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63回目の祖霊祭

63回目の祖霊祭
平成27年9月23日秋分の日、午前10時から当社の宮内にある祖霊社において護国の英霊の慰霊祭が執り行われました。今年は敗戦後70年と言うことになりますので、鶴見遺族会の他に鶴見神社総代会・鶴見神社敬神婦人会・鶴見地車保存会が参列の下で執り行われました。

以前のブログにも紹介しましたが、占領期間の6年8ヶ月が終了し昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約施行日、つまり主権恢復の日から祖霊社の建設が開始し、9月に完成し、平成27年11月23日の夜に、第1回目の護国の英霊の命の慰霊祭が執行されました。今年で63回目の慰霊祭となりますが、占領期間中は英霊の慰霊祭が禁じられていました。

護国社とせずに祖霊社として英霊をお祀りするところに先代と当時の遺族の皆さんのこだわりがありました。遺族の悲しみを永遠に忘れないために、村と祖国の復興と繁栄を願いい、平和の礎となられるよう英霊をご祭神としてお祀りし、不戦の誓いと二度と新しい英霊を合祀しない決意から祖霊社としたのです。英霊を護國の神さまではなく、故郷鶴見の神さまとして慰霊することになりました。

もちろん参集所には歴代氏子総代をお祀りする祖霊社がありますし、社務所の中には花谷家のご先祖の祖霊社もあります。当社には三つの祖霊社が存在しています。

古いお話ですが、当社の北側に椿本チエインという会社に進駐軍が駐留したのは昭和20年9月中旬のことでした。村は進駐軍を受け容れなければなりません。婦女子は無事ですむのか、暴行や虐待をされるのか村人は不安でいっぱいでした。先代はそんなことを心配するのはやめとけ、進駐軍の兵隊も日本兵の強さも知っているから、同じように恐がって来ていると思う。「昨日の敵は今日の友」と思って親切に付き合えばよい、と発言したそうです。

祖母も「大東亜戦争は物量で負けた。これを反省して将来の日本人は戦争ではなく頭脳、つまり知識と知恵で経済で技術で戦勝国に勝てばよい。大東亜戦争で息子や兄弟が夫が戦い戦死されたが、米兵が何もしなかったら米兵を殺していたでしょう。その米兵も家族や愛する人もいる。日本兵も米兵も誰も悪いわけではなく、戦争が悪いだけ」と。そして「進駐軍には礼儀と礼節で接して日本人の心意気を示そうと」

そのおかげかもしれませんが、わが村は進駐軍とのトラブルも少なく、米兵相手の女性に対しても偏見を持たずに村人は接していました。私がお尻に腫れ物ができ、村の医師では手術ができないので進駐軍の診療所で入院して手術してもらいました。病気で死にかけたときもペニシリンを進駐軍の診療所で注射してもらいました。私だけではなく数多くの村人も進駐軍の医師に助けてもらいました。

朝鮮動乱で当社の裏の進駐軍も出動が命じられ、当社の北側に位置する阪奈道路には無数の軍用車が並んでいました。出撃する米兵に鶴見の村人は千人針を持たせ見送りました。先代は神社で無事帰国できるようにと祈願祭を執り行いお守りを米兵に授けていました。しかし米兵のほとんどが朝鮮で戦死したようです。それも英霊と同じ若い米兵たちです。

祖霊社は国のために亡くなった方々の遺族の悲しさを永遠に忘れず、平和を希求することを誓う。これだけでいいと思います。変な理屈は不要です。その英霊に敬意を表し、感謝の気持ちを素直に表現したらよいと思います。


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共産党の答弁に感謝します。

共産党の答弁に感謝します。
先週の日曜日、大阪の中心街、難波神社で維新政党・新風の勉強会「戦後70年を検証する」に参加しました。参加する同志たちも65歳以上になってしまいました。45年前には新左翼系の学生と対峙した民族派の学生も今や年金を頂く老人です。関西の維新政党・新風の労幹部のほとんどが自決された三島由紀夫先生や森田必勝さんとは顔見知りです。

維新政党・新風を結党させた仲間は一貫して戦後体制の脱却と自主独立・自主防衛・自主憲法の永世中立の日本を目指しています。議会制民主主義と二院制は維持しますが、二院の明確な差違がなければ両院相互の統制機能は働かないという認識の下、参議院改革を進めたいと思っています。

衆議院の議員定数を現在の2/3程度に削減した上で、民意を正しく反映させるため、選挙制度を中選挙区制・比例代表制に改めるべきである、主張しています。財務省などの中央官僚やアメリカ主導の政治から、内閣主導の政治を確立したいと考えています。

維新政党・新風は独裁政治を目指す右翼政党と勘違いされていますが、議院内閣制の維持が望ましいと考えていますが、首相公選制は導入すべきでない、と思っています。

地方においては行政の効率化のため市町村合併を進め、地方自治体の数を現在の1/10程度に抑え、道州制を主張しています。

自由主義経済体制の下で国家による規制を最小限に留め小さな政府を構築して、グローバリズムに対抗し、国民経済の防衛に努める。消費税などの間接税を主体とする税制に移行し、相続税・贈与税・住民税などの地方税を含むすべての税金は廃止します。
国家的生存・安全保障の観点から第一次産業の発展と食料自給率の上昇に努めることをスローガンとしています。

ところで本国会で問題にすべきことは、「安保法案」もそうですが、防衛省の秘密とされた「内部資料」が外部に流出した点です。どのような経過で共産党の手に入っていたのかを問題にすべではないのか。このことを追求しないと米軍との「安保法案」も集団的自衛権行使とかいっても無駄になります。
 
貴重な情報を渡す馬鹿が防衛省の中にいるのですから。中谷防衛大臣に言いたい、機密文書や内部資料をこっそり外部の敵に持ち出すスパイが潜んでいるので内部調査を徹底的にしなれば他国に筒抜けだと言うことです。国費でスパイを雇っていることの重大性を認識してほしい。
 
さらに言わせてもらうと内部資料が簡単に外に盗りだせる防衛省では、国民の生命と財産は守れないということです。私はこれを機会に「スパイ防止法」を早々に法制化しないと国民の安全は守れないと思います。これも共産党の答弁のお陰です。感謝します。


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雨水利用について

雨水利用について
今回の関東・東北豪雨では避難者が4500人を超え、死者7名、不明者15人。広範囲にわたる浸水被害や、停電、断水などライフライン復旧のめどは立っていない状況のようです。徹夜のライフライン復旧と、行方不明者の捜索や救助、また決壊した堤防の復旧工事が進みますよう祈念いたします。

当社も明治18年(1885)、6月中旬から7月初旬にかけて、発達した低気圧が相次いで大阪を襲い枚方の三矢、伊加賀で堤防が決壊したのを最初に、淀川は洪水によって堤防が次々と決壊し、わが村もほとんどの家は浸水しました。洪水により当時の大阪市内では大阪城から天王寺間の一部上町台地を除くほとんどの低地部が水害を受け、被災人口は約27万人と言われています。

当時、当社の社殿は享保年間に建てられたもので、社殿の一部を除き浸水しました。当社は社殿の高さは一般住宅の3階に相当する高さでしたが、それでも豪雨に容赦なく浸水させました。その教訓から昭和40年、鉄筋コンクリート造の2階建ての社務所、昭和45年には鉄筋コンクリートの3階建ての社殿が建設されました。拝殿の高さは3階建ての住まいに相当し、内陣の高さは4階に相当します。当時、働き盛りの先代は明治18年の洪水を想定して建設したのです。ところが何分に階段が多いために老齢の先代夫婦には負担となり、宮司職を私に譲り、近くのマンションに引っ越してしまいました。

その後、大阪では大洪水を教訓に明治29年(1896)河川法が制定され、淀川の洪水対策が本格化し「淀川改良工事」が行われました。改良前の淀川は、川幅が狭く蛇行しておりました。現在の桜で有名な大川が旧淀川です。旧淀川は低平地である大阪の街の中心部を流れていたため、いったん洪水が起こるとその被害は甚大でした。

そこで、街の中心部から離れた北側に新しい放水路を開削し、川幅を大きく拡げて、大雨の時に大量の水を直線的に素早く海に流せるようにして、「新淀川」を建造したのです。守口から大阪湾までの約16kmの「新淀川」の誕生により、大阪の街の中心部は洪水の被害が起こりにくくなりました。

素人の私が考える豪雨対策ですが、雨水を溜め込む雨水貯留施設を大阪府下では公園の地下や学校の運動場の地下に作られています。巨大な雨水貯留施設を造る事も良いのですが、境内の広い神社仏閣の地下にも雨水貯留施設を造るのも良いのではないでしょうか。その雨水を境内の樹木に利用したり、境内の清掃のためや散布に使用するのも良いと思うのですが。自治体によっては、雨水を下水道に接続することが禁止されていると思います。

雨水タンクには雨水流入口にフィルター等を設け、直接貯留槽内にゴミが入らない工夫をしていればフィルターの掃除を定期的に行う程度で日常の管理は充分です。庭木の水やり、打ち水、洗車、地震や火事などの災害時には、トイレの洗浄水や初期消火用水として利用できます。

社殿や社務所の屋根や屋上などに降った雨を雨樋から貯留槽に集めます。ネットで雨水タンクの値段を見て安いので驚きました。今後、当社でも雨水利用を考えて行こうと思っています。


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国慶節を前にして

国慶節を前にして
中華人民共和国の国慶節は日本で言うと米国の独立記念日のようなものです。その国慶節は毎年10月1日に執り行われます。この国慶節の前後は中国では1週間ほどの休暇が取れます。この時期、北京駅では混雑ぶりは新宿駅以上です。

駐大阪総領事館から9月25日、国慶節のパーティの招待状が届きました。もちろん出席いたします。本国よりも早く執り行われるのは、領事館の領事の皆さんも本国に帰国するからです。

ところで今年の9月3日、北京市内で執り行われた「中国人民抗日戦争及び世界反ファシスト戦争抗日勝利70周年記念式典」と閲兵式(軍事パレード)について、意外にも上海人の友人や北京の友人たちは冷めた感覚を持っています。軍事パレードの前後はテレビを見れば音楽番組など娯楽番組の放送中止されて毎日、抗日戦争時代のドラマばかりだったそうです。友人は日本人及び日本に対する軍事パレードではなく、中国の国内に向けての軍事パレードであるという点を強調している、と言うことを洩らしています。

この点については、習近平国家主席の演説で理解できます。人民解放軍の30万人の兵員の削減は、軍の近代化を実現するだけではなく、江沢民派を一掃するための手段です。人民解放軍は人民を守る軍隊と言うよりも、中国共産党の独裁体制を維持し守るための軍隊です。このことは中国人民は知っています。

習近平は人民解放軍の実権を掌握したことを誇示しなければなりません。これが軍事パレードを行った最大の要因です。江沢民は終始緊張した姿が印象的でした。
 
私の友人たちに聞きました。人民解放軍が海外で活動し、また尖閣諸島で日中の軍事衝突になれば、君たち中国人はどうする?「中国人は一人っ子政策を推し進めた結果、一人息子が戦死することになれば、戦争に反対するどころか、暴動が起きる」と言う答えでした。それより友人たちは「中国は軍隊を持っていていいのに、どうして軍隊を日本では持っちゃいけないの」「どうして安保法案に反対してるの」と質問してきました。

私は今回の軍事パレード以後、中国国内での権力闘争が激化し予想もしない事件や政変がと起きるだろうと思っています。胡錦濤や江沢民がパレードに参列していたことは、いまだに権力基盤があり、影響力を誇示する機会を淡々と狙っていると思います。天津市の開発区で8月12日午後11時半(日本時間13日午前0時半)ごろ、大規模な化学工場の倉庫の爆発が起きました。

中国新聞社から引用します。「天津浜海新区の宗国英共産党委員会書記は8月18日の記者会見で、今回の事故については黄興国天津市党委代理書記・市長が総指揮を務める」と説明しました。黄興国天津市党委代理書記・市長も副市長の王宏江、副市長の何樹山も習近平国家主席派に属しています。

天津市の倉庫爆発事故は偶然かもしれませんが、何か権力争いに思えてなりません。というのもそれから8月22・23・24日に山東省博市、河南省鄭州市と江蘇省蘇州市の化学工場が連続して爆発しています。偶然とは思えません。それも軍事パレードの前に起きています。

昔から中国では大規模な災害・事故の場合、死者数は少なく発表されるのが特徴です。死傷者は発表されて数字よりはるかに多いと思います。

 






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中華人民共和国と戦争はしていません。

中華人民共和国と戦争はしていません。
平成27年2月3日、台湾国防部の羅紹和報道官は記者会見で、中国が今年9月3日の抗日戦争勝利70周年記念の軍事パレードを計画していることについて質問され、「日中戦争は中華民国軍が主力だった。歴史的事実は改変、抹消が許されない」と語っています。

平成27年3月10日、米ラジオ局ボイス・オブ・アメリカ中国語版サイトは記事「台湾が強調、第2次世界大戦で勝利した“中国”とは“中華民国”だ」を掲載しています。

事実、日本は国民党の軍隊と戦っていますが、共産党の軍とは戦っていません。その当時の中国共産党にはゲリラ組織の民兵組織しかなく、兵隊とは言えないものでした。ゲリラ戦や後方支援は出来ても、組織だって日本軍と戦ったことはありません。

その証拠に中国共産党は国民党との戦いに勝ち1949年10月1日に、天安門の楼上で毛沢東主席が中華人民共和国の建国を宣言しました。それが国慶節、日本の建国記念日と同じです。それまでは国家として認められていない、と言うことです。1945年9月2日に日本は敗戦となりました。このことを見ましても1949年に建国された中華人民共和国と日本は中華人民共和国とは戦争していないのです。

私の敗戦日は日本政府及び連合国代表が降伏文書に調印した日が1945年9月2日であり、この日を「敗戦日」と考えています。

ところで中華民国は1912年1月1日に、革命家の孫文先生を臨時大統領として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立しました。1919年10月10日に孫文先生が中華革命党を改組して中国国民党を結党したのです。

日中戦争は、1937年(昭和12年、民国紀元26年)から1945年まで、大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争です。従いまして日本軍は建国されていない中華人民共和国の軍隊とは戦っていないのです。国民党から見れば抗日戦争を戦ったのは我々であり、中国共産党は国民党の「勝利」を横取りしたに過ぎない、と言うことになります。

1937年12月の南京事件についても台湾の国民党党史館に眠っている極秘文書をみれば、国民党のデマを作り上げてプロパガンダしていることが理解できると思います。何度も言いますが南京で戦ったのは国民党の軍隊です。中国共産党の民兵ではありません。

南京市に南京大虐殺紀念館がありますが、中国共産党が作った愛国主義教育基地の抗日記念館の代表格です。国民党が戦ったのにいつの間にか中国の民兵にすり替えられ、ありもしない南京大虐殺だのとデマを作り上げてプロパガンダしているのです。それ故に南京市及び中国政府には南京事件に関する史料はありません。史料は台湾の国民党党史館にだけあるのです。

内戦後、毛沢東主席は一度も南京事件を語ったことはありません。また毛沢東主席は日本社会党の佐々木更三氏と対談したときに、佐々木更三氏が「中国に多大な損害を与えて申し訳ありません」と謝罪しました。

それに対し毛沢東主席は「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。これのおかげで中国人民は権力を奪取できた。日本軍なしでは不可能だった」と発言しています。毛沢東主席は日中国交正常化の際に田中角栄首相との対談で「中国共産党は日本に感謝を申し上げる。もし、その戦争がなければ、中国共産党が天下を取ることはできなかった」とも話しています。

明日の9月3日、北京市で「抗日戦争勝利70年」の式典と軍事パレードがあります。本来の正式な台湾の国民党が執り行わなけれた式典「抗日戦争勝利70年」は、今年の7月4日に行われました。

ところで国民党が台湾に移った後、ソ連が「中国を代表する国家として台湾の亡命政府中華民国が加盟している」ことを問題視しました。そのことから1971年の国連総会で取り上げ、国連での代表権が中華人民共和国へ移ることに決定したのです。
 
もう一度言いますが中華人民共和国とは日本は戦ってもいません。戦ってもない中華人民共和国は「戦勝国」となって常任理事国入りしました。1972年、米国も中華人民共和国を承認しました。かたや面子を傷つけられた中華民国は国連から脱退しました。このように国連とは矛盾だらけの戦勝国国際連合なのです。


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