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烈士といわれる男を語り継ぐ

烈士といわれる男を語り継ぐ
ある若い人から、本年も三島由紀夫先生、森田必勝烈士の慰霊祭を行う予定です。来週に、三島森田事務所の方と共に打合せに出かける予定です、というメールを戴きました。さらに「あの日から42年が過ぎようとしていおられますが、宮司さんは、三島先生や森田必勝烈士のことをどのように思われていますか」という内容でした。

この42年間、私は、市ヶ谷駐屯地で檄を飛ばした先生や森田さんに、正直、顔向けできる働きをしていないので恥ずかしくてたまりません。自決された当時のことは、鮮明に覚えています。毎年11月25日が来るたびに、私の頭の中は三島先生と森田必勝氏のことを思い出し、今生きていること自体、恥ずかしく思ってしまいます。

実際に三島先生や森田さんを知っている楯の会の三期の人物が46歳でくも膜下出血亡くなる直前に「先生に、申し訳ない」と言っていた言葉が忘れられません。私は今年で62歳になってしまいました。もし三島先生や森田さんが生きておられたら、現下の日本について、どう考えやどのような行動されるのか、を考えることにしています。

ところで自決された当時、三島先生はノーベル文学賞を頂けるほどの世界的な著名な文学者です。先生の著「音楽」はイタリアでも映画化されたほど人物です。それに反して森田さんは25歳、早稲田大学の学生で楯の会の学生長という立場のリーダーですが、全く世に知られていない無名の人物です。しかし森田さんは実直で純粋な大和男児です。それが三島先生に気に入られたところだと思います。

森田さんは橋下市長とそっくりなところがあり、一本気な人物です。私が考えるのに三島先生は最初に森田さんに自衛隊決起のことを話されたと思います。失敗しても成功しても三島先生は一人で自決される覚悟であったと思います。森田さんは純粋な方なので、三島先生だけを自決させることは出来ないと思われたと考えています。

三島先生には、若い命を奪ってしまったという思いがあり、三島由紀夫個人はどうでもよいが、森田さんの志そのままが忘れられることを危惧されたと思います。今も先生の「森田の精神を 恢弘せよ」という言葉が忘れられません。私には、森田さんの純粋な行為、行動、信条を後世に伝える義務があると思います。歴史的に見て偉大な文学者三島先生は埋没することはないと思いますが、森田さんのことは語り継がなければならないと思います。

楯の会の事件がなければ三島先生はノーベル文学賞を受賞されたと思います。そりより先生はノーベル文学賞も価値のあることを後世の時代に残したかったと思います。私には今後、森田さんの精神がそのまま埋もれてしまうことに対しての危惧はあります。毎年11月25日、恒例となった「憂国忌」「野分祭」「三島由紀夫・森田必勝慰霊祭」等に、自分自身が参加しょうとは思いません。烈士とよばれる人物、森田必勝先輩を埋没させないためにも、「慰霊祭」は必要だと思います。しかし私は、何も出来ないで生きていること自体、恥ずかしく思ってしまいますので参加する資格はありません。

私にも意地があります。日本を変革するのが先決で、変革後に慰霊祭に参加しょうと考えているからです。

私の進んできた道は神職です。また鍼灸師として中国という社会主義の国へ短期留学し日中友好協会の副理事長として活動しましたが、昭和45年11月25日、あの日、市ヶ谷のバルコニーでの決死の言葉を決して忘れていません。

「おまえら、聞けい」 「聞けい」 「静かにせい」 「静かにせい」 「話を聞け」 「静聴せい」 「男一匹が 命を懸けて 諸君に訴えてるんだぞ」 「いいか・・・いいか・・・」 




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コメント 2

kebi

歴史の生き証人として後世に語り継ぐ使命なのではないでしょうか?
by kebi (2012-05-23 22:38) 

白鳥事件

ただクーデターゴッコをやらかしただけじゃん(笑)
by 白鳥事件 (2017-07-10 14:45) 

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