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分散化した七五三

分散化した七五三
私が神職になりました昭和48年当時、11月15日のこの日だけが七五三でした。現在では11月15日に限らず前後の都合のよい日に行われ、ひどいのは8月ごろに電話で七五三の予約をされるお方もおられます。北海道東北地方などでは気候の加減で1カ月早い10月を中心に行われています。

当社を含めて大阪府下の神社では秋の大祭が終了しないと七五三の準備ができません。当社では10月の第3土日が秋祭ですので、それが終わりますと七五三の受付が可能になりす。

全国の神社の宮司に聞きますと、ここ数年の傾向として日付の分散化が著しいということを言われます。極端な例ではいはゆる関西地方の旧盆、8月15日から新年正月までの間、七五三の御祈祷の予約が入ることがあるとのことでした。

それと同時に付き添いの人数が増え、両親と双方の祖父母のみでなく、伯父叔母、七五三を受けられる子供の従兄弟など多くの人々が七五三の神事に参列していることが多く、そのマナーの悪さにあきれてしまう、と言うことも聞かれました。このことは少子化による影響もあります。子供たちなら我慢ができるが付き添いのマナーの悪さにはあきれてしまうとのことでした。マナーの悪さは神前でのビデオやスマホによる撮影が一番だそうです。

七五三の参拝は、普段住んでいるところの氏神様に子どもが健康に育つよう祈ってもらうのが基本だと思います。ただ、小さな子どもにとっては、着物やスーツなど普段着なれないものを着て参拝するのですから、疲れてしまうのが当然です。近くの写真館では着物のレンタルと着付け、記念写真がセットにしてセールスしています。約1時間半ほどの時間がかかります。着付けと記念写真が終了しますと歩いて5分間ほどで当社に来られます。

男子の場合、折角着付けされた袴や女子の晴れ着の帯がゆるくなったりしますと、最近の両親や祖父母が着付けができません。特に男子の袴は結婚式以外に着装することがありません。仕方ないので神職が着付けをしなおします。その間の時間を含めて子供さん想像以上に疲れてしまいます。

それ以外にも慣れない草履で写真館から当社まで歩いて来られるので草履が痛くてぐずってしまう子供さんも多いのです。そのことから七五三といえば着物、というイメージがあるかもしれませんが、当社も含めて各地の神社では別に着物にこだわっていません。私の個人的な考えですが、写真館で5月から9月までに七五三の記念写真を撮ってもらい、七五三詣りは11月にしてドレスやスーツなどの洋装で祈願に来られたほうが写真館の費用も安上がりでしかも子供さんたちの疲労度も違います。

今は分散型の七五三が定着していますが、やはり10月下旬から11月中で行うことが多いようです。混雑を避けるあまりに12月に遅らせて参拝する方もおられるが、12月に入ってから祈祷を受けようとすると、神社側で用意している千歳飴などのお土産が品切れになっていることが現状です。また当社では「稲蓬莱」を配布に氏子地域を回っていますので、祈祷できないことが多くなります。各地の神社も同様で正月の準備に忙殺されますので、12月以降に祈祷をしてもらいたいなら、あらかじめ神社に予約を入れて、可能かどうか確認しておくことです。



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朝日新聞が火種となった

朝日新聞が火種となった
昨日の11月23日午前、東京千代田区の靖国神社のトイレが爆発音とともに焼け、警視庁は靖国神社を狙った事件の疑いもあるとみて、捜査を進めています。警視庁はゲリラ事件の可能性が高いとみて捜査を始めました。

靖国神社も同じですが、国内の大半の神社は新嘗祭の前後か執行中です。七五三参りのお方も大勢参拝されていると思います。けが人が無く安心しました。

ところでなぜ靖国神社がゲリラに標的にされなければならないのか、と言う問題を提起します。今年に入って「安倍晋三首相には、もう靖国神社を参拝しないでほしい」米国政府が日本政府に対して要請したことを米紙によって報じられました。

皆さんはご存知でしょうが、靖国神社は東京都千代田区にある神社です。一宗教法人に対して安倍首相に対して「お参りしないでほしい」と米国政府が要請するなど不思議な話です。知識のある人ならば「内政干渉にもほどがある」と思うかもしれません。平成25年12月26日、安倍首相の靖国神社の参拝は、中国韓国はおろか、同盟国の米国からも批判を浴びました。政治家の一宗教法人の靖国参拝問題は政治・外交における最大の火種となっています。

安倍首相の靖国神社参拝は平成18年の小泉首相以来7年ぶりの現職の参拝となりました。さらに平成13年から平成18年までの在任期間中、小泉首相は6度にわたり靖国神社を参拝した際には沈黙を貫いていた米国までもが、平成25年12月26日の参拝には、安倍首相に対して「失望」の意を表明しました。

ところで毎年の恒例となりました終戦記念日の8月15日には必ず靖国神社は必ずニュースで問題になります。政府の閣僚が、靖国神社へ出向き参拝しますと中国や韓国からの批判が報道されます。

なぜここまで靖国神社の閣僚の参拝を巡って批判され外交問題まで発展したのかを検証しますと、マスゴミの朝日新聞の加藤千洋記者が昭和60年8月7日に記載した中国『日本的愛国心を問題視』という記事が発端です。この年の8月15日に予定されていた中曽根康弘首相の参拝について繰り返し批判の記事を加藤千洋記者は書いたのでした。そして同年8月27日、当時の社会党の田辺誠書記長らが訪中して中国共産党の幹部に注進したのが外交問題に発展するきっかけとなりました。

靖国神社問題の発端は、朝日新聞の加藤千洋記者の記事から始まったのです。その証拠を記載します。
 
福田赳夫首相時代
昭和52年4月21日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和53年4月21日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和53年8月15日、 靖国神社参拝・中韓外交問題ならず 
昭和53年10月17日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
              「元A級戦犯合祀される」
昭和53年10月18日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず

大平正芳首相時代
昭和54年4月21日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
            「元A級戦犯合祀」されたことが判明
昭和54年10月18日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和55年4月21日、 靖国神社参拝・中韓外交問題ならず

中曽根康弘首相時代
昭和58年4月21日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず 
昭和58年8月15日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和58年10月18日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和59年1月5日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和59年4月21日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和59年8月15日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和59年10月18日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和60年4月22日、靖国神社参拝・中韓外交問題ならず
昭和60年8月7日、「朝日新聞の加藤千洋記者の記事で首相の靖国神社参拝批判」
昭和60年15日、「靖国神社参拝を中国の新華社が批判」

橋本竜太郎首相時代
平成8年7月26日、靖国神社参拝・中韓抗議で外交問題となる

小泉純一郎首相時代
平成13年8月13日、中韓抗議で外交問題となる
平成14年3月、「靖国神社に大韓民国大使館付武官 柳海軍大佐、除陸軍大佐が参拝」
平成14年4月21日、靖国神社参拝・中韓外交問題となる
平成15年1月14日、靖国神社参拝・中韓外交問題となる
平成15年1月15日、「浄土真宗本願寺派総長武野以徳参拝に抗議文を出す」
平成16年1月1日、靖国神社参拝・中韓外交問題となる 
平成17年10月17日、靖国神社参拝・中韓外交問題となる
平成18年8月15日、靖国神社参拝・中韓外交問題となる

このように朝日新聞の誤った記事が外交問題となったことは、平成3年8月11日、同年12月25日の植村隆記者の従軍慰安婦の記事、それ以前の昭和46年の南京大虐殺の朝日グラフの記載、本多勝一の記事など国益に反する間違った記事であると思います。南京大虐殺・従軍慰安婦問題・靖国神社問題すべての日本外交に大きなマイナスとなっていますので、朝日新聞社社長の国会喚問をすべきだと思います。

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忙しくなる

忙しくなる
普通ならば今日から連休です。しかし神社では七五三のお参りが続き忙しくしております。11月23日は午前7時より新嘗祭が斎行されます。この新嘗祭は全国の神社でも御奉仕されています。神社本庁では大祭に位置付けられており、年間の中でも最も重要な神事とされています。

伊勢の神宮では新嘗祭の1か月ほど前の10月15日には「神嘗祭(かんなめさい)」が行われます。新嘗祭と神嘗祭を簡単に説明します。

神嘗祭ーその年に出来た新穀(米)を神さまにお供えする。
新嘗祭ーその年に出来た新穀(米)を神さまと一緒に自らも食する。

当社では神嘗祭は執り行いませんが、その代わりに秋の大祭、秋祭が10月の第3土日に執行されます。秋祭には新米をお供えしますが、新米は新嘗祭が執り行ってから頂くことになります。それまで家族全員は新米を食べることは決してありません。

新嘗祭には5台の三方に神饌をのせて神さまにお供えいたします。御神前には今年収穫された稲穂がお供えしますが、当社では「稲蓬莱」の稲を「荒稲」(あらしね)としてお供えします。「荒稲」とは、鎌で刈り取って束ねた稲穂の事で、「和稲」(にごしね)とは、精米(白米)の事です。「荒稲」と「和稲」を三方にのせてお供えし、更には「白酒」をお供えします。

「白酒」とは神田から収穫した米で醸造した白色の原酒の事で「濁酒」ともいいます。本来なら「黒酒」をもお供えすべきなのですが「清酒」で代用しています。「黒酒」とは、その白色の「原酒」に薬灰を加えて灰色に着色した酒の事です。

新嘗祭専用の御神酒「白酒」は、当日、七五三や宮参りに来られた参拝者のみなさまにお飲み戴きます。

新嘗祭が終了しますと、収穫された「荒稲」に飾り物をつけて「稲蓬莱」として12月から氏子地域に宮司自ら授与して回ります。12月中には250軒の会社や各家庭を回り配布しますので、体重や血糖値が下がります。12月中は十分に運動が足りていますのでぐっすりと睡眠ができます。ですが年が明けますとお正月のご祈祷や参拝者の応対でばたばたと忙しくなり血圧が上がります。

またお正月が過ぎますと、鍼灸師としての業務も始まります。そんな私はさながら回遊業のマグロのように思えてきます。

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報道されない真実

報道されない真実
今回、報道されない真実を記載します。9月から10月にかけての、習近平主席は米国と英国を訪問をしました。米国では大型旅客機300機購入したと報道にありました。国民の多くは中国はお金持ちの国だと思いました。しかしその詳細内容は、旅客機300機は中国本土に工場を建てて製造してくれと言うのが真実なのです。

中国は英国では原子炉建設援助7兆円出資するらしいのですが、英国の原子炉も安全の保障は無いという条件です。

今年10月18日、米政府が東南アジア諸国に米艦艇派遣の方針を伝えたと報じられました。10月27日、米国は、あえて艦隊行動をとらず、イージス駆逐艦「ラッセン」1隻を、中国が領海と称する、スービ礁の12カイリ以内で航行させました。

報道ではスービ礁は、滑走路が建設中だが小規模なものであり、中国にとり南沙諸島の岩礁の中でも比較的価値の低い岩礁である。イージス駆逐艦「ラッセン」1隻で12カイリ内も航行させている。中国側を過度に刺激することなく、エスカレーションを回避するために慎重に選択された行動と言えるとありました。

報道にはされていませんが、援護のために米国の攻撃型原潜が南シナ海に展開し、フィリピン東方の太平洋上には艦隊主力が展開し、グアムではステルス爆撃機が待機しておりました。

産経新聞のニュースから記載します。
インドネシアの高速鉄道計画をめぐっては、日本は3年前から受注を前提に地質調査などを行い、インドネシア政府と協議を重ねながら着実に地歩を固めてきた。ところが、中国は今年3月に突如、参入を表明。激しい受注合戦を繰り広げる日中両国の板挟みとなったインドネシア政府は9月4日、高速鉄道をあきらめて双方の提案を受け入れず、安価な「中速度」鉄道を建設する方針を明らかにした。

菅官房長官は会見で「インドネシア政府の財政負担や債務保証を伴わずに事業を実施できるという中国の新たな提案は、わが国としては全く考えられない提案だ。常識では考えられず、現実的にうまくいくかどうかは極めて厳しいと思う」とコメントをしました。

日本の新幹線技術は世界最高の技術と安全性があるのはインドネシア政府も承知しているのです。要するに日本人とインドネシア人の生命の価値が違うのです。大事故になって死亡者が続出した場合、一人の命の賠償金や補償金が要ります。日本人は高額なのに対してインドネシア人は低額ですむということです。簡単に言えばインドネシア人の命の値段が安いということです。

その理由で安全対策や定刻どおりの運転時間よりも安価な高速鉄道を選んだのです。インドネシアに住むと分かることですが、鉄道であろうがバスであろうが遅れるのが当たり前の国です。
私は経済力が低下した中国が鉄道の用地買収や日本と同じ火山や地震も多い国なので、工事が順調に進むと思えないので、おそらく2年ほどで工事は白紙に戻ると思っています。

次に沖縄県の基地移転問題ですが、移設先の名護市は移設に反対していますが、辺野古区民は移設容認が多数を占めています。辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前は県内外の移設反対派が連日の抗議行動を繰り広げていますが、現地の人に聞きますと、辺野古区民と米軍は伝統的に友好関係を築いてきたので辺野古区民が反対運動している、というのは聞かないそうです。

次は報道されても詳しく説明されない財務省の発表です。平成27年5月3日財務省は国民に昨年末で国の借金1053兆円=1人830万円、過去最大と発表し報道させていますが、この発表は間違いです。国ではなく「政府の借金」が1053兆円もあります。「国民1人の借金が830万円」ではなく「国民1人の債権が830万円」ということです。

その借金の明細は、国が発行している国債ですが881兆円にのぼり、銀行借り入れが55兆円、政府短期証券が117兆円です。政府短期証券とは国庫の一時的な資金不足を補うために発行する短期の国債で60日から90日満期となっています。正直言って政府短期証券は為替介入以外には使い道のないお金です。それも3年前の民主党の野田政権以来、一度も使われたことがありません。

使われないお金、短期証券が急増している理由が面白いです。為替介入のために買った米国債から金利収入が発生しているのです。金利収入が発生すると同じ金額の短期証券を発行しなければならないという規則があるからです。

この規則があるかぎり、借りる必要が無い金を借りて、3ヵ月後に返済する行為を永遠に続ける必要があるのです。お金持ちしかできないことを政府はしているのです。

借金の代表の国債は881兆円にのぼり、まさに国の借金のほとんどを占めています。しかし96%は国内の銀行などが円建てで購入しているものです。そしてそれらの金融機関が購入に使用している金は、国民からの預金です。

簡単に言えば私たち国民は、銀行などの金融機関を通して、国に金を「貸している」ことになります。ギリシャのように外国からお金を借りているという印象を財務省は世論誘導をしているのです。

しかも国債の881兆円を日本銀行が買い取っています。昨年まで200兆円を超えています。数年で日銀が国債の半分を保有することになります。紙幣を造っている日銀(財務省)が政府の負債、国債を買っているのです。

国民の本当の負債は、海外からお金を借りている「対外負債」です。その額は、およそ400兆円に達します。しかし日本は同時に、外国に700兆円の「対外資産」を持っています。海外に貸し付けている金額が700兆円で、借りている金額が400兆円、差し引き300兆円の純資産を持っている国なのです。対外純資産では世界有数の金持ちなのです。

しかしながら財務省の発表は国の借金が1053兆円もあるということを強調しています。それは消費税を10%に増税して官僚の利権と権力を強めるために嘘をついているしか思えません。国民の皆さんは借金で国は大変だから、少子高齢化で大変だから消費税を上げようという世論誘導に注意すべきです。










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「禊」や「祓い」の意義

「禊」や「祓い」の意義
神道は、世界的に見ても稀なほど、清浄を重んじる宗教だといわれています。その背景には、人はもともと神の分霊(ワケミタマ)であり、それ故、日常生活も心と身体を「清く明るく正しい」状態しなければならないという思想が古代日本人にあり、それが現在まで引き継がれているのだと思います。

簡単に言えば人間の本性は基本的に善であるとする性善説が根幹にあるのが神道なのです。
自分の犯した罪や穢れは体に付いた「汚れ」や「垢」と同じであり、それを水で洗い流せば本来のあるべき姿に戻ると考えていたのです。古代の人間は失敗や罪があっても水で禊すれば再生できると思っていたのです。今でも「顔を洗って出直して来い」という言葉も禊から出た言葉です。

今日、神社に参拝するときも、まず手を洗い、口をすすぎます。また、神職は神聖な滝や川や海辺で禊を行い、精進潔斎することがあります。禊は赤ちゃんが生まれたときの産湯と同じだと思います。この世に赤ちゃんは神の分霊として罪も穢れもないままに誕生します。人間本来の姿が赤ちゃんと同じ「清く明るく正しい」状態であり、それが神さまへの祈りのための前提条件なのです。

ところで全国各神社では祭典の前に必ず「修祓」(しゅばつ)を行い、「祓詞」(はらえことば)を奏上して祭典奉仕者・参列者すべてをお清めしお祓い致します。「祓詞」は「古事記」に書かれているように伊邪那岐命が禊みそぎを行った神話に基づく祝詞です。黄泉国((よみのくに、死後の世界)から戻ってきた伊邪那岐命がその身に纏まとった穢や罪を祓うために阿波岐原で禊を行い、様々な神様を生みました。
 
「祓詞」はこの神様等を祓戸大神(はらえどのおおかみ)等たちとし、この祓戸大神に災い、罪、穢を祓清めて下さいと浄化を禊の代わりに「言霊」の威力でお願いしている祝詞です。

修祓は神前に出る前のお清めです。本来は社殿の外にしめ縄を四角に囲んで張り、祓戸(はらえど)と呼ばれる修祓専用の場所を設けて、修祓を行うのが本筋です。当社では 祭典の便宜上、社殿内の中心線を外した場所に祓戸を設けて修祓を行っていますが、 社殿の外に祓戸を設けているのはかなり規模の大きな神社に限られています。

大祭において「祓詞」を奏上した後、大麻(おおぬさ)と塩湯(えんとう)でお祓いをいます。大麻は祓え串(はらえぐし)と榊などの常緑樹の枝を用います。塩湯は塩水を榊の小枝の先につけ、左右左と祓って罪穢れを流し去ります。塩湯によるお祓いは、黄泉国から戻った伊邪那岐命が海水で禊祓をおこなったことから由来します。

私が兼務している大宮神社の秋の大祭には湯立神楽があり、巫女が釜で湯を煮えたぎらせ中に塩を入れて、その湯を竹の笹葉を浸して参詣者にふりかける儀式があります。本来ならば海水を沸かして行う行事です。これも禊と同じ身を清めるための儀式です。

しかし、何が何でも自分の犯した罪や穢れは体に付いた「汚れ」や「垢」と同じであるから水で洗い流せばよいと安易に考えてもらいたくはありません。先ず自己反省を促し、神の慈愛と包容力に身を委ねながら、身にこびりついている穢れを贖い、魂の洗濯だということを自覚してもらわなければなりません。自己反省し「清く明るく正しい」状態にしてもらうことが「禊」や「祓い」の意義だと思います。






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「憂国忌」について

「憂国忌」について
今年も「憂国忌」(ゆうこくき)の季節になりました。「憂国忌」は、三島由紀夫先生と森田必勝さんが自決された昭和45年(1970)11月25日にちなんで「憂国忌実行委員会」が毎年開催している追悼集会です。「憂国忌実行委員会」は、「三島由紀夫研究会」に事務局を置いています。最初の「憂国忌」は自決された翌年の昭和46年(1971)11月25日、林房雄先生を発起人代表として九段会館で行なわれました。そのときの斎主を皇學館大学の先輩で乃木神社宮司・高山貢さんがされました。

長らく「憂国忌」を開催に尽力したのが「三島由紀夫研究会」事務局長の三浦重周でした。彼は平成17年12月10日、郷里の新潟市の岸壁で寒風吹きすさぶなか、壮絶な割腹自決を遂げました。三浦重周が「憂国忌」の総括責任者として平成17年11月25日の「憂国忌」が彼の最期の仕事でした。その15日後に彼が亡くなるとは思いませんでした。

今年の「憂国忌実行委員会」の開催の「憂国忌」は11月25日午後2時より乃木神社に於いて45年祭が執り行われます。特に今年は三島先生の生誕90年、没後45年の節目にあたります。盛大に行われると思います。

また「憂国忌」のほかにも、毎年11月24日に行われる政治結社「一水会」の主催の「野分祭」があります。「野分」とは森田さんの辞世の句にちなんで名づけられました。「一水会」の「野分祭」は決起前夜の心境を共有する意味で11月24日になっています。

主流の慰霊祭は元楯の会の関係者で執り行われています。今年も横浜市鶴見区の鶴見神社で45年祭が執行されます。ところで元楯の会の関係者から「大阪市の鶴見神社の花谷宮司は森田さんと親しかったのになぜ慰霊祭を行わないのか」「なぜ維新政党・新風の創設者魚谷哲央さんと花谷さんは関西で両烈士の慰霊祭を執り行わないのか」と言われます。

考えがあって魚谷さんと私は慰霊祭をしないことにしているのです。しかしながら私は毎年11月25日は、当社で、宮司の私だけで行っています。昨年は魚谷さんの呼びかけで維新政党・新風の京都事務所で数人で行いました。

亡くなった三浦重周から「憂国忌」に参加するように要請が度々ありましたが、「憂国忌」は三島由紀夫先生の追悼の色が濃く、森田さんが追いやられたように思えたので参加は見送っていました。

「一水会」の主催の「野分祭」も戦後体制打破という政治的な色彩が強いために参加しません。横浜の鶴見神社で執り行われる慰霊祭は元楯の会のメンバーが中心となって開催しておられます。神道式の慰霊祭であり、横浜の鶴見神社とは親しくさせて頂いているのですが、自決された三島先生や森田さんに、何もできずに平凡に暮らしている自分が恥ずかしくて参列する気持ちになれません。

しかしながら元楯の会のメンバーから「平成6年11月25日の奈良県桜井市の大和神社で慰霊祭を執り行いたいので斎主を私に副斎主を神職の資格を有する魚谷さんで23年祭を行ってほしい」とまた横浜の鶴見神社の金子宮司からも「東京以外で慰霊祭を行うのは初めてであり、その理由は三島先生が最後の長編小説『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)を執筆中に奈良県桜井市の大神神社や吉野地方を取材されたことがあるので大和神社を慰霊祭の場所に選んだ。そのことから自決された森田さんと親しかった二人に是非慰霊祭を依頼したい」と言うことでした。

それで魚谷さんと私で三島由紀夫先生と森田さんの慰霊祭を執り行うことにしました。慰霊祭の祝詞を作成中、昭和45年11月25日の市ヶ谷駐屯地での自決を思い出して何度も涙が流れてしまいました。

おおやけに慰霊祭を執り行ったのはこのときだけでした。魚谷さんも私も三島先生や森田さんに対して「果たしえていない約束」があり、それが実現するまでは慰霊祭は行わないということにしています。

西暦2015年、平成27年、45年の年月を経ても三島先生や森田さんの自決の真相は論争の対象であり続けています。米国に依存した戦後体制と真の独立国家としての日本のあり方を命を賭して憂えた三島先生や森田さんは、まさに「憂国の士」という言葉が相応しい人物と言えます。

ところで三島先生のお墓は府中市の多磨霊園にあります。自決された11月25日は「憂国忌」が行われ三島先生を偲ぶ集いが行われています。11月25日にはお参りしたことはありませんが、仕事で上京するときにはお参りをします。四日市市大治田にある森田さんのお墓には1年に数回ほどお参りに行きます。



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文化の日について

文化の日について
昭和23年(1948)7月20日に祝日法が公布され、11月3日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」の趣旨によって祝日「文化の日」となりました。実はこの日は明治天皇のお誕生日にあたり、戦前は「明治節」と呼ばれていたのです。

明治天皇は嘉永5年9月22日(西暦1852年11月3日)にお生まれになられました。旧暦時代の明治元年(1868)から明治5年(1872)は9月22日が明治天皇のお誕生日です。しかし新暦が導入された明治6年(1873)から明治44年(1911)は11月3日が「天長節」(天皇誕生日)という祝日でした。

ところが明治45年7月30日、明治天皇が崩御され、大正天皇が践祚されますと、「天長節」は大正天皇のお誕生日の日にあらためられて、11月3日は普通の日になってしまったのです。しかし国民から、明治天皇のご偉業を永遠に伝えていくためにも11月3日を祝日にしたいという運動が全国的に起きてきました。

その結果、大正14年に11月3日を祝日に制定するために、2万名の署名が議会に提出されて大正14年2月23日、満場一致で可決されました。しかし大正天皇の御病気が悪化していたので、貴族院での審議は中断してしまいました。

審議が再開されたのは昭和の御代にはいってからで、明治60年にあたる昭和2年(1927)の3月3日、明治天皇の御聖徳を敬仰して「明治節」として制定されたのです。以来、「明治節」は国家の大切な行事とされ祝日となりました。

「明治節」は昭和22年(1947)まで続きましたが、翌年の昭和23年7月20日の祝日法が公布されてから憲法公布を記念する「文化の日」となるわけですが、昭和21年当時の吉田茂首相は、あえて「明治節」の日を選んで明治天皇の偉業を称えると共に占領軍の推し進める日本弱体化政策に声なき反攻したのだといわれています。


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