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井上日召について

井上日召について
茨城県東茨城郡大洗町8244に護国寺という寺院があります。その寺院に井上日召の銅像があります。また「昭和維新烈士の墓」もありました。そこに行ったのが10年前のことでした。井上日召の風格と「一人一殺」で世の中を革新する決意がにじみ出て来るようでした。

井上日召(いのうえ にっしょう)は、明治19年(1886)4月12日生から昭和42年(1967)3月4日没されています。井上日召の名前を知ったのは高校時代です。奈良市にある坪井一夫先生へ行ったところ先生はお留守で、今日は井上日召さんの葬式に出かけられた、と言うことでした。そのときに名前を知りました。

井上日召は群馬県に生れ、本名の井上昭の「昭」の字を分解して「日召」と名乗られました。明治43年(1910)早大・東洋協会専門学校中退後、中国に渡り満州浪人となり参謀本部の諜報活動に従事しておられました。その後、大正9年に帰国してから日蓮宗の宗教家、田中智学先生の講演を聴き、日本の国体とは何か、その答えを「立正安国論」から説明されていることに感銘を受けて、井上日召は日蓮宗の僧侶となったのです。

井上日召が僧侶となった時代は、第一次世界大戦が終結し戦後恐慌がおこり国中に失業者があふれ、それに追い討ちをかけて大正12年9月1日に関東大震災が起き、東京を中心の京浜地帯の経済が大打撃を受けていたのです。さらに大正15年(1926)12月25日、大正天皇の崩御により昭和天皇が践祚(せんそ)され、昭和と元号が改められましたが、大正時代の不況を引きずって、経済が回復しないまま昭和を迎えたのでした。

この時代、井上日召が目にしたものは、町中に中小企業の倒産や失業者があふれ、農村もデフレで農作物の価格も下がったために激しい不況に襲われ、東北地方では娘の身売りする悲しい姿でした。同じ日蓮宗でも理論家の北一輝と違い、彼は行動的な人間です。今何をすればよいのかを考えて、すぐに行動に移す明治維新の草莽の志士のような生き方を目指していたと思います。

それは茨城県大洗海岸の立正護国堂(現在の護国寺)にこもり、「一人一殺」による昭和維新を実行する「血盟団」の結成へとつながります。昭和7年(1932)2月から3月にかけて実行されました。

2月9日。小沼正が井上日召の命令により前蔵相・井上準之助を射殺。
3月5日。菱沼五郎が井上日召の命令により三井合名会社理事長・団琢磨を三井本社前で射殺。菱沼五郎は戦後、茨城県議会議員・県議会議長となられました。平成2年没
3月11日。事件を計画した井上日召が自首して事件が終結しました。無期懲役でした。

しかしながら昭和15年(1940)仮出所し、その後、近衛文麿前首相の顧問と言うとして立場で活躍します。戦後は公職追放となり昭和29年(1954)には護国団を結成して講演活動を行っています。坪井一夫先生とは戦前に知り合われたそうですが、護国団を結成する際に協力されてからの付き合いが多かったということでした。政治活動も昭和31年に引退され、一介の僧侶として余生を送り昭和42年、80歳で亡くなられました。

ところで日本赤軍のリーダーの重信房子の父親は血盟団員でありました。赤ん坊の房子は井上日召に膝に抱かれたことがあるといわれています。亡くなられた大東塾の影山先生も井上日召との親交があり、生前に聞いておければよかったと思います。

野田内閣の現状を見れば、世に言う血盟団事件が起きた世相とよく似ており、野田首相も生命をかけて消費税を上げることになれば、生命をかけて反対するものもいるでしょう。東日本大震災で被災された人たちの窮状を考えれば、消費税を上げることに対して義憤に燃える若者が、そろそろ行動を起こす時代だと思います。

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コメント 5

関根孝浩

私は、井上日召の孫に当たります。私の祖母とは大洗で、知り合ったそうです。祖母は、私に父を生むときに、密かに、茨城北部の御前山村山中で、出産したようでした。私の父は、幼少のころ、海軍の三上卓さんから短銃を護身用にと渡されたが、発見したの祖母はその銃を大洗の浜に投げ捨てたそうです。私の父は、昭和6年生まれですが、52年に他界しました。その葬儀の時に東京からいらした、姉にあたる涼子さんと、初めて会いました。輪郭と目がよく似ているなと思いました。日召が死の直前に際して、面会をすることを父は拒んだようでした。私の兄から聞かされた逸話ですが、父は誕生祝に、昭和天皇から5円を頂いたことを、生涯の誇りとしていたとの事でいした。私は、今大連で、ゴルフのレッスンをしています。良いエピソードを知りえました、ありがとうございました。
by 関根孝浩 (2013-03-14 10:48) 

y、y

私は群馬に住む日召のひ孫です。
日召の過去に興味があって調べてました。
まさか孫の方がコメントしてるとは。

by y、y (2013-04-24 23:35) 

s.A

日召の子、上毛新聞記者で詩人の横地正次郎氏でしたら、存じ上げております。もう、50数年以前の記憶です。前橋市街を流れる広瀬川沿いのお宅にお住まいでした。かれの詩は群馬文学全集に収録されています
by s.A (2013-07-05 13:38) 

関根

今年の一般参賀に初めて行ったが右翼と言う人達も普通の人で無いのはわかった。けして横柄では無かったがここからが分かっていない。いいか、右翼がなんで皇居の外側の庭の柵の中を歩くんだよ!エセと思われるぞ!
by 関根 (2014-05-13 22:22) 

zehi

日召の血を引くものであれば、一度」逢いませんか
by zehi (2017-03-16 22:27) 

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