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10月のブログを更新できなかった理由

10月のブログを更新できなかった理由
10月はブログを更新させていません。皆さんから入院されたのか、病気になられたのか、問い合わせが相次ぎました。確かに10月14・15日は当社の秋の大祭があり潔斎しなければなりませんが、しかしブログを更新できない理由ではありません。

実は今年の夏に野分祭(のわけさい)の斎主を依頼されました。野分祭は昭和45年11月25日に自決された三島由紀夫先生、森田必勝さんの慰霊祭のことです。

野分祭は平成29年11月25日、土曜日・正午、三重県四日市市大治田にある森田必勝さんの墓前で執行することになっています。そのことがありブログを更新でないほど、10月初旬より先生や森田さんを犬死させてしまったのか、47年間自分は何をしてきたのか、という問題に直面し悩んでしまったのです。

しかし何はともあれ野分祭を引き受けたのであるから野分祭の祝詞を作成しょうとすると涙が流れて思うように進めないのです。

平成5年11月25日の奈良県天理市の大和神社に執り行われた野分祭(二十三年祭)の斎主のときも同じ状態でした。

「楯の会事件」、若い人たちには知らない出来事でしょう。また遠い過去の事件ですから当然です。しかし私にとっては大きな出来事でした。

昭和45年11月25日、三島由紀夫先生が自ら組織された「楯の会」のメンバー、森田必勝さんを含めて4名で東京都新宿区市ヶ谷にある陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れて東部方面総監を監禁、自衛官を集合させて「日本を守るとは何だ。日本を守るとは天皇中心とした歴史と文化を守ることなのである」といって先生がクーデーターへの決起を促す演説をされました。

しかし自衛官からヤジを浴び相手にされず、演説をやめて先生は総監室にもどり「楯の会」の学生長の森田さんと自決された事件でした。残る三人は逮捕されました。

自決当時、私は20歳、三重県伊勢市の皇學館大学の学生で国防研究会に所属していました。森田さんは25歳、三重県四日市市の出身で2浪されて早稲田大学の教育学部へ入学されていましたが、自決当時は退学されていたと思います。

昭和44年5月に民族派の学生組織、全国学生自治体連絡協議会(通称全国学協)の大会が東京都の九段会館が行われました。私は参加するつもりで上京しました。泊めてもらうところがないので楯の会1期生の阿倍勉さんに連絡をしたところ「俺のところはだめだ、森田のところへ行け」といわれたので新宿の森田さんのところに世話になったのがご縁でした。

伊勢市から来たということもあり、また森田さんは早稲田大学の国防部に所属されていたこともあり、心情的にも共通する点もあって文通することになりました。昭和45年1月、森田さんからの年賀状をもらいましたが、「俺の恋人、誰かと思う。神が作った日本国、今年もよろしく」」と言うものでした。昭和45年9月中旬だと記憶していますが、森田さんから電話で「今、四日市に墓参りに来ている」というのが最後のでした。
 
そんなこともあって昭和45年11月25日の自決は人生最大の衝撃を与え、そのショックでどのような学生生活をすごしたのかはあまり思い出せないのです。同級生に聞くと武闘派の民族派として新左翼系の全学連に殴りこみをかけたり、一人一殺を標榜したりして公安警察にマークされていたと言う事でした。

ただ「楯の会」事件の裁判のことは記憶にあります。昭和46年3月23日、第1回の楯の会事件の公判が東京地裁で行われました。何度か上京し渋谷にあった全国学協の事務所に泊めてもらい、委員長の吉田良二さんから「大丈夫か、過激なことは慎むように」と何度も注意されました。そのことは覚えています。

第10回公判のときに森田さんのお兄さんを初めて見ました。当時は中学校の教師をされていたと思います。第17回公判、昭和47年3月23日、開廷まもなく最終弁論が始まろうとする時に吉村さんともう一人が「裁判長の陽明学は偽者だ」と叫んで退廷されました。
裁判長から「今後、同様の発言したら処罰する」と警告したのですが、私は「裁判長を訴追するぞ」と発言した瞬間、坪井一夫先生の門下が私に続き4名ほど大声で叫び私たちは拘束退廷されました。吉田良二さんの恐れていたことが起こりました。

私は今年で67歳になります。47年間、森田さんのことは忘れたことがありません。亡くなった三浦重周が毎回「憂国忌」の案内を電話や文面で連絡してくるのですが、何もできない自分が恥ずかしいので断ってきました。

ただ平成5年11月25日の23年祭の野分祭と今回も同様、斎主としての依頼なので引き受けさせてもらいました。ここは自決された先生と森田さんへの感情を抑えて祝詞の内容を考えて作成しょうと思っております。前回の野分祭のときは吉田松陰先生の辞世の句を吟じて祝詞が作成できました。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

今回の平成29年11月25日の野分祭に向けての祝詞作成は西郷隆盛先生の「獄中感有り」を吟じて書いています。

朝に恩遇を蒙り夕に焚坑せらる
人生の浮沈 晦明に似たり
縦(たと)い光を回さざるも葵は日に向こう
若し運開くなくとも意は誠を推す
洛陽の知己 皆(みな)鬼と為り
南嶼(なんしょ)の俘囚 独り生を窃(ぬす)む
生死何ぞ疑わん 天の付与なるを
願わくば魂魄を留めて皇城を護らん





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