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「おおさか維新の会」代表松井一郎大阪府知事の発言

「おおさか維新の会」代表松井一郎大阪府知事の発言
昨日の29日、記者団の質問に対して「おおさか維新の会」代表で大阪府知事の松井一郎氏は「安全保障関連法」施行について「全く手つかずのままより良かった」と評価しました。

また松井氏は米大統領選の共和党候補者指名争いで首位を走るドナルドトランプ氏の在日米軍のあり方をめぐる発言を受けて、日本の核兵器保有の是非について「何も持たないのか、抑止力として持つのか、という議論をしなければならないのではないか」と発言しました。

さらに松井氏は「トランプ大統領」の実現性に触れつつ、「トランプ氏は日米同盟の関係に疑問を持っている」と指摘した上で下記の発言しました。

「完璧な集団的自衛権という方向に行くのか、自国ですべて賄える軍隊を備えるか、そういう武力を持つならば最終兵器が必要になってくる。特に国会議員が本気で議論しないとダメなときだなと思う。僕は核保有するのはいや。しかし米国の軍事力がなくなった時に、どうするのか。夢物語で何とかなる、ではすまない」
 
私は日米安保により在日米軍が沖縄をはじめ国内に駐留している限り、その費用は用心棒代として日本が出していることに矛盾を感じています。2015年12月16日、2016年度から5年間の在日米軍駐留経費負担総額約9465億円とすることで合意しました。

日本の負担はとても大きいと思われませんか。米国から見れば、米国政府が雇用した米兵・軍属を日本政府が全額費用負担をしてくれるのですから、これは米国政府はやめたくありません。それをトランプ氏が用心棒代を値上げしたいのか、また米軍を日本国内から撤退させたいのかは不明ですが、もし米軍撤退となれば松井氏が言うように「夢物語で何とかなる、ではすまない」ことになります。

自主防衛路線を進むならば兵員の確保と装備の調達が必要です。我が国の人口は1億2千万人、その1%を目安に考えて、兵力120万の兵員が必要となります。これは国際的に見ても常識の範囲です。国防費はGDPの2%と考えて最低10兆円は必要であると私は考えています。膨大な費用が必要だと思われますが、兵舎や制服、銃も、弾薬も、戦車も、イージス艦も、ミサイルも、航空機も、ことごとく日本国内で製造し調達しますと、関連産業が潤い、内需が拡大します。雇用も促進するのです。

陸海空の自衛隊の兵力を120万人に増強したら、これはもうすさまじいばかりの雇用振興策になるのです。



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暴言のトランプ氏に期待する

暴言のトランプ氏に期待する
米大統領選の共和党指名争いで首位を走るドナルド・ジョン・トランプ(69)は、大統領に就任した場合、日本が駐留経費の負担を大幅に増額しなければ、在日米軍を撤退させる考えを示しました。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が26日に掲載したインタビューで語った。トランプ氏はこれまでも「日米安全保障条約は不公平だ」と負担増を求める意向を示していたが、米軍撤退の可能性に言及したのは初めてです。

インタビューの席上で日米安保条約について「片務的な取り決めだ。私たちが攻撃されても、日本は防衛に来る必要がない」と説明しています。また「米国には巨額の資金を日本の防衛に費やす余裕はもうない」と述べ、米国の財政力衰退を指摘しました。

その上で、インタビュアーが「日本は世界中のどの国よりも駐留経費を負担している」と言ったのに対し、「実際のコストより、はるかに少ない」と強調し、さらに「負担を大幅に増やさなければ日本や韓国から米軍を撤退させるか」と畳み掛けられると、「喜んでではないが、そうすることをいとわない」と語っていました。 

トランプ氏が大統領になりますと、彼は日本政府と再交渉し、安保条約を改定したい考えも表明しました。その上で日韓両国が北朝鮮などから自国を防衛できるようにするため、両国の核兵器保有も否定しないという見解も示しました。

数々の暴言・奇言で最初は「泡沫候補」扱いされてきたトランプ氏ですが、共和党予備選挙で過半数を獲得する可能性が日増しに高まってきました。そしてここにきて、日本でも、特に保守層からじわりと「トランプ大統領待望論」が広がりを見せてきています。

3月23日、元大阪市長の橋下徹氏は、ツイッターで以下のように発言しています。
 
沖縄の米軍基地をなくしたい人たちへ。トランプ氏が大統領になればすぐに沖縄米軍基地はなくなるよ。朝日新聞、毎日新聞、沖縄米軍基地反対派はトランプ氏を熱烈応援すべきだ」

もちろんツイッターでのこの発言は、偏向メディアへの揶揄を含んでいますが、私は橋下氏の見解には一理あると思います。トランプ氏は「在日米軍の駐留経費を日本側が大幅増額せねば撤退する」と発言していますし、「日本がアメリカの防衛義務を負わないのに、なぜアメリカが日本を守る必要があるのか」と言った主旨の発言は理にかなったものだと思います。

この発言を額面通りとれば、このまま共和党予備選挙でトランプ氏が指名され、選挙戦でも勝って大統領になれば確実に日米同盟は後退するでしょう。沖縄の辺野古移転問題が進展しないのならば、い米軍はグアムまで後退し、日本防衛の必要なし、ということになります。

そうなれば沖縄の基地問題も解決するしトランプ大統領でも悪くないと思っています。日本の自主防衛を認めてくれる大統領候補者であり、日本が核兵器を持つことも容認した大統領候補者は彼だけと言うことになるでしょう。いずれにせよトランプ大統領が誕生すれば長きに渡る「対米従属」から脱却し我が国が「自主独立」「自主憲法」「自主防衛」の主権国家になることができます。

中国の海洋進出や北朝鮮の核の脅威に、我が国はアメリカの援護なしに自主防衛の道を進むことになります。そうなれば国民の負担もあるでしょう。自分たちの国は自分たちで守る、これが独立国家としての最低限の条件です。国際的には当たり前のことです。

もちろん日米安保・集団的自衛権を破棄し永世中立国家として、米国と共倒れする必要はありません。日本の自衛隊も同盟国米国との戦争に巻き込まれることがなくなります。米国の後方支援の負担もありません。

その意味においてトランプ氏が大統領になることを期待し日本が自主独立を果たす最後のチャンスになると思っています。

我が国の政治家・官僚はトランプ大統領を視野に入れて、安全保障問題を中心に、対米隷属化からの脱却を視野に入れた対米自立の外交姿勢を強めて、「トランプ大統領待望論」を展開すべきだと考えます。

私は真に「日本の対米追従」を終焉させには、トランプ大統領誕生が最適だと考えているのです。いずれにしましても今年の参院選は国民自らが選択する興味深い夏になりそうです。

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母校の学院神社の遷座祭

母校の学院神社の遷座祭
昨日は「寒くて長い春の夜」となりました。3月24日、午後3時から母校の浪速高校の理事会・評議員会があり、午後6時から学院神社の遷座祭が執行されました。役員会議は暖かい部屋で行われましたが、「寒の戻り」か肌寒いなか、学院神社の遷座祭に参列しなければなりません。随分、着込んで参列したのですが、寒風の中での遷座祭は大変でした。

浪速高校に到着した際に、後輩の中学校校長より「遷座祭のときに使用してください」とカイロを渡されました。そんなに寒いの中で斎行されるのか、実感がありませんでした。役員会議が終わり、遷座祭の予行練習、習礼が午後4時半ごろから始まりました。学院神社の前に行きますと、寒風が吹き荒れる中で、斎主の大阪天満宮寺井宮司を始め祭員の神職は動きますので寒さは感じないと思いますが、じっと見学していますと寒くて寒くて控え室に戻ってしまいました。

控え室に戻りますと、暖かい部屋と熱いお茶でほっとしました。考えれば浪速高校の学院神社の遷座祭、今後100年間はないと思います。私が通学していたときの学院神社とは違い境内も広く社殿も大きくなっています。学院長の木村先生が地域の人も参拝できるようにと一般の神社と同様の大きさにされたのです。りっぱな校舎・学院神社にしていただいたので寒さなんか我慢しなければと覚悟を決めました。

午後6時、学院神社の遷座祭が寒風の中で執行されました。式次第は「大祓式」「遷座の儀」が暗闇の中で厳粛に行われたのですが、寒くて寒くて大変でした。奉仕されている斎主・祭員の神職、祭主の木村学院長、雅楽や神楽舞をご奉仕する浪速高校の学生の皆さん、参列されました役員の先生方や学生さんお疲れさまでした。

ところで遷座祭には「絹垣(きぬがき)」を用意します。「絹垣」とは「 絹のとばり」の事で遷座祭などの際、白絹で神様の周囲を垣のように張りめぐらして囲うものの事を言います。平成25年第62回式年遷宮の時に「絹垣」に囲まれた「御神体」を新しい正宮に遷座を目の当たりにされたお方もおられると思います。暗闇の中、5階の校長室に仮宮を設けてお祀りしていた御神体を「絹垣」で覆い、1階まで降りて新しい学院神社の御殿に御遷りいただく遷座祭にご奉仕された先生方もお疲れさまでした。
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防衛大学校卒業時の任官拒否について

防衛大学校卒業時の任官拒否について
3月21日、神奈川県横須賀市にある防衛大学校の卒業式が執り行われました。卒業後に自衛官への任官を辞退する「任官拒否者」は卒業生419人中、11%にあたる47人に上り、昨年に比べ2倍近くに達しました。任官拒否が40人を超えるのはバブル景気で就職戦線が学生の売り手市場だった1991年の94人以来25年ぶりです。

防衛大学校は陸海空自衛隊の幹部自衛官を養成する教育機関で戦前の士官学校にあたります。文系3学科と理系11学科があり講義や訓練を受けます。学生は卒業までの4年間、約8人ずつの部屋で寮生活を送ります。特別職の国家公務員として手当(2015年4月時点で毎月10万9400円)や年2回期末手当もあります。

防大生は防衛省の職員という扱いとなり、学費は無料で常軌の給料も支給されるため、任官を拒否した防大生は「税金泥棒」と批判されても仕方がありません。私は任官拒否の問題について入校前の自衛隊法施行規則によって定められた防衛大学校学生の服務の宣誓文にあると思っています。現在の宣誓文は下記の通りです。

私は、防衛大学校学生たるの名誉と責任を自覚し、日本国憲法、法令及び校則を遵守し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、知識をかん養し、政治的活動に関与せず、全力を尽して学業に励むことを誓います。

これでは士官学校としての防衛大学校に入学する意図が見えません。私が皇學館大学へ入学し精華寮に入寮したときに、毎朝神殿で唱和させられたのは「教育勅語」と「神宮皇學館教育ノ趣旨」でした。以前のブログでも紹介しましたが下記の通りです。

神宮皇學館教育ノ趣旨ハ、皇國ノ道義ヲ講ジ、皇國ノ文學ヲ修メ、之ヲ實際ニ運用セシメ、以テ倫常ヲ厚ウシ、文明ヲ補ハントスルニ在リ。夫レ業勤メザレバ精ナラズ、事習ハザレバ達セズ。況ンヤ本館期スル所ノ學ノ重且大ナルニ於テヲヤ。
本館學生深ク此旨ヲ體シ、常ニ師長ヲ敬重シ、館則ヲ遵守シ、黽勉(びんべん)努力、以テ他日ノ成業ヲ期シ、
夙夜(しゅくや)敢テ怠ルコト勿(なか)レ。

皇學館大学の建学の趣旨は「皇國ノ道義ヲ講ジ、皇國ノ文學ヲ修メル」ことなのです。防衛大学校の宣誓文には「我が国の平和と独立を守る」という文言はありません。何のために防衛大学校に入学したのか不明です。自衛隊法施行規則によって定められた自衛隊員の服務の宣誓文を紹介します。

私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。

防衛大学校の教育の根幹は「国防」・「安全保障」です。国民の生命と財産を守る為に体を張って活動するのが自衛隊なら防大はその幹部を養成する大学校です。宣誓文に記載されている「防衛大学校学生たるの名誉と責任を自覚し」という文言を削除し「わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命と国民の生命と財産を守る為の責任を自覚し」という文言に変えればよいのではないかと思います。


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「春季皇霊祭遥拝式」

「春季皇霊祭遥拝式」
当社では明日の「春分の日」の午前9時に「春季皇霊祭遥拝式」を斎行いたします。遥拝式なので東の皇居の方向に向いて拝礼します。ところで「春季皇霊祭」とは、春分の日に宮中に鎮座する皇霊殿にて斎行される、皇室の祖先祭祀のことです。「春季皇霊祭」は明治11年(1878年)にそれまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀したものです。一般の彼岸の先祖供養に相当する祭儀です。名前を「春分の日」と変更したのは戦後占領下でGHQが皇室によって日本がまとまっているのを脅威に感じ、日本弱体政策の一環として皇室と国民を分断するために名称を変えたのでした。
 
皇居内の宮中三殿は「神殿」、「賢所」、「皇霊殿」とあり、「皇霊殿」に歴代天皇、皇族の皇霊が祭られています。「皇霊祭」では天皇陛下がお告文を読み上げ、皇后陛下、皇太殿下、皇太子妃殿下が拝礼されます。尚、当日は皇霊殿前庭で「東遊(あずまあそび)の儀」が行われます。

「春季皇霊祭」を調べますと「古事記」「日本書紀」などに、皇室による先祖を祀る祭儀が行われていたことが記載されています。平安時代の中期以降は、京都御所の清涼殿・御黒戸の間において仏式で執り行われていました。その後、明治の神仏分離政策により、神式による祭儀に変更されました。

「春季皇霊祭」はお彼岸の中日に斎行されます。この中日は暦の上では「真西」に沈む太陽は、「極楽の東門」に入ると伝えられています。この日の太陽を拝むと、十万億土を隔てた「極楽浄土」の東門を拝むことになります。

この極楽が最も近くなる日が「彼岸の中日」と考えられているのです。大阪の四天王寺では明日の中日、午後5時20分頃「日想観」の法要が執り行われます。それは西門(極楽門)の鳥居の間から夕日が沈む時間に合わせて、僧侶が表白文や発願文を読み上げ、集まった信者らも一緒になって般若心経を唱えます。以上のことから昔から四天王寺の西門が極楽浄土の東門に接しているという信仰があります。

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「まんまんちゃんあん」

「まんまんちゃんあん」
関西地方では「暑さ、寒さも彼岸まで」といいます。お彼岸は春分・秋分を中日とする前後3 日間です。今年の春の彼岸は3 月17日~3 月23 日です。明日の20日は中日です。

さて、この「彼岸」ですが、仏教では私たちの住む世界をこちらの岸、三途の川を挟んでご先祖様の霊が住む世界をあちらの岸と考えていて、こちらの岸を「此岸(しがん)」、あちらの岸を「彼岸」と言います。極楽浄土があるとされている真西に太陽が沈む春分、秋分にお墓参りや先祖供養を行うようになり、「お彼岸」という習慣になりました。ただ、これ自体は日本独自の神道の風習です。明日の中日に夕日を拝むと功徳があるそうです。

昔は「お彼岸」のときにお孫さんを連れたおじいさんやおばあさんがお墓参りに行く光景を目にしました。お墓の前では「ご先祖さんにまんまんちゃんあんをしなさい」という言葉を聞いてものです。

「まんまんちゃんあん」は小さい子が拝む時のお決まりのフレーズです。この語源はなんなのでしょう。幼児語の「まんまんちゃん」は「南無阿弥陀仏」。「あん」は「あな尊し」という意味があるそうです。

大阪地方ーまんまんちゃんあん
島根県ーなんまんなんまん
山形県ーなまなまさま・なまなまはん
静岡県ーなむなむさん
四国地方ーのんのんさんあん
他地方ーなまなまさんあん。かんかさんあん。がんがんさまあん等

いずれの言葉にしても、お孫さんの拝む姿はかわいらしく、その後のお菓子が目あてであっても、このように一緒にお参りをしてくれることは、じじ・ばば冥利につきると思います。

最近では「神仏さまに見られている」という感性をまったく失ってきたと思われます。以前はよく「まんまんちゃん見ているよ」とか「お天道さまが見ているよ」という 言葉をよく耳にしました。最近はほとんど聞かなくなりました。

日本人は遠い昔から、神さま、ご先祖さまを敬い、感謝をする心を大切にしてきました。平穏な生活に感謝をしたり、日々の出来事を報告するなど、神棚や仏壇に手を合わすことは、ごく自然な感情であり清らかな心のあらわれでもあります。

このような「敬神崇祖」の心をもって、神社のお祭りを守り伝え、あるいはお墓参りやご先祖のお祭りを行ってきました。お祭りを行う大きな意義とは「感謝と慰霊」の誠を捧げることで神さまやご先祖さまと、自分との間の命の繋がりを確認し、家族の絆を深めていくことにあります。

「まんまんちゃんあん」の言葉の中には「感謝と慰霊」の誠が込められているのです。特に明日の彼岸の中日は、お墓参りをしてご先祖をお慰めし、感謝をする大切な日であることを忘れてはなりません。



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開沼博先生の「フクシマ学」について

開沼博先生の「フクシマ学」について
先週の3月10日の木曜日に関西宗教懇話会の勉強会が開催されました。今回は福島大学「うつくしまふくしま」未来支援センター特任研究員の開沼博先生でした。今年で5年目を迎えて福島県の現状を知るための勉強をさせてもらいました。

5年前の東日本大震災では死者・行方不明者1万8千余人を数える大惨事に際して、数多くの人たちが支援活動に取り組みました。しかし、5年目を迎えた現在、震災に関するマスメディアによる報道数はめっきりと減り、この出来事の記憶の風化が懸念されていると思います。

大阪に住んでいますと、現在の福島第一原発の状況や福島の復興はどうなっているのか、ほとんど報道されていません。久しぶりに今月3月11日の前後に5年目を迎えた東日本大震災の特集番組が報道されました。どの番組も「福島は危険だ」「復興まだまだ」「いまだに福島に帰れない」といった言葉が飛び交います。

現在の福島はどのような状態なのか、開沼博先生から頂いた資料を掲載します。


(1)「福島に暮らしていた人のうち、どれくらいの割合の人が震災によって、現在県外で暮らしているか?」 

答え
4万3497人(15年12月10日時点)で「2・2%」です。福島の実態は、多くの人は県内に住み、生活を続けていると言えるデータです。福島の震災前2010年の人口は202万人で、2014年には193万人ですから、人口の減少率も「4・5%」と言え、秋田、青森、山形と同じくらいの数字となっています。人口減少はなにも福島に限ったことではないといえるのです。

(2)「直近(2015年11月)の福島の有効求人倍率は、都道府県別で全国第何位か?」 

答え
答えは4位です。数値は1・68倍。月によっては1位になることもあります。これは100人しか働き手がいないところに168人の求人が出ている状態です。つまり人手不足が起こっているのです。改めて言うまでもなく、背景にあるのは「復興需要による福島の雇用市場の活性化」の政策にあります。

むしろ福島の製造業にとっては、震災よりリーマンショック(2008年)の方が影響が大きかったといえます。事業者数、従業者数、新製品出荷額、付加価値額、いずれもリーマンショック後の方が、震災後よりも落ち幅が大きいのです。逆に、福島の2013年の企業の倒産件数は、2010年の0・35倍で3分の1の値です。

(3)東北大震災後の福島では「中絶や流産が増えた」「離婚率が上がった」「合計特殊出生率が下がった」のうち、どれが正しい? 

答え
出生率のみ正しいのです。「震災離婚ってよく聞く」とか「チェルノブイリ事故の時には中絶が増えたって聞いた」という、風説の流布を耳にした人も多いのではないかと思います。

しかし、流産は震災前後で変化はなく、中絶については、2010年に妊娠100件あたり17・85だったのが、2013年4~6月は16・24と、むしろ減少が認められました。離婚率も明確に下がり、2010年の1・96に対し、2014年は、1・64と全国平均より下です。

婚姻率も上がる気配を見せています。出生率については、確かに2010年の1・52に対し、2011、2012年は1・48、1・41と「産み控え」とも見える現象がありました。しかし、2013年には、1・53という全国最大幅のV字回復を示し、2014年も1・58。震災前後で、先天奇形・異常の発生率に変化がないことは言うまでもありません。

ちなみに、福島の平均初婚年齢は、2014年に夫が30・2歳で全国3位の若さです。妻は28・4歳で16年連続1位です。ある面では、福島は、人が生まれないどころか、晩婚化、少子高齢化に抗するヒントが眠っているかもしれない県であるのです。

(4)「福島県の米の生産高は都道府県ランキングで、震災前の2010年は何位で、震災後の2011年には何位か?」

答え
2010年には4位、2011年には7位です。

(5)「福島県では放射線について、年間1000万袋ほどの米の全量全袋検査を行っています。そのうち放射線量の法定基準値(1キロあたり100ベクレル)を超える袋はどれくらい?」

答え
「2012年度が71袋、2013年度が28、2014年度が2、2015年度がゼロ(2015年12月30日時点)」。

そもそも作付面積自体が原発事故の影響で2割も減っていることから鑑みると、意外とうまくいっていると評価してもよいと思われます。1000万袋に対し、当初でも100袋未満。現在はゼロになっていることから見て、確実に良い方向に向かっているのです。

しかし、SNSの世界では、数字を調べもしないで、毎日何十件も、「福島の作物を食べたらとんでもない被曝をする」といったデマを流している方が一定数います。こうしたことから、「3・11で福島の農業は終わった。福島産の作物なんか“もう誰も買わない”“もう誰もつくらない”状況になっているに違いない」という偏見が生まれているのです。

(6)「福島県の漁業の水揚量は、10年と比べてどれくらいに回復しているか?」

答え
「76%」「15%」(2014年)の2つの答えが存在します。「76%」は、「属人」による統計、つまり福島県に所在地をおく漁業経営体の水揚げした数字。県内に所在地をおく会社や個人の漁獲量は半分以上回復しているわけです。「15%」は、「属地」による統計。福島県に水揚げされているものだけの数字。

沖合・遠洋でとれたものが福島で水揚げされたからと言って、リスクが上がるということは科学的にありえないはずで、にもかかわらず、福島で水揚げされただけで、市場価格が下がってしまうのはいかがなものか。

(7)「2010年と比べて、福島県に観光客はどれくらい戻ってきている?」

答え
答えは「82%の水準まで回復している」(14年)。原発のある「浜通り」は、やはり厳しく、6割弱の回復にとどまるが、浜通りのいわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」はかえって知名度を上げ、観光客を増やしています。「中通り」は9割以上、「会津地方」については、大河ドラマ『八重の桜』効果もあり、震災前よりも数字が伸びた時期もあった(2014年は9割)。

他方、問題なのは、修学旅行客の数字が伸び悩んでいること。福島を修学旅行で訪れた人の数は、2010年度の67万3912人に対し、2014年度は35万704人。回復は52%に留まっています。

この動きを指摘すると「被曝を避けたい親の不安を軽視するのか」などともっともらしいことを言う人が出ています。しかし、例えば、飛行機で成田―NYを往復した時の被曝量は100マイクロシーベルトほど。これと同じレベルの被曝をするには福島第一原発の真横を走る国道6号線を50回以上通り抜ける必要があります。海外旅行をした方が、福島に行くより遥かに被曝します。不勉強と事なかれ主義を、「不安」などという言葉で正当化すべきではないのです。

加えて、外国人観光客も回復していません。震災前に福島を積極的に訪れていた韓国、中国、香港、台湾、アメリカの観光客は、2014年の数字で、2010年の27%。特に、韓国は6%、香港は23%など、万単位の客が逃げてしまっています。これを呼び戻すことは不可欠の課題と言えるでしょう。

以上、開沼先生の勉強会の資料から掲載しました。私が述べたかったことは、風評被害で福島は放射能汚染で農業・鉱工業・水産業がだめになり、福島に足を運ぶと被爆する、このようなことはデマに過ぎないということです。福島は安全で元気なになって復興しているのだ、と言うことです。

しかしながら福島は重大な問題を抱えています。それは震災関連死なのです。東北大震災で福島県内の「直接死」の死亡者1612人、行方不明者199人となっていますが、震災後
避難生活での体調悪化や過労など間接的な原因で死亡は2015年9月30日の時点で1979人になっています。これは避難者のケアが後手に回り、避難を続けることが心身に大きな負担を与えているのです。これを解決することが行政の役目であり、今後のボランティアの働きにかかっているのではないかと思います。

私の出来る事は福島産の食品を買い、福島への観光に出向くことだと思っています。もしよければ南相馬市の神社の宮司になってもよいと思っています。  



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『英霊の聲』より

『英霊の聲』より
三島由紀夫先生の作品の中に『英霊の聲』(昭和41年6月発行)という短編小説があります。この小説は「などてすめろぎは人間となりたまいし」という言葉で有名になりました。

『英霊の聲』は『憂国』『十日の菊』と併せて三島先生の2・26事件三部作として知られています。

『英霊の聲』では心霊現象で霊媒と審神者が交霊を行い、石笛の厳粛なる響きをもって始まります。2・26事件の蹶起将校と、大東亜戦争の神風特攻隊の兵士たちの霊が次々と、霊媒師の青年、川崎重男に憑依し、呪詛する模様が綴られてゆく模様が書かれています。

2・26事件の際の昭和天皇の対処の仕方と、敗戦後の昭和21年1月1日のいわゆる「人間宣言」で、昭和天皇が「人間」になってしまったことに、英霊たちの悲しみ憤り、その英霊たちの声がこだまするように書かれています。それが「などてすめろぎは人間となりたまいし」で締めくくられているのです。

先生は2・26事件で処刑になった青年将校、特攻隊で戦死された英霊たちの精神的な支えは、「同期の桜」の中の「花の都の靖国神社、同じ梢に咲いて会おうよ」という言葉に凝縮され、そこにいろいろな思いを集中して、「生き甲斐」というよりも「死に甲斐」を見出して最期に「天皇陛下万歳」に尽きる、ということを考えておられました。

映画「ラストサムライ」の中で明治天皇の前に現れたトムクルーズが演ずるネイサンに明治天皇は「勝元はどのように死んだのか死にざまを語れ」と指示しました。

ネイサンは明治天皇の問いに、「日本の武士を見てきた者が、どのように死んだのかではなく、彼がどのように生きたかをお話します」という言葉が印象的でした。まさに先生は「どのように死んだか」ではなく「どのように生きたか」を問題にされていたと思います。
 
また先生の昭和43年12月発行された『命売ります』を読みますと、先生の死生観が理解することができます。自殺に失敗した男が、「命 売ります」という広告を出し、自分の命を捨て売りしてしまおうとする三島文学の中でも面白い小説なのです。先生に言わせれば「何のために死ぬのか」という目的を持った人は、寝たきり老人のように点滴のチューブでつながれ生かされているよりは幸福かもしれない、と言うことになります。

先生は、「死」は自分自身で選ぶものであり、選ばれることではないと自覚されていました。この『命売ります』の2年後に市ヶ谷で自決されました。共に自決された森田必勝先輩は25歳の生涯を見事に燃焼させ、「俺は国のために、天皇陛下のために殉じる」という強い思いと同時に天才三島由紀夫先生と共に自決することに最高の幸福を感じていたと思います。

先生は『豊饒の海』で「切腹の刃が腹に入ったときに瞼の上にかくやくと太陽が昇った」と表現されています。先生は生前、「死は自然に任せない」と言っておられました。先生は「死に甲斐を持って果てる」ことを望んでおられたと思います。先生も森田さんも切腹して首を切られて痛かったろうと大半の人は思うでしょう。先生は別にして森田さんは喜びだったかもしれません。

先生が好きな『葉隠』に「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」と書いてあります。死を捧げる対象が主君です。先生や森田さんの対象は「神国日本」或いは「皇国」であり、「神州不滅」のために殉ずる、それらを凝縮して最期に「天皇陛下万歳」になるのです。

生前、森田さんの大好きな言葉がありました。徳富蘇峰先生の「俺の恋人誰かと思う 神のつくった日本国」という言葉でした。そうなのです、日本は神さまの国なのです。私たち日本人は神の子なのです。キリスト教では人間は神によって造られたものですが、神道では日本人はすべて神の子供であって、神の一族なのです。その一族の長が天皇陛下であられるのです。

歴代の天皇さまは天照大御神の「神子」であり、天照大御神の地上における御代理としての御存在であらせられます。神武天皇以来今上天皇陛下に至るまで歴代の天皇さまはすべて現御神(あきつみかみ)、つまり「人にして神」であり、「神にして人」であらせられるのです。先生は現御神として天皇陛下が統治される道義国家が本来の日本の姿であると考えられていました。それが占領軍が押しつけられ反抗することなく世に言う「人間宣言」の詔勅を下し給うたことに先生は歎かれていたのです。

それが形として発表されたのが『英霊の聲』なのです。戦前ならば『英霊の聲』は発禁本になり先生自身も不敬罪になっていたと思います。先生は汨羅(べきら)の淵に入水した屈原のような立場で『英霊の聲』を発表されたのです。先生の心の中には将来昭和天皇に現御神になってもらいたいという「戀闕の情」があったのです。

そのことから憂国の諫言の書物が『英霊の聲』ともいえます。しかしながら見かたによれば「天皇批判」の書物ともいえますので、先生は自分の責任の取り方を考えられていたと思います。

それが昭和45年11月25日の「楯の会事件」であると思います。最期に「天皇陛下万歳」と叫んで自決されて責任を取られたと私は自分で納得させています。確信に触れるところは『英霊の聲』から抜粋します。

「われらは神界から逐一を見守っていたが、この『人間宣言』には、明らかに天皇御自身の御意志が含まれていた。天皇御自身に、『実は朕は人間である』と仰せ出されたいお気持ちが、積年に亙って、ふりつもる雪のように重みを加えていた。それが大御心であったのである。忠勇なる将兵が、神の下された開戦の詔勅によって死に、さしもの戦いも、神の下された終戦の詔勅によって、一瞬にして静まったわずか半歳あとに、陛下は、『実は朕は人間であった』と仰せ出されたのである。われが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、そのわずか一年あとに……」

 こちらは青年将校よりも深刻である。もともと天皇自身は現人神の認識はなく、国に担ぎあげられた偶像であることを暴露した。しかし天皇を現人神と信じた特攻隊員は双方向の恋闕の情の成就を冀って飛び立った。神でない天皇が神風を吹かせられないのは当然である。御霊は天皇が人間であるのはよい、せめてわれらが敵艦に向かうときだけでも現人神であるべきだったと恨みを述べる。しかし天皇の人間宣言そのものが御霊にとって裏切りである。


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SF小説『美しい星』について

SF小説『美しい星』について
三島由紀夫先生が昭和37年10月に発表されたSF小説『美しい星』が実写映画化(2017年5月公開)されることが2月29日の報道でわかりました。主演にはリリー・フランキーさん、他に亀梨和也、橋本愛、中嶋朋子さんが出演されます。

三島先生は天才だと思います。本当に多彩なジャンルの作品を多く書かれています。大学時代、昭和40年2月に刊行された三島先生の『音楽』を読みました。『音楽』は、精神分析医を訪れたヒロインの物語です。性的な快感を得ることのできない女性の心に潜む謎を、若き精神科医が少しずつひも解いてゆくまでを物語です。

主人公の麗子は少女期の兄との近親相姦により、性的なオーガズムを知ったのです。麗子は、兄の肉体への憧憬を心に育み、許婚者をも、恋人をも愛することができなくなったのです。麗子の強烈な自我は、彼女の不感症を癒すべく、懇切な治療を続ける精神科医の汐見医師をさえ気まぐれに翻弄し、治療は困難をきわめました。三島先生は女性の性の複雑な深淵に迫り、人間心理を鋭く衝いたエロテックな三島文学の中でも異色作です。

次に『美しい星』を読みますと、完全なSF小説であり笑える小説でもありました。両作品を読みますと三島先生が様々なジャンルで才能を発揮され教養の幅も広く深く、やはり天才文学者と思います。

この『美しい星』はブラックなユーモアSF小説です。大杉一家は全員ほかの惑星から来た異星人。父親の重一郎は火星人、妻は木星人、娘は金星人、息子は水星人。重一郎は地球人に知られず地球人をなんとか救おうと奔走する「宇宙友朋会」の代表でもあります。

そんな彼を良く思わない、大学助教授の羽黒、床屋の曽根、銀行員の栗田の中年男三人組も宇宙人です。この三人は人類が滅亡することを至上の喜びとし、仙台に生息してました。
人類滅亡を願う宇宙人と、滅亡の危機を救おうとする宇宙人との論戦が読みどころとなっています。

埼玉県飯能市の大杉家の家族四人が町外れの羅漢山に出かけます。大杉重一郎がUFOを見たことがきっかけで、自分が火星人であることに目覚める。やがて妻の伊余子もそれに続き、自分が木星人であることを悟り、息子の大学生の一雄は水星人であることを、そして同じく大学生で娘の暁子は金星人であることに気づいていくところの発想が、三島先生の天才的な魅力を感じます。

三島文学の中で『美しい星』と『音楽』には、三島先生は、それまでの作品とはまったく異なる不思議な世界を描いておられます。『美しい星』が刊行されました昭和37年当時、ユニークな作品であると思われたと思います。

「宇宙人」という意識に目覚めた一家に、世界の「終末」を語らせ、人類の滅亡の不安の描き方が見事に表現された『美しい星』には、三島先生の日本が滅亡か再生か、日本を憂いておられた深いものを感じます。8年後の昭和45年11月25日に自決されました。この作品を読むにつけて自らの死生観を世に投げかけた、と私は理解しています。何か深いものを感じます。

ところで『美しい星』の大杉一家の自家用車がフォルクスワーゲンの「ビートル」でした。
その影響で私の最初のローンで購入した自動車オレンジ色の「ビートル」1300でした。









































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