So-net無料ブログ作成
検索選択

坪井一夫先生の思い出

坪井一夫先生の思い出
最近、インターネットの普及でいろいろな人物を検索できます。個人情報ももれる時代となりました。私が高校生のときに坪井一夫先生から聞いた話しを裏付ける史料も検索できます。それはいつの時代かは不明ですが、「一日一善」の現日本財団笹川良一の初代会長とインドネシア大統領のスカルノ氏と対談されている写真を検索することができました。第4婦人のデビィ夫人とスカルノ大統領が同席されている後方に坪井先生がおられました。

私は坪井先生に怒られたことは多いにありますが、タバコの灰皿を投げならたり、杖で殴られたことは、結構見ていましたが、私がやられたことはありませんでした。今では、そのような思い出は懐かしく思います。楯の会の事件の裁判で憤りを感じた私は、公判中に大声を出して暴れたことがありました。今となっては、公判中に裁判を妨害する行為は大罪であると思いますが、「やむにやまれない行為」というのが男の社会にあると思います。

そのことがあって坪井先生は、その裁判官を訴追する行為に出られました。通常、裁判をする裁判官自身を不当であると訴ええられることはありません。前代未聞の行為として、当時のマスコミは騒ぎました。私は坪井先生から学んだことは「けじめ」でした。内田良平先生の弟子で「黒龍会」の一員として戦前は5.15事件・2.26事件など維新の大改革を変革者として活躍された先生ですので、大アジア主義と日本の大改革は理解されていました。私の義憤に燃える行為も理解されたと思います。

坪井先生から聞いた話しですが、昔に酒に酔っ払って桜の一枝を折ってしまったことがあったのです。内田良平先生から一日中、花見をする人をがっかりさせるな、お前は折った桜の一枝を持って立っていろと言われたそうです。坪井先生は2日間、寝ずに立っていたそうです。

皇學館大学の学生時代、楯の会事件後、「一人一殺」で世の中が変革できると信じていたときに、坪井先生は私を吉野山に連れて行き吉野館という旅館に連れて行き、吉野神宮と如意輪寺の前で一日中悟りを開くまで正座をさせました。晩に先生が迎えに来ると、「何か言うことはないか」と問われまして「腹が減りました」と答えたことがありました。先生の奥さんから「酒を飲まさないで」と言われたので、ご馳走だけ食べましたが、先生は飲まれました。

その後、大変でした。眠たいのに一晩中、先生のお話とタバコの臭さとへたな詩吟を吟ずるし、将棋をすると負けそうになると股間に手をいれ、その手で駒を取って王手を言い出し、こちらは股間に手を入れた駒を取るわけに行かず閉口しました。登場する人物は知らない人ばかり、黙っていると怒るし、しゃべると反抗するな、といわれるし閉口しました。

その当時の先生は、東の児玉誉士夫・西の坪井一夫と言われたお人でした。また先代の知り合いと言うことで、息子の私はアルバイトによく一流企業に出向き学生服のままで集金に行かされました。気前よく札束を出してくれますし一体、この人物何の商売をしているのか理解できませんでした。後に分かったことですが、総会屋のもと締め・笹川良一の一番子分・右翼の大物、発明か、政界のフィクサー、聞かされますが、今でもよく分かりません。

先生の息子さん、坪井一宇さんは参議院議員までしていましたが、実のところ私は先生が現在でも何者かは知りません。しかし私に陽明学を教えて頂いたことは間違いありません。学者なのかもしれません。親友の維新政党の魚谷さん聞くと「花谷さんは坪井門下で黒龍会の流れを汲む純正右翼の一人だから一目置かれている」と言われていますが、自分では感じたことがありません。

先生が脳梗塞で倒れられてから、鍼灸師となっていた自分に後遺症の治療を受けられるとは夢にも思わなかったでしょう。言語障害となられた先生の夢が沖縄資源開発大学の設立でした。先生は尖閣諸島に無限の資源があることを知っておられました。そのことから大学の設立を実行に移す寸前に発病されました。

私が好きな坪井一夫先生は右翼の大物・総会屋の大物・政界のフィクサー・隠然として闇社会の大物ではなく「人間的な魅力」です。あるとき先生から地鎮祭を頼まれたことがありました。地鎮祭の用具を持って現場に行くと、建設会社の連中も、設計会社の人もなく、奥さんと二人だけです。先生は「鶴見神社の跡取りが来たからそれでよい。祝詞も必要はない、駒土地を一周してくれたらそれでよい」と言われて一周すると破格な玉串料を頂きました。

あるときなど神社に来られて、商売繁盛の祈願をされました。先生は「お前の祝詞で繁栄するならお前の神社はもっと大きくなっている。直接神さまにお願いする」と言われて過分な玉串料を置いて帰られました。先生の奥さんが病気になられたときに救急車を呼ばれたことがありました。そのときの言葉に「医者の謝礼が少ない病院へ連れてゆけ」というのがありました。

先生は自動車を生涯所有されませんでした。いつもタクシーでした。若いものと乗るときはいつも助手席に乗られていました。事故を想定されていのです。それから私の頭を軽く叩いて「スイカと同じ、まだ実が無く熟していない」とよく言われました。先生のところに行くと「親父に内緒にしておけ」と言って小遣いをくれました。その後がよくありません。親父に内緒の話が先生から筒抜けなのです。女性と遊ぶのは合格・お酒を飲むのも合格・書物を買うのは合格・ばくちは不合格・預金するのも不合格で先代に怒られました。いつも母親に「坪井先生から頂いたお金なので小遣いとしてあげる」といってわたしていたので、集金人としてのアルバイトにされました。



nice!(0)  コメント(3) 

nice! 0

コメント 3

北邨 敬治 

やっとパソコンが半人前出来るかな。試してみる。
覚えているかな、未だ元気だったら久しぶりに、同門食事会でも開催し、内侍原の先生の話でもしょうか。小生は未だ空手道場を頑張って指導していますよ。
by 北邨 敬治  (2017-05-04 21:57) 

花谷幸比古

坪井先生の門下で同門会をやりましょう。時々磯橋さんとは飲むことがあります。
by 花谷幸比古 (2017-05-12 22:23) 

キタムラケイジ

礒橋は私とは会えないでしょう、彼は過去に私に不義をしています。敷居が高いでしょう。
私も他の同門達に連絡を取ります。
場所は奈良の大宮あたりが良いかも。

by キタムラケイジ (2017-05-18 18:22) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。