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「六根清浄の大祓」

「六根清浄の大祓」
神道の祝詞に「六根清浄の大祓」というのがあります。江戸時代のころは吉田神道中心となって盛んに六根清浄(ろっこんしょうじょう)の大祓の祝詞が奏上されました。この祝詞は人間に具わった六根を清らかにすることを目標にしています。

眼根(視覚)
耳根(聴覚)
鼻根(嗅覚)
舌根(味覚)
身根(触覚)
意根(意識)

ところで私は「六根清浄」という言葉は聞きなれています。それというのも花谷家は奈良県吉野郡下北山村前鬼山の役の行者の弟子、前鬼・後鬼の夫婦の子供の子孫と親戚関係にあります。今は前鬼山に五鬼助家の仲本坊しか残っていませんが、近年、修験道がひそかにブームなっており、奥吉野へ行って奥駈(おくがけ)をして仲本坊で宿泊する行者さんが増えています。奥駈をする行者さんは「懺悔、懺悔、六根清浄」という言葉を言いながら山道を歩きます。

そのことから「懺悔、懺悔、六根清浄」を知っているのです。六根は人間の認識の根幹です。それが自我・欲望などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはできません。そのため執着を断ち、魂を清らかな状態にするのが「六根清浄の大祓」です。

そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶ち、「六根清浄の大祓」の修行があります。その目的は、六根は本来神よりいただいた人の特質でありそれらを祓い清めることを祈願する修行です。吉田神道では「六根清浄の大祓」を千度奏上したりします。

天照皇太神の宣はく 
人は則ち天下の神物なり 
須らく掌る静謐心は則神明の本主たり
心神を傷ましむること莫れ 是の故に
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず 
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず 
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず 
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず 
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず 
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず 
此の時に清く潔き偈あり
諸の法は影と像の如し 清く潔ければ
仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず 
皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち
六根清浄なり 
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり 
五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり 
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり 
万物の霊と同体なるが故に 
為す所の願いとして成就せずといふことなし
無上霊宝 神道加持


人間の持つ六つの感覚機能である目・耳・鼻・口・身体・心を清浄にして心を大切にしていくことを説いた古神道の修行です。

 感覚機能が働けば、見たくない物も見えてしまいます。聞きたくない物も聞こえてしまいます。これは社会の中で生活している以上防ぎようのないことです。しかし、嫌なことを見たり聞いたりしても、それをいつまでも心に留めておかず、心を切り替えて嫌なことを流してしまう。これが六根を清浄に保つことなのです。

 人間は感情の動物です。人間関係で腹が立つことがあります。その感情をいつまでも持っておくと、体の調子までも悪くなってきます。これでは自分の体ばかりか、大切な心までも傷つけてしまいます。要するにストレスが溜まって病気になるということです。

 ですから、心にいつまでもストレスを溜めないで、一度素直な気持ちで神仏に活かされている自分に感謝すべきです。すべてに感謝する言葉が出るようになれば、「六根清浄」の六つの感覚機能正常に働き、五臓六腑の機能も正常に働いていきます。神仏に生かされているのは万物すべてがに言えるので、活かされている物を大切にし、感謝するのが神道のご祈祷の極意だと思います。

言い方を変えますと、神仏に活かされているのですから、ゆとりある心をもって、小さなことにはこだわらず、日々明るく生活していくことが、「六根清浄の大祓」の教えだと思います。

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yukiwaa

ブログにこの言葉、載せさせて頂きました。
by yukiwaa (2014-03-14 15:39) 

ナリタケヒコ

突然で申し訳ございませんが、お尋ねしたい事がございます。

私は現在、日常の神拜で奏上する機会のありそうな祝詞を幾篇かまとめているのですが、どうにもこの六根清浄大祓は参照元によって大きな差がございます。

例えば、手持ちの神道大祓全集では「須掌静謐心は則神明との本主たり」と書いて「すべからくしづまることをつかさどるこゝろは、すなはちかみとかみとのもとのあるじたり。」と読んでおります。しかし他方では「すべからくしづめしづまることをつかさどるべし。こゝろはすなはちかみとかみとのもとのあるじたり。」としている例も少なからず存在致します。

表記のブレならば気にしないのですが、これらは根幹に関わりそうな違いに思えますので、正しい読み方があるのか否かお尋ね致します。
by ナリタケヒコ (2014-10-01 01:19) 

有無

流派によって解釈は違うと思いますが、
実際は、汚いもの、苦しいもの、辛いものから、目を背けず、かと言って心は囚われてはいけない。そして、この世には、無駄なものはない。無駄な使い方をしてるだけ、自然に帰して、エネルギー変換を促す。人間成長のやり方が書いてあります
by 有無 (2014-10-28 12:25) 

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