は地域で影響力のある神主になれ、と言われますが、一大事の日本が来ているのにあまりにも無策のアホの民主党が天下を握っている政権では、無名志士となっても構いませんので、「かくすれば、かくなるものとしりながら・・・」という吉田松陰先生の歌にあるように、果てたいと思っています。

こういうブログを記述すると、安心と平和を求めて妥協する男女問わず、友人が次々と私から逃げ出します。昨日も一人、家族の平和と安定のために私から離れて行きました。私と関わりたくない、というのが本音でしょう。彼らを責めるつもりはありません。それも人生です。ただ、そういう連中に限って「勝てば官軍」で全く信用できない連中です。


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川原篤生

感動しました。
日本人は個性を嫌いますね。
周りに同調するほうを選び、悟ったつもりになりたがります。周囲よりちょっと上であることを確認して、まわりを見回しながら死にます。
私は闘って前のめりで死にたいと思っています。
by 川原篤生 (2015-04-29 15:22) 

無名

ビンラディンは違うと思います。
日本軍は決して武器を持たぬ一般人を殺戮することを是としておりませんでした。
武器を持つ者同士の戦いのみが本物の侍の戦いです。
by 無名 (2017-04-08 11:42) 

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