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知られていない高木惣吉海軍少将について

知られていない高木惣吉海軍少将について
若い頃に西田幾多郎先生の『善の研究』を読んで西田哲学を理解しようと努力したことがありました。西田哲学は難しいですね。そのことから鎌倉に出張したときにそのついでに西田幾多郎先生のお墓にお参りさせてもらいました。JR横須賀線、北鎌倉駅から徒歩5分のところに臨済宗円覚寺派の松岡山東慶寺があります。東慶寺は弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創したお寺で縁切り寺、女人救済の寺で有名です。その境内の一角に西田幾多郎先生のお墓があります。

偶然にも西田幾多郎先生のお墓のすぐそばに海軍少将・高木惣吉のお墓があったのに驚きました。大東亜戦争を見つめなおすのに海軍少将・高木惣吉の存在はなくてはならない人物です。ついでにお参りできたのが幸運でした。なぜ私が海軍少将・高木惣吉に惹かれてしまうのか、と言えば同じ8月9日に誕生しているからです。明治26年(1893)8月9日に海軍少将高木惣吉は生を受けられ、私は昭和25年8月9日に生まれました。それだけのことなのですが私はどうしても海軍少将高木惣吉に魅力を感じてしょうがないのです。

8月9日生まれの有名人を探しているうちに、偶然に高木惣吉海軍少将が見つかり、その功績を調べてみると偉大な足跡がありました。高木惣吉海軍少将は昭和54年(1979)7月27日に亡くなられるのですが、86年間の生涯の内、彼が活躍したのは昭和16年から昭和20年までの僅か4年余りのことなのです。歴史的にみれば首相だった東條英機の暗殺計画を立案したことで有名です。また連合国との戦争を早期に終結させて和平に努力された功績は偉大です。

ウィキペディアから高木惣吉海軍少将の略歴を紹介します。

熊本県人吉市出身。高等小学校卒業後、通信教育の独学三年と夜間の東京物理学校一年の学歴であったが、旧制中学教育課程検定に合格して受験資格を取得し、海軍兵学校(43期)に入校した。第一次世界大戦では第一特務艦隊に属し出征したが、海軍兵学校在校中から健康体ではなく海上勤務が少ない。本人は洋上勤務を希望しており、洋上勤務の辞令も出たことがあったがその度に持病が悪化し辞退せざるを得なかった。フランスから帰国後は陸上勤務に終始し、海軍省勤務時代には部外に豊富な人脈を構築した。この人脈内には高木が海軍省官房調査課長時代に南方占領地の統治を実施するに当たり、軍政関係で活躍した人物も存在した。

高木惣吉海軍少将は熊本県人吉の出身で、貧しい生活の中で、海軍兵学校、海軍大学校を首席で卒業し、フランス駐在を命じられ、そこで2年間赴任されます。病弱であったために、海上勤務より陸上勤務が長く、主に軍政方面で活躍された軍人です。帰国後、高木惣吉海軍少将海軍少将は軍令部に出仕、海軍大臣秘書官を経て海軍大学校の教官となります。昭和16年に、大東亜戦争が始まると、高木惣吉海軍少将は米内光政海軍大臣や、連合艦隊司令長官山本五十六、井上成美第四艦隊司令官等実力派の海軍士官の部下として日米戦争回避に活躍されました。

海軍省官房調査課長時代には、一般人も含めた研究会を多数立ち上げて部外の幅広い人脈を持たれました。まさに「当代随一」の知識人たちを集めて、軍事だけではなく文化・政治・外交・経済等々、幅広い分野にわたり勉強されました。

高木惣吉海軍少将は、昭和19年3月に海軍省教育局長となられました。そして米内光政海軍大臣、井上成美次官の命を受けて終戦工作に従事したです。そのときの史料は、細川護貞の「細川日記」や高木惣吉海軍少将の「高木海軍少将覚え書」などにも記述されています。高木惣吉海軍少将の持論は「竹槍では勝てない。大和魂では勝てない。飛行機がいる」でした。そのために東條英機を実力をもって排除するしかないと考えるに至りました。高松宮さまとともに、東條英機暗殺計画を練ったのも史実として存在します。

計画では、東條英機が外出した際に数台の車で進路を塞ぎ、海軍部内から持ち出した機関銃で射殺するというものでした。しかしサイパン陥落し責任を厳しく追及されて、東條が自ら辞職するに至ったことから、実現しなかったのです。

それ以後、高木惣吉海軍少将は重臣たちを説得し最後の一兵になるまで戦うべきと戦争続行を主張する海軍・陸軍の将官たちを説き伏せた功績があります。終戦工作に奔走したのです。昭和20年8月15日、ポツダム宣言を受諾してから以後、東久邇内閣の副書記官長に抜擢され戦後処理に奔走します。数百万人という海軍兵士を、無事に日本に引き上げさせ、陸海軍の将兵を武装解除させ武力衝突もなくに連合軍を進駐をさせた功績は大きいと思います。

戦後は執筆活動に専念され、高木惣吉海軍少将から見た大東亜戦争が記されベストセラーにもなったこととがあります。

「海軍少将・高木惣吉」(光人社)の記載から紹介します。昭和58年の早春、鎌倉の東慶寺に皇太子(今上陛下)殿下夫妻と浩宮さまが東慶寺を訪ねた際浩宮様がお立ち寄りになられました。それは高木惣吉海軍少将が昭和54年に85歳で死去されて4年後のことでした。

 ご案内の住職が境内の一角に並ぶ哲学者達の墓の傍らを通り過ぎた時、「ここに高木という海軍軍人の墓もございます」と何気なく申し上げた。

皇太子殿下は一瞬ハッとされて、「高木海軍少将ですか」と念を押された。そのあと妃殿下、浩宮とささやかれ、高木少将の墓前に佇まれ黙礼された。終戦工作に奔走した高木少将のことは宮中でもご存知だったのである。

自らの命をかけて日本を救った高木惣吉少将。埋没しまった大東亜戦争史のなかで平和を好んだ将官たちが大勢いる中で、とりわけ輝いていたのが高木惣吉少将です。もっと多くの人、特に若い世代の人にこの人物のことを知ってもらいたいと思っています。



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声を出さない祝詞について

声を出さない祝詞について
伊勢の神宮の20年に一度のご遷宮の際に、これから新しい御殿に天照大御神さまがお移りになるときに大宮司が奏上する祝詞は声を出さないことになっています。もちろんご奉仕する神職にも祝詞の声は聞こえません。天照大御神さまと大宮司との間に通じればよい言葉なので声を出さなくてもよいのです。

私も経験があります。皇學館大学の学生の頃に当社の御殿や参集所が竣工し遷座祭が夜に執り行われました。新しい御殿へ移っていただくときに先代の宮司は無声の祝詞を奏上していました。遷座祭に参加している神職にも聞こえていません。祝詞は白紙ではなくきちんと文章が書かれていました。このように声を出してはならない祝詞が神代の時代にはあったのです。

平成23年12月1日に当社の英霊をお祀りする祖霊社と九鬼稲荷社、住吉神社の遷座祭を執り行いました。そのときに無声の祝詞を奏上しました。ご奉仕していただいた神職にも聞こえません。神さまと宮司の暗黙の了承があってできるのが言葉を出さない祝詞です。
午後8時頃に何度も習礼(しゅうらい、重要な儀式の前に練習をすること)しました。そのときに理解したのですが、遷座祭という暗闇の中で奏上する祝詞なので、祝詞の文章が読めないので自然と無声の祝詞になります。しかし何度も仮宮で習礼しますと不思議なことに神さまとの距離が近くなってくることが分かりました。それが神さまと宮司の暗黙の了承ができるのです。

もう一つ遷座祭の前に手水の儀があります。水で手と口を清める儀式なのですが、手水で清める際には、「祓へ立つるここも高天の原なれば祓ひ捨つるも荒磯の浪」という詞を無声で唱える作法が花谷家には伝承されています。また遷座祭の祝詞を広げて無声で奏上するときにも、3度唱え言葉があります。それは祝詞の神さまである興台産霊神(コトドムスビノ神)を唱えることが伝承されています。これも白川神道の祭式の一つだと思います。

現在、祝詞を奏上する場合、着座して「ニ拝→祝詞奏上→二拝二拍手一拝」という作法が定着しています。当社の古い史料を読みますと、「ニ拝二拍手→祝詞奏上→二拍手→二拝」という時代もありました。先代が京都の下賀茂神社に奉職していた昭和19年代の祭式作法には「再拝→祝詞奏上→再拝」と記されています。これは拍手がない作法です。先代の遷座祭の時には「再拝→無声の祝詞奏上→再拝」という作法でした。私も同様にしましたが、玉串奉奠(たまぐしほうてん)の時には二拝二拍手一拝の作法で行いました。

「再拝→祝詞奏上→再拝」の作法は現在の宮中祭祀と同じです。拍手が打たれるのは、鎮魂際において掌典長以下が八平手を四段打つぐらいです。しかも、この神事においても祝詞奏上は「再拝→祝詞奏上→再拝」という作法で行われるため、祝詞奏上時に拍手は伴わないのです。一般神社の祭祀には拍手という作法は当たり前のことです。出雲大社のように四拍手もありますが、現在の宮中祭祀では、拍手ほとんど行われていません。

また神職が必ず手にする笏(しゃく)も掌典(皇居内にある宮中三殿で祭祀を行う神職)
は使用しません。陛下の御親祭における御告文も、起拝の両段再拝(再拝を二回重ねる、四度拝ともいう)で柏手が打たれることはありません。

昔から日本では、神さまや尊い人には、二度おじぎをすること2回行う四度拝、「両段再拝」という作法がありました。拍手については、古くから我が国独自の拝礼作法として、神さまや貴人を敬い拝むときに用いられました。

平安時代になりますと大陸との交流に盛んになり、その影響で宮中では拍手がない二拝や「両段再拝」をするようになったことが文献に見えます。しかし、一般では神さまを拝む際には変わらず拍手が用いられてきました。

その後、この両段再拝の作法も白川流や吉田流なと各流派によって違いましたが、明治8年に編まれた「神仕祭式」に「再拝拍手」という形が制定され、これを基本に「二拝二拍手一拝」という参拝作法が慣例化しました。神社によっては、今日でも一社の故実により異なった作法をおこなっているところもあります。例えば伊勢の神宮の神職がおこなう八度拝や出雲大社の四拍手などを例として挙げることができます。

下記の画像は平成23年12月1日の祖霊社並びに九鬼稲荷社の遷座祭のときに高感度カメラで写したものです。
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「対米従属」から「対米独立」

「対米従属」から「対米独立」
日本は国際法上は独立国です。 そして外交権もあります。独立国として承認されているから国連に加盟しています。外国に大使館や領事館を置くことができます。独立国として後進国に対して経済援助もできます。
ところで主権国家として独立国の立場を堅持するには、自分の国は自分で護るという条件があります。現在日本国を守る防衛力は、日本は独自で展開することはできません。我が国だけで日本国及び国民の生命と財産を守れないのです。私は我が国の存在はアメリカの自治州レベルではないかと認識しています。

日米両国は「同盟関係」にあるというのは不正確な言い方だと思います。誰が何を言おうが、日本はアメリカの従属国、ポチです。日米関係は対等で平等な関係ではなく、「宗主国」と「従属国」の関係です。簡単に言えば我が国は米国の「保護国」なのです。

その証拠に日本はサンフランシスコ講和条約によって、昭和27年に独立し主権回復した、と言いますが国内に合計131箇所の米軍基地があります。米軍基地を抱えているのは、沖縄だけではありません。悔しいのですが、この米軍基地が、日本の領土領領空全部を防衛しているのです。

その理由を説明します。
昭和16年12月8日から昭和20年8月15日まで日本は米国と激しく戦いました。しかし戦後一転して蜜月状態になりました。日米安全保障条約のおかげで防衛は米国が担っために、戦後復興を行うには大きなメリットがありました。東京オリンピック開催することもでき我が国は目覚ましい経済発展を遂げました。

しかし、その反面我が国は連合国の制裁目的の日本国憲法第9条によって軍隊を持てず、国防を米国に依存する奇妙な「半独立保護国家」となってしまいました。

戦後70年を考えれば、日本の国家戦略は敗戦国として「対米従属」しか生きる道はなかったと思います。安倍首相のおじい様の岸信介先生は、皇學館大学の総長として私たち学生に語るときに「何時の日か、対米従属から対米独立の日本にさせないと日本は滅ぶ」というのが持論でした。

孫の安倍首相が成立させた集団的自衛権が対米自立を果すための戦術的迂回であると思います。最終目標は「対米自立」であることに間違いありません。

私は戦後70年も経て米国の軍隊が国内に駐留していること自体、恥ずかしく思っています。正常な神経を持っている国民なら皆そう感じるはすです。怒りを感じませんか。切り口を変えましょう、我が国が米国に対して「自国の領土」を「在日米軍基地」の敷地として「タダ」で貸しています。地主に対して支払われている「地代」は「国民の血税」で賄われています。そして我が国は駐留米軍に対して「国民の血税」を「用心棒代」として「上納」しています。また基地内に日本の公権力が及ばない「治外法権」も与えています。ヤクザよりひどい用心棒代です。

こんな米国に我が国の安全保障、軍事、外交、経済など握られているのです。仮に尖閣諸島が有事になった場合、米軍は99%出動しないと思います。米国は本格的な紛争や戦争は避けたいのです。用心棒代を支払っているのにと思われますが、他国のために米兵の血を流したくないのです。実際紛争が起きれば分かると思います。
私は自分のことは自分でする独立国家でなければ、一人前ではないと考えています。「対米従属」から「対米独立」になることについて私たち国民も真剣に考えて行動する時ではないかと思います。このように考えることが、良い国を作る基となると思います。


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兼務社と当社の祝詞の文言の違い

兼務社と当社の祝詞の文言の違い
神社本庁では、「斎戒に関する規定」として大祭、中祭は当日および前日、小祭は当日斎戒するものと定めています。斎戒中は、「潔斎して身体を清め、衣服を改め、居室を別にし、飲食を慎み、思念、言語、動作を正しくし、汚穢、不浄に触れてはならない」とされています。

明日は「秋の大祭」ですので、斎戒のために一週間前から禁酒を続けています。もちろん氏子地域であってもお通夜やお葬式には代理を立てますが、今回は忌み事はありませんでした。ところで神職の服装は、祭祀の種類や着用する神職の身分に応じて、種類があります。まず神社における祭祀は、大祭・中祭・小祭の三種類に分けることができます。

今回は大祭ですので正服を着用しなければなりません。この正服の装束にも、祭祀の種類や着用する神職の身分に応じて、種類があります。正服には、3種類の色があり階級によって着る色が定められています。

・黒(特級・1級)
・赤(2級上・2級)
・緑(3級・4級)  

私は2級上ですので「赤袍(ほう)」を着ています。袴(はかま)も同じように定められています。

・白地に白八藤紋(特級)
・紫地に白八藤紋(1級)
・紫地に薄紫八藤紋(2級上)
・紫(2級)
・浅葱(あさぎ・3級・4級)

秋祭は大祭ですの本殿開扉し神饌を供してから祝詞奏上します。毎年のことですが同様の大祭式を2回します。兼務しています同じ鶴見区の大宮神社は10月18日午前9時に斎行し、終わり次第、大急ぎで当社に帰り、2度目の大祭式を午前11時に斎行しなければなりません。休む暇もありません。

どのような祭祀でも最初は修祓(しゅばつ) の儀で始まります。修祓の儀は拝殿に入る前に神饌(神さまのお供えの品々)、舞姫及び氏子総代・参列者のお祓いをする儀式なのですが、兼務社と当社の奏上する祓詞が違うのです。何時の頃からは不明です。先代からはここの大宮神社の祓詞は古い禊祓詞でご先祖から伝えられたものと教えられました。当社も独自の禊祓詞を修祓の儀に奏上しています。兼務社も当社も禊祓詞には共通点があります。共に古い白川流の禊祓詞を奏上しているのです。

また中祭や大祭の祝詞も兼務社と当社では内容が違っています。祝詞とは、祭典に奉仕する神職が神さまに奏上する言葉であり、その内容は神饌・幣帛を供えて、御神徳に対する称辞(たたえごと)を奏し、新たな恩頼(みたまのふゆ)を祈願すると言うのが一般的な形と言えます。

しかし祝詞の内容が違う大きな要因は兼務社は河内の国に鎮座し、当社は摂津の国に鎮座された
ことによります。さらにはご祭神も違うの要因となっています。

我が国は古くから、「言霊の幸う国」とも称されるように、言霊に対する信仰が見られます。言葉には霊力が宿り、口に出して述べることにより、この霊力が発揮されると考えられています。しかしながら祝福の言葉にもご祭神の違いや地域性が反映されているのも当たり前のことだと思います。神さまに恵みを感謝する気持ちは変わりません。お経と違って、祝詞は神職が神さまに奉る文言なので、その地の氏子さんたちの感謝の気持ちや思いを神職の手を通して神さまに奏上するのですから独特の内容があって当然です。

このように大祭の祝詞には各社独特のものがあります。しかし言霊に対する信仰が根底にあることには変わらず、各自神職は一句一句に流麗で荘重な言い回しを用いて、決して間違えることがないよう慎重に奏上するように心がけていると思います。





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「気色」について

「気色」について
鍼灸医学には「望診」という診察法があります。視覚で判断する独特の診察法です。現代医学の言う「視診」とは全くと別物です。40年前に鍼灸医学を学ぶために中国に短期留学していた頃、「望診」を上海中医学院の渓先生に徹底的に教え込まれした。

渓先生は先代との長い交流があり、来日された際には大阪のホテルで徹夜で先代と鍼灸医学の技術論で議論していました。そのことから先代は「息子を留学するので指導を宜しくお願いします」と頼んだのです。そういう経緯で「望診」を教えてもらいました。

ブログを読まれている皆さん、「あの人、気色悪いなあ!」と言う言葉を使われると思います。鍼灸医学の「望診」で大切なことは「気色」(きしょく)を観察することなのです。鍼灸医学では生命力のことを「神」あるいは「神気」と言います。

「神気」という概念は、現代医学にはありません。「神気」をもっと簡単に説明しますと、久しぶりに会う友人に「元気そうやなあ!」と言う言葉を使います。鍼灸医学では、見るからに「生き生き」としている人に対して「神気がある」、見るからにどんよりと元気のないものを「神気がない」と表現します。

「神気」がある場合「得神」、「神気」がない場合「失神」と言います。それは、顔の色つや、言語や体全体の姿や態度に現れてくるのです。人間には白人・黒人・黄色人種・シベリヤの少数民族は青い顔、アラビアの人たちは赤ら顔です。人類の顔色にはいろいろな色の種類があるのです。

「気色」で、その顔色の「鮮やかさ」、「生命力に満ちた色」を判断するのです。要するに生命力に満ち溢れた「生き生き」とした色艶を見抜くことが大切です。「気色」を感じ取る技術が「望診」なのです。鍼灸医学では「望診」は「望神」と言うことも言えます。

健康な人ではこの「神」・「神気」が生き生きとしており、全身から「元気」がみなぎっています。病が重くなれば、逆に「神気」はみなぎっていません。先代もそうですが、亡くなる直前、急に急に顔色もよく、目つきもしっかりとしており、しゃべる言葉にも「生命力」がありましたが、数日後急変し亡くなりました。

これは線香花火の火が消える寸前にパッと明るくなるような現象です。医学用語ではありませんが「残灯復明」と言います。鶴見の言葉で言えば「死に花を咲かす」と言います。

鍼灸医学では「仮神(かしん・げしん)」、つまり仮に生命力や元気があるかのように見えることを言います。

ところで平成27年9月24日に胆管がんの為、死去された川島なお美さんの報道をテレビで見ました。「失楽園」を演じられたときの生命力あふれた姿や顔色をみますと、「神気」がありました。亡くなられる数ヶ月前のなお美さんの姿は体重が30キロ台で顔つきはやせて表情筋には肉付きと言うものが感じられませんでした。さらに顔全体として、とても小さく見え、生命力が無い顔をしておられ、「気色」は沈んでおり純白で、何とも言えないすすけた色でした。

予後不良の「神気」のない「気色」でしたが最期まで舞台に立つ「女優魂」を感じました。

人間の生の瞬間も、死の瞬間も、一つの極点であると思います。人間という哺乳動物の人生の最終地点は、死で迎えます。川島なお美さんは55歳で他界されました。死ぬ寸前、人は過去を振り返り、命懸けで追求してきたものが、あの世へは持っていけないことに気づくと言います。地位も名誉も肩書もお金も持って行けません。

そこで人生でもっとも大切なものは何だったのかを考えるそうです。それは精神の豊かさであることに気づきます。川島なお美さんのブログ「川島なお美オフィシャルブログを読ませてもらいますと、ご主人のことを「旦那はん」と呼び、残された大切な時間を二人で過ごされていました。

また川島なお美さんは愛犬家でご自身もダックスフンドを飼っておられました。知り合いのダックスフンドが亡くなったときに、そのワンちゃんに対して手紙を書かれました。

愛して 愛して 癒されて

人生で本当に大切なのは、物質的豊かさではなく、精神的豊かさなのです。そのことは死ぬ寸前に気が付きます。愛は人生で最も大切なことなのです。







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秋祭と新米

秋祭と新米
大阪市内では秋祭の話題が届いています。10月10日、当社の鳥居前に鶴見区内の「だんじり」6台が集合し6町パレードがありました。実質的な秋祭は10月17日・18日です。18日の午前中には、今年に収穫されましたお米をお供えし、豊作を感謝する秋祭が斎行されます。私が幼い頃には田んぼが有り、1年間の食事と神さまのお供えのお米は自分のところで調達できました。押し寄せる都市化により、鶴見区内では僅かな水田しか残っていません。氏子総代のお方が手塩に掛けた水田から秋祭と新嘗祭のお祭りには有り難く神さまに供えができます。

今年9月11日には天皇陛下御自ら皇居内の水田でお稲刈りをなされました。収穫された稲は10月17日の伊勢の神宮における神嘗祭に際して、根付きのまま懸税として奉られます。さらには11月23日の宮中神嘉殿での新嘗祭にもお供えされます。
 
10月初旬の農林水産省の発表によれば、水稲の作柄概況はほぼ平年並みとなったそうです。今年は収穫前に、関東・東北周辺に豪雨がありました。収穫直前の田んぼの水没被害は農業を営む人たちにとって悔やんでも悔やみきれずの心境になります。今でこそ当社の氏子地域はイオンが来たりして都会になりましたが、かっては見渡す限り田んぼとレンコン畑でした。何度も収穫前の台風や豪雨で田んぼが水没した光景を見ました。そのたびに悔し涙の農家の人たちを見ました。

農業にしても漁業は自然を相手にする仕事です。こうしたことを克服し努力したことがあるからこそ豊作をあるいは豊漁を神さまに報告する秋祭は盛大になります。昨今はTPPなどで、生産調整や輸入拡大への懸念されますが、先ず農家の後継者不足を解決し、世界で一番おいしくて安全な米作りが課題となります。輸入米は価格は安いかもしれませんが、高くても安全でおいしいお米を国民の多くは求めています。私は神さまに米国産のお米をお供えすることはありません。

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秋の大祭について

秋の大祭について
当社の秋祭は10月17・18日です。18日午前11時に大祭が執り行われます。大祭のために御帳台(みちょうだい)の帳(とばり)を新調しました。御本殿(ごほんでん)には、御扉(みとびら)がついており、大祭の式の中で開け閉めを致します。御扉を開けますと奥には何があるのですか、といえば先ず御幌(みとばり・今でいえばカーテンのこと)か御簾(みす)があります。今回、御幌も新調しました。御幌を上に上げまして結び付けますと御帳台があります。その「御神体」があります。御帳台の中に神さまの依り代(よりしろ)、御神体があります。

よく氏子さんから「鶴見神社の御神体は何なのでしょうか」という質問をされるときがあります。「御神体」は、宮司でも見てはならないものです。宮司の私でも分かりません。伊勢の神宮の八咫鏡(やたのかがみ)や熱田神宮の草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣とも)は故実として御神体が何なのか分かっている場合もあります。

奈良県桜井市の大和国一之宮、三輪明神さん、大神神社(おおみわじんじゃ)は御神体が「剣」や「鏡」ではなく、御社殿の奥の山の三輪山が御神体です。

ところで当社では秋の「大祭」は神職3名でご奉仕しますが、御扉の「開閉扉」の際には雅楽(ががく)の演奏がありますので楽人3名と巫女1名でご奉仕いたします。ただ心配なのは私の右膝関節の痛めていますので正座が出来るのか、という問題です。正座の訓練を毎日しています。なぜ正座をしなければならないのか、大祭の式次第を使用し説明します。

・修祓ー一般のお祓いのこと。
・宮司一拝
・宮司、御扉を開きて祗候の座に着く。祗候(しこう)とは、慎んでご祭神のそばで控える 
 ことを言います。祗候の座には胡床(こしょう。折りたたみ式の椅子のこと) を使用しな
 いのでご祭神のそばで正座を致します。
・禰宜以下祭員、神饌を供す。 三管合奏
・宮司祝詞奏上
・舞の奉奏
 浦安の舞が奉納されます。
・玉串拝礼
 宮司を始め、神社代表役員などの関係団体の代表の方々が順次玉串を奉り拝礼。
・宮司、御扉を閉めて本座に着く
・禰宜以下祭員、神饌を撤す。三管合奏
・宮司一拝

宮司の私は御扉を開いて閉めるまで祗候の座で正座をしなければなりません。時間にしますと30分程度なのですが、右膝関節を痛めていますので、耐えられるのかが心配です。

御扉の開扉、閉扉の際に、祭員が「警蹕(けいひつ)」といって「オーーーー」という掛け声がかかります。椅子に座っている氏子総代・崇敬者は立って、その間、角度60度のお辞儀を致します。そうしますと何が起きているのかは見ることは出来ません。御本殿の扉は、開け閉めするときに「ギーーーーーー」という音が聞こえますので「ああ神さまの扉が開けられたなあ」と感じられます。音が鳴るように造られているのですが、秋晴れが長く続きますと、乾燥して鳴らないことがあります。秋の大祭は必ず晴れますので、ここ数年間は「ギーーーー」という音がなりません。この御扉は秋の大祭のときにしか開かれません。


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新幹線車内で焼身自殺した老人から学ぶ年金制度。

新幹線車内で焼身自殺した老人から学ぶ年金制度。
平成27年6月30日、神奈川県内を走行中の新幹線の車内で、男がガソリンをかぶって焼身自殺を遂げた事件がありました。女性1人が死亡し、28人が重軽傷を負う大惨事となりました。た。容疑者は71歳の男性でした。容疑者の男性は東京都杉並区に住み、犯行に至った原因は年金の受給額についての不満でした。

容疑者は、鉄工所勤めなど職を転々とし、月額12万円前後の年金収入を得ていました。私も今年から年金を貰っていますが、結構な額の年金だと思います。容疑者の場合、独居老人で木造2階建ての古いアパートの家賃が月4万円と報道されていました。

容疑者には家賃以外に水道光熱費、介護保険料や健康保険料、住民税やなどの支払いもありました。おそらく月6万円ぐらいで、どうやって生活すればよいのか不安で仕方なかったのでしょう。年金の掛け金を35年もかけたのにこれはひどいと年金の受給額への不平不満が要因でした。

最近、「老後破産」という言葉をよく耳にしますが、要するに年金だけでは生活できない貧しい高齢者が増えているということです。例えば国民年金だけを40年間納付しても毎月の支給額は6万6千円弱で、夫婦二人で約13万円2000円になります。夫婦が健康でいる間は何とかなりますが、二人のうちどちらかが亡くなりますと、6万6千円で月4万円の家賃では、とても生活は出来なくなります。国民年金の遺族基礎年金は18才到達年度未満の子(高校生以下)のいる夫妻でなければ受け取れません。

前述の容疑者と同じ独居老人で、国民年金と厚生年金の両方に加入されていても月12万円程度の受給でもギリギリの生活を強いられている人も少なくありません。今の高齢者は、支払った年金保険料よりも多い金額を得ている、いわゆる「年金の納め得世代」なのにと思うのですが、貧困にあえぐ高齢者の実態を厚労省は把握しているのでしょうか。

今年の厚労省の調査では、高齢者の生活保護受給者数が年々増加し、今年8月時点では約76万世帯が生活保護を受けていると発表がありました。高齢者の生活保護受給者が増えている要因としては、高齢者の生活を支えるとされている年金の支給金額に問題があります。

自営業者などが加入している「国民年金」の支給額は満額で約6万6000円です。この設定は、2世帯同居や3世帯同居が当たり前だった時代の高齢者の生活を想定しています。老夫婦二人だけの家賃などの支払いなどは考えていなかったのです。老夫婦二人だけの世帯での毎日の生活費を賄うことは予想していなかったのです。

大阪市の生活保護費は11万8700円です。夫や妻を亡くした独居老人の場合、満額の約6万6000円では生活はできません。預貯金などなければ、11万8700円の生活保護費を頂いた方がよいのに決まっています。

さらに生活保護によって補助が受けられるのは、月々の生活費だけではありません。例えば、高齢者にとって心配な医療費は、住居地の地域にある福祉事務所に相談すれば「医療券」と言うものが発行されます。この医療券を持って国や市町村が指定している病院に行けば、医療費は免除されます。また、介護費用も扶助対象となっておりますので「要介護」「要支援」認定を受けている生活保護者は介護サービスも受けることもできます。

生活保護を受給している世帯で亡くなった方が出た場合は、葬祭扶助が適用されます。死亡確認のための費用や火葬・納骨にかかる費用などを金銭で支給されることになっています。

ところで私は20年間ほど民生委員をしていましたので、現役時代は一生懸命働き、まじめに年金保険料を納めてきた独居老人が生活苦を強いられる現状を目の当たりに見てきました。また生活保護を受けられるのにも関わらず、「恥ずかしいから」と言って高齢者が貧困にあえぐ姿を何度も見てきました。また高収入の子供がいるのに、父母が生活保護を受けていることに疑問を持ちました。子供に対して両親の扶養義務化を憲法で強化を図ることも必要なことだと思いました。

生活保護を受けられる低収入なのに受けていない高齢者が1000万人いると言われています。マイナンバー制度で自治体が「世帯収入把握」ができるようになれば、高齢者の生活保護者は今の3~5倍に必ず増える事になります。

私のように団塊の世代の人口は多く、年金を納めて80歳以上の人たちの年金を支えました。このように現在の年金制度は、年金を納めている人たちのお金で高齢者の受給者に払っています。この仕組みだと、団塊の世代のように年金を納める人が多ければ問題はありません。少子高齢化の時代では年金を納める人は減り、受給する団塊の世代のお年寄りが増えれば、貰える額がどんどん減ることになります。

私たちの団塊の世代は年金は少額でも貰えますが、私たちの子供の時代では、老後になったときに年金を期待することがほとんどできません。そうなると、定年退職までに、老後の生活のための資金を自分で貯めておく必要があります。これが解決策となるとは思えません。

なぜならば老後のためにお金を預金するので、国中にお金が出回りにくくなります。買い控えで不景気になります。それに消費税を10%に引き上げれば、日本の経済は破綻します。
そのためも年金制度を改善するのか、いっそう年金制度を廃止するか、どちらかを選択する必要があると思います。早期に解決しないととんでもないことになります。


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