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4月28日は欺瞞に満ちた「主権回復の日」

4月28日は欺瞞に満ちた「主権回復の日」
昨日、4月28日は「主権回復の日」です。昭和26年(1951)9月8日、米国のサンフランシスコで日本が主権を回復するための講和会議が行われました。世に言うサンフランシスコ講和会議です。このとき締結された講和条約で日本は第2次世界大戦の連合国との戦争状態を終結させました。サンフランシスコ講和条約の発効は昭和27年(1952)4月28日です。4月28日こそ「終戦記念日」であると思います。

調印を終えた麻生元首相の祖父で母校皇學館大学初代総長の吉田茂首相は、細長いタバコを取り出して、実においしそうに喫われたそうです。講和条約締結の首席全権の大役を果たすまでは、好きな葉巻を禁煙されておられました。このことは随行した白洲次郎さんが記しています。

この会議では連合国のうち、48ヵ国が署名して日本の主権の回復が認められました。ただし、交戦国であった中国(中華民国・中華人民共和国)とソ連(現在のロシア)、およびインド・ビルマ(現在のミャンマー)が加わっていません。

1951年当時、中国には大陸の中華人民共和国と台湾の中華民国が並立していました。イギリスとソ連は中華人民共和国をアメリカは中華民国をそれぞれ承認しておりました。そのことにより両国の代表権で紛争の原因となるのを恐れたアメリカが双方を招聘しなかったので今回のサンフランシスコ講和条約に加わっていません。インドは独立していましたがイギリス連邦に加わっていたので参加していません。

平成28年4月25日の産経新聞の朝刊に小堀桂一郎先生が『主権回復記念の日に向けて』という正論を書いておられました。6年8ヶ月という連合国の占領期間から昭和27年4月28日に主権回復したのであるから独立主権国家の尊厳という意識の確立と戦後体制からの脱却・日本を取り戻すという趣旨のことを記載されていました。

連合国の占領期間中で我が国に主権が無いときに公布され施行された日本国憲法は正当な憲法とは思えません。独立主権国家としての立場を示すには占領憲法を破棄すべきだと思います。

昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安全保障条約によってアメリカとの同盟関係が成立し、米軍の駐留が恒常化されましたが、日本は国防をアメリカに依存するために米軍の駐留が恒常化し永遠の隷属国、ポチの国に成り下がりました。
 
世界史を見ましても「国防」という国家の大本を忘却した国家は滅亡しています。我が国が主権国家として独立するには日米安保条約の解消して自分たちで国と国民の生命・財産を守る気概が必要です。アメリカの国益のために米軍の艦船を護衛し米兵とともに自衛隊が戦わなければならないのか、考えてみて下さい。

オバマ大統領との日米首脳会談では、「尖閣条項」の明記に固執していましたが、これは正しい同盟ではありません。日米同盟強化ではなく単なる隷属です。自国の領土は自国民が守るのが当たり前のことです。

「国防」無くして真の主権回復など有り得ません。真の主権回復とは諸悪の根源である現憲法を破棄し、米国依存体制から脱却を図り、日本人による国防体制を確立せねば完全な独立と主権の回復は成されないということです。

 

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山王祭に参列して

山王祭に参列して
本日、4月14日は当社の本社である滋賀県大津市の日吉大社の山王祭が午前10時に斎行されます。早朝より自動車で参列するために出向きました。この祭りは湖国屈指の大祭であり湖国三大祭の1つです。

日吉大社の例祭で地元では「山王さん」の呼び名で親しまれています。毎年3月の第一日曜に始まり、中心行事が終わる4月14日までの1ヶ月半の長期にわたって繰り広げられます。

今年の3月上旬に奥宮に上げられた神輿に神様がお遷りになり、山麓の東本宮へお渡り頂く神事、午の神事が4月12日の午後9時20分におこなわれます。
一説には見合いを済まされたご夫婦の神様の結婚式を再現する神事ともいわれています。
暗闇の中、松明の火だけを頼りに急坂を下る様子は大変勇壮で、駕輿丁(かよちょう)と呼ばれる担ぎ手が命をかけて神輿を担ぐ様子は参拝の皆様を魅了します。

4月13日、午後1時に花渡り式が行われます。山王祭の神事中、最も華やかな神事です。 甲冑を着た5歳位のお子様方がその日の夜に出産を迎える神様にお祝いのお花を供える儀式です。 当日は満開の桜並木の中、かわいらしいお子様の姿とともに優雅な空気が漂います。

同日の午後6時半からは宵宮落とし神事が斎行されます。この神事は大山咋神・鴨玉依姫神による出産、御子神誕生の儀式で山王祭の神事中、最も勇壮な神事です。前夜婚儀を挙げられたご夫婦の神様からお子様が誕生する様子を再現しています。
大政所と呼ばれる場所に神輿が4基並べられ、生源寺にて読み上げ式(点呼)を済ませた駕輿丁達が神輿の到着するや、一斉に神輿を揺さぶり始めます。

日吉大社の地元、坂本中に大きな音が響き渡りますが、それは神様の陣痛を表すともいわれており、4基揃った中での神輿振りは圧巻です。 やがて、儀式が執り行われ、結びの祝詞奏上と共に4基の神輿は一斉に1メートル以上ある高さから地面に落とされ(この瞬間が御子神誕生の瞬間です)、近くの鼠社まで到着を競い、その後は行列を整えて西本宮拝殿に進みます。
この日の朝、他の3基の神輿はすでに西本宮拝殿に納められており、ここで初めて山王神輿7基が揃います。

4月14日午前10時に例祭が斎行されます。西本宮で行われる日吉大社年間最大の神事です。7基の山王神輿の前で厳粛な神事が執り行われますが、この時に天台宗総本山比叡山延暦寺より天台座主が参拝され、ご神前に五色の奉幣、般若心経の読経を奉納されます。
古くより縁の深い日吉大社と延暦寺。明治以降廃絶した神仏習合の名残を色濃く残す、文化的にも大変貴重な神事といえます。これに参列するために早朝から日吉大社に出向したのです。毎年、4月14日は参列しなければならないのは、鶴見神社の創建も町の歴史もご先祖たちが郷里の日吉大社の東本宮の元宮とされる牛尾山(八王子山)の八王子社の御分霊を勧請したことに始まるからです。

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社務所の畳替え

社務所の畳替え
亡くなった先代は戦前の講道館柔道3段を持っていました。若い頃は柔道に熱中し京都で大日本武徳会の磯貝一(いそがいはじめ)先生を師事していました。ところが柔道で右の膝を痛めて不自由になってしまい、正座をすることが困難になってしまいました。神職として正座ができなければ神事に支障をきたすことになります。

そのことから立礼で神事を執り行っていました。正座をしなければならないときは私が代わりに坐っていました。そのために先代は社務所を立替する際には、鉄筋コンクリート造2階建てで1階部分の多くは和室で応接間と台所が洋室に、2階の寝室・書斎・私たち兄弟の部屋、すべてが洋室でした。もちろんトイレも当時では珍しい洋式でした。

寝室もベットで書斎もデスク椅子の洋式のたたずまいでしたが、ご先祖の祖霊社の部屋はさすがに畳敷きでした。今回、数十年ぶりに社務所の1階部分の畳敷きの8畳・6畳の部屋の畳を入れ替えることにしました。私はどちらかといえぱ、フローリングの洋式の部屋は寒く音が響くので畳敷きの和室が好きです。

社務所の畳替えで知ったことは神社仏閣の畳は従来の京間の畳より大きいということでした。そこで畳について勉強しました。

先ず畳の語源は、「たたむ」から来ていると言われています。古くは「古事記」の中に 「八重畳」「皮畳」「きぬ畳」「菅畳」などの言葉が記されています。私は畳に長い歴史があり世界に誇る日本文化の最たるものだと思っていました。

現代の畳に近づくのは平安時代に入ってからであると言われています。「延喜式」では、階級に応じて大きさや縁の色が定められていました。この時代の畳は権力の象徴でした。平安時代、公家たちの住まいが寝殿造りになると、板の間に座布団の代わりに畳を敷いたり、寝具の一部になったりしました。

鎌倉時代になりますと畳は武家の家の床の一部として床全面に敷かれるようになりました。
この時代になりますと畳職人が「畳刺」などと呼ばれ、職業として認められていました。室町時代には畳敷きが多くなったために正座が正式な座り方として定着しました。この時代の畳職人は「畳大工」と呼ばれました。

安土桃山時代には「茶の道」茶道が流行し発展したために炉の位置によって畳の敷き方も変化しました。

江戸時代には役職として「御畳奉行」が作られたりしましたが、畳文化が武家から町民に普及してきた時代です。そのことから「畳職人」「畳屋」という言葉が使われ職業として確立した時代です。

面白いことに京間と江戸間の畳のサイズが違うのも江戸時代からです。関西の京間の畳が江戸間の畳より大きいのは、身長の違いからです。畳1畳が一人の人間が寝れるサイズです。上方、関西の人たちの身長が江戸の庶民より高いためです。

神社仏閣の畳は京間よりサイズが大きいのは参列者が正座して多くの人たちが座ることができるようにしてあるからです。

明治時代から昭和時代の中ごろまでは、町単位の大掃除の際に畳を干して痛むのを予防する習慣が定着しました。また畳の表がやけてしまうと裏に返して使うことも行われました。毎年、鶴見の村でも夏のお盆前に大掃除が町会単位で行われました。近隣の人たちと協力して掃除をするのですが、畳を外で干すときに畳と畳の間に小銭が出てきたり、畳の下に張り詰めた古い新聞紙を読むのも楽しみの一つでした。また町の人たちと昼時におにぎりを食べたことも懐かしく思えます。
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日本銀行の政府国債の買い入れについて

日本銀行の政府国債の買い入れについて
我が国は長期のデフレに陥っています。日本銀行はこれを脱却させるために、金融機関を通じて市場にお金を流通させようとしています。そのために日銀は国内銀行が持っている政府国債を買取りを行っています。日銀の政府国債の買い取りは平成25年から始まりました。つまり安倍首相の就任から始まったわけです。現在では日銀の保有政府国債は約400兆円にもなるでしょう。

日銀は国内銀行から400兆円の政府国債を買い取ったのですから400兆円の現金が国内銀行にあるということです。そうすることで国内銀行は資金が増えて、個人や企業などに資金の貸し出しが多くできるようにしました。しかしながら現状は企業や個人への貸し出しは大幅な増加には至っていないということでした。その理由を説明します。

日銀と当座預金取引のある国内銀行は、自分の銀行が顧客から預かっている預金の一定割合の現金を「準備預金」として日銀の当座預金口座に預けることが法律で義務付けられています。ところが法律で定められた以上の準備預金が預けられて超過準備預金となっています。

超過準備預金には年0.1%の利息が付くため、銀行にとっては大変に有り難い存在です。民間に融資を行うよりも、日銀の超過準備預金の方が確実に利息を生み出すことから、大量の資金を日銀当座預金に預けているのです。企業や個人に貸し出すと低金利で利ザヤが薄く、貸し倒れリスクもあります。

そのような理由から今年の1月29日、日銀政策決定会合で、日本初となる「マイナス金利」の導入が決定したのです。国内銀行は日銀に今まで預けている分には、これまで通り金利は付きますが、新規で預ける分についてはマイナス金利が適用されます。それなら日銀にお金を眠らせておくよりも、企業へ個人に貸し出して金利収入を得たり、他の投資に回したりしよう、という動きになるわけです。企業は設備投資などに資金を使い、個人は住宅を購入し工事などを行うことで、その結果として経済が回るようになります。こうした日銀の働きを「買いオペレーション」といいます。

ところで日銀が買い入れた政府国債は10年満期を迎えると償還されます。仮に日銀が満期が来た国債に対して政府に現金償還を求めれば、政府は国民から得た税収を使って現金を日銀に支払うことになります。それをすれば市中から通貨が減ってしまうことになります。

そこで政府国債を借り換えることにすれば、日銀が買い入れた政府国債をそのまま保有し続けることができます。政府国債を1年間の短期国債と交換することを毎年繰り返したならば政府は日銀にお金を支払う必要がありません。これを「国債乗換」と呼びます。

要するに政府の子会社である日銀に政府国債を売却すれば政府の借金が減るということなのです。日本銀行の株式の55%は日本政府に保有されています。つまり親会社と子会社の貸し借りは連結決算で消滅してしまうのです。

日銀が国債を保有した場合、政府は借金を返済する必要も、利払いをする必要もなくなります。しかし政府は律儀に日銀が保有する国債に対して、金利を支払っています。日銀の決算終了後に「国庫納付金」として返還されています。

そのような理由で日銀の国債保有が増えている以上、現在は政府の借金が減り続けているということになります。

それにも関わらず、財務省はマスコミを通して、「国の借金1000兆円、国民1人に換算すると850万円くなる」といって明日にでも我が国が破綻するかのように国民を煽り、経済成長やデフレ脱却の妨害をしています。

財務省は事実上全省庁の予算を握って命令できる立場にあります。その財務官僚たちは御用学者やマスコミ、評論家を動員してアベノミクスを妨げています。財務官僚は日本の財政を悪化させて地位と利権のためを高めるための組織です。財務省には「経世済民」国民を豊かにする目的は見当たりません。彼らかやりたいことは増税です。財務官僚の「税金を取りたい」という結論ありきの主張は聞き飽きました。

デフレ期の緊縮財政は愚策と消費税増税です。財務省の主導の公共事業は削減するなどは亡国の政策です。もっと公共事業を増やすことです。実は田中角栄氏の「日本列島改造論」の実行が「デフレ脱却」の治療薬なのです。

「デフレ脱却」「経世済民」を実行するには、日銀の国債買い入れと消費税減税、公共事業の促進が必要なのです。気がかりなのは安倍首相が、財務省の言いなりになって消費税を増税し、再びマイナス成長にする事です。

それと一番注意が必要なのは、財務省の圧力より東南海大地震級の震災が起きることと急激な円高でデフレが加速することです。それによって日本経済全体が致命的なダメージを受けてしまうことです。


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「デフレ」対策は消費税減税が一番

「デフレ」対策は消費税減税が一番
最近の経済ニュースに「デフレ」という言葉がよく使われ、さらに安倍総理の答弁のなかにも「デフレ脱却」という文言がよく出てきます。国民の多くはデフレが原因で深刻な不況に陥っているという錯覚を持っています。

デフレの正式な言葉、「デフレーション(deflation)」は通貨収縮という意味です。OECD(経済協力開発機構)では、「デフレーション」を「一般物価水準の継続的下落」と定義しています。つまり、物価が下がり続けている状態のことです。

逆に上がっていれば「インフレーション(inflation)」一般には「インフレ」と呼んでいます。これは通貨が膨張している状態をさします。我が国では、こうした状態が2年以上続けば「デフレ」あるいは「インフレ」としているそうです。

実際、バブル崩壊以降の平成12年頃から我が国の物価は下がり続け、現在でも収束の気配は見せていません。「デフレ」が続いているのです。日本経済は「デフレ脱却」ができずに苦しんでいるというのが現状です。

一般に物価が下がると喜ばしいことだと思われます。しかし会社全体の利益率は減少や給料やボーナスが良ければ問題ないのです。値下げ競争が厳しくなっていますので、会社は安い商品を生産するためにコストや経費削減、人件費の削減を徹底しなければなりません。その結果、新入社員の新規採用は見送られるのです。現在の就職難はこうした現状を反映しているのです。

給料や所得が減少しますと、物を購入する意欲がなくなり、商品はますます売れなくなってしまいます。こうした悪循環を「デフレスパイラル」と呼んでいます。我が国の「デフレスパイラル」は下記の通りになっています。

景気が悪い→物が売れない→企業が儲からない→市場にお金が出回らない→年金が少ない→給与が下がる→家計が苦しい→買い控える→物価の下落

我が国の「デフレスパイラル」を克服するには、市場にお金が十分に出回るようにすることが必要です。そのために先ほど日本銀行はゼロ金利政策を打ち出しました。利子率を引き下げて、1000兆円といわれている市中銀行預金している国民の皆さんに、貯蓄のメリットがないように仕向けました。しかし「たんす預金」はそのままの状態だと思います。国民は政府の政策を信じていない証拠です。国民の多くは将来への不安から消費を抑えているのです。

政府はさまざまな社会情勢を考えて「デフレ」下にあって平成26年4月1日、5%から8%の消費増税の道を選びました。これが失敗しました。消費は益々冷え込み、「デフレ脱却」と不況に明るい兆しが見えませんでした。

日本の経済が今後どのように推移していくのか不明ですが、安倍総理が来年4月の消費税率10%増税を行うことは誰が見ても失敗です。消費税を増税すれば国民は消費をしなくなるので日本のGDPが減少し、税収も減少するのが分かっています。市中にお金を出回るようにするには、8%の消費税を凍結しても変わらないように思います。いっそうの事、もとの5%に消費税を戻すことだと思います。

5%に消費税を戻しますと、税収は落ち込むと思うのですが補正予算を組めばよいのです。しかし補正予算を組むことに財務省は猛烈な圧力でそれを潰しにかかります。安倍総理に求められるのは庶民的金銭感覚と財務省に屈しない不屈の精神だと思います。不況下に増税して栄えた国家はこの世に存在しません。補正予算がだめならば政府が国債を発行し国内銀行から日銀に売却すれば良いのではないでしょうか。 

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浪速高校の「合祀祭」

浪速高校の「合祀祭」
昨夜の午後7時から浪速高校の「合祀祭」がありました。母校の浪速高校は昭和28年11月から「祖霊舎」が学院神社の隣に創建されました。学院神社のご本殿御造営と同時に「祖霊舎」も完成し「祖霊殿」と呼称することになりました。

昨夜、浄暗の闇の中、卒業生の「四柱」の「御霊」の「遷霊の儀」が執り行われ「祖霊殿」に合祀されました。ご遺族、教職員、同窓会、PTA会長も参列して執行されました。「祖霊殿」には戦死された先輩や私の恩師、同期の友人、祖父や叔父さん、父親も合祀されています。私も帰幽しますと「祖霊殿」に合祀されます。

浪速高校で役員会が開催されるときには、「学院神社」を参拝することになりますが、本殿と祖霊殿を参拝したことになります。学生は登校・下校の際には拝礼することになります。「祖霊殿」に祀られた先輩諸兄や恩師が学生たちの健康と素直に成長するように見守ってくださることに感謝いたします。

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「女性にとって最も大切なことは子供を二人以上産むこと」について

「女性にとって最も大切なことは子供を二人以上産むこと」について
私が兼務している大宮神社は大阪市鶴見区茨田大宮に御鎮座されています。その氏子地域にあります茨田北中学校の校長先生が全校集会で「女性にとって最も大切なことは子供を二人以上産むこと」と発言しました。この発言が大きな問題となりました。この発言の一部を問題視する匿名の電話が市教委にあり、朝日新聞(朝日新聞デジタル)が取り上げ、「不適切な表現あり」として、市教委が校長処分を検討するという事態になったのです。要するに商業の朝日新聞や毎日新聞等の餌食になったのです。

視聴率の低迷している「グッディ」や月曜日から金曜日まで、午前2時から4時頃までのワイドショーのトップニュースになりました。この校長の発言は、それほど価値のある発言なのですか。日本のマスコミは視聴率を気にして報道しています。視聴率を上げるためには悪役が必要なのです。校長は何か犯罪行為をしたのでしょうか。

アゲ足を取ろうとするマスコミの方が歪んでいると思います。結構良いことも言っているのに、悪意に解釈できる部分だけ切り取って報道するマスコミに騙されてはいけません。全校集会での発言や、入学式・卒業式の式辞にまで、いちいちイチャモンをつけられるんじゃ先生もたまったもんじゃないのです。それも言葉尻をとらえられて。

 論理には論理をもって反論するのがマスコミの役目ではないでしょうか。テレビやインターネットを見る人たちは論理がなくとも表現力や主題だけで反応します。「女性にとって最も大切なことは 子供を2人以上産むこと」この題目には論理はありません。このような表現を取り上げると視聴者の「受け」がいいからです。このような報道の仕方が後を絶たない原因の半分は、読者の側にあるのではないかと思います。

世界は欧州の難民問題、中東はISとの戦争、米国内はトランプ騒動、我が国は北朝鮮の挑発的なミサイル実験など、こんなゴミみたいな問題を取り上げてマスコミの報道の仕方にはイライラします。消費税増税を凍結するか延期するか、もしくは5%減税にするか、マスコミの報道すべき国民生活に密着した問題は数多くあります。

マスコミが指摘すべき子育て問題は、生み育てたくても、子育て環境が十分に整っていない環境を指摘すべきではないかと思います。子育てに必要なことは、出産した女性の職場復帰の労働環境など、報道すべきことはヤマほどあると思います。

現状で女性が2人の子供を出産し育てて働きに出る場合、預けられる保育所はどこにあるのか、待機児童の問題を早急に解決しなければならない重要問題です。それと保育料は平均1人月額2~3万円程度かかります。私立はもっと高いでしょう。二人の子供の場合、その保育料を捻出できる給料のよい職場は どこにあるのですか。現状の日本では、小さい子供が2人以上もいて女性が安心してに働ける職場は数少ないと思います。

それと保育所や保育士の待遇の問題も早期に解決しなければならない事項です。こんな刺戟的なブログを記載しますと、批判の意見も投稿されると思います。校長先生が旭日旗を校門に掲げた問題とは別の次元で論じられるべき内容なので省きました。下記に校長先生の発言内容を記載します。

「全校揃った最後の集会になります、今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げてよく聴いて下さい。

女性にとって最も大切な事は、子供を二人以上産むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。

何故なら、子供が産まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、子どもを産むことができません、男性には不可能な事です。

「女性が、子どもを二人以上産み、育てあげると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。

子育ての後、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。

もし、体の具合で、子どもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれない子供を里親になって育てることは出来ます。

次に、男子の人も特によく聴いて下さい。子育ては必ず夫婦で助け合いながらするものです、女性だけの仕事ではありません。

人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。

少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。やっぱり結論は「今しっかり勉強しなさい」ということになります。」


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