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愛犬の鍼灸治療

愛犬の鍼灸治療
私の体調が悪いこともあり、それに比例して愛犬トイプードルのルークも腰痛が再発し一時は動けなくなってしまいました。獣医の先生に診察してもらったのですが、痛み止めの投薬だけの治療でした。以前から思っていたのですが、犬にも鍼治療を施すと効果があると学会の報告もありましたので、鍼治療をすることにしました。

動物に鍼治療をするのには、経穴の選び方や刺激の度合いが分かりません。それで私が講師をしている森ノ宮医療学園専門学校の鍼灸学科に通学されている獣医の先生に往診を依頼しました。早々に往診に来て頂き、ルークの背中と両足に鍼治療と背中の経穴に温灸治療をしてもらいました。

今年13歳になる男の子の犬ですが、気持ちがよいのかおとなしく治療を受けていました。獣医の先生から犬の鍼灸治療の仕方を伝授していただき、私が愛犬に治療することになりました。毎日、治療しましたところ日に動けるようになり、今では腰痛が嘘のように少しの距離の散歩まで行けるようになりました。

今でも週に1回治療しています。恐がらずに私の鍼灸治療を受けています。人間と違い弱い刺激で鍼治療をしています。さらに鍼を刺さない皮膚表面を擦る接触鍼もしています。今回のことでわかったことは人間も動物も年を取れば白内障も腰痛も膝の痛みも同じように発病するということです。その治療に東洋医学、その中でも鍼灸治療は効果が抜群であると思いました。

2日前に獣医の先生に往診してもらったときに愛犬ルークが元気になっていたので驚かれていました。毛艶もいいのでこのまま鍼治療を続行してくださいと指導を受けました。獣医の先生は犬猫の他にも馬にも鍼灸治療もしておられています。また動物の漢方薬の治療も研究されています。

私は神職以外に鍼灸師・柔道整復師の免許を取得して鶴見神社の境内地に鍼灸治療所を開業して施術に従事していますが、獣医の免許を取得していませんので他の動物に鍼灸治療をすることについては違法になると思います。しかし獣医の先生に鍼灸の技術を教えることは可能ですので要請があれば指導したいと思っています。

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友の帰幽

友の帰幽
友人の帰幽のショックで3週間前から体調を崩しています。6月に入り神社関係の会議が4日連続してありました。体調が良くない状態で心配していたのですが、何とか乗り切れました。そのためにブログを休ませてもらいました。

先月の5月2日、皇學館大学の九州の同級生が病気で帰幽しました。訃報に接し、私は涙が溢れてどうしようもなかった、痛恨の極みです。私と彼との出会いは、全国の大学が学園紛争で吹き荒れた昭和44年4月に皇學館大学へ入学したときからでした。あれから48年になります。思えば、歳月の速さに驚くばかりです。

彼とは仲が良い友達ではなく、酒を飲んでは議論し目的は同じなのですが、方法論が違いよくけんかしたものです。私たちの目的は我が国の戦後処理を決定したヤルタ密約とポツダム宣言によつてもたらされた戦後体制を打破し、正統かつ常識的なる国家体制の回復を第一義として、皇室を中心とした自由で平和かつ豊かな道義国家建設が目的でした。

彼の父上は官幣大社の宮司までされた人物です。普通に神職の修行に励んでいればよいのに、どこで方向が違ったのか、私も彼も共に武闘派と呼ばれることが大好きで行動的な民族派の活動をしていました。

大学卒業後、彼は沖縄県の神社の宮司をしておりましたが、行動右翼から一目を置かれていました。亡くなられた野村秋介さんや中村武彦先生に可愛がられ、その方面の人たちからも慕われていました。

たまに行動右翼の人たちと飲んでいますと、彼からの携帯電話がかかり、「誰と飲んでいるんや」、「○○君と飲んでいる」と返答すると「なぜ○○を知っている。そいつと電話を代われ」というので携帯電話をわたすと途端に緊張し彼にむかって「先生、お元気でしたか」という態度でした。

その方面では彼は有名人でした。世間では私のことを新右翼、彼のことを純粋右翼と呼んでいました。彼はぶれることなく純粋に日本を憂い、彼なりの活動を死ぬまで続けていました。

この平和すぎる日本。平和すぎて悪いわけではありませんが、いまの日本には、平和公害が余りにも多いと思います。私も彼も一貫して「平和を望むならば、戦いに備えよ」、命にかえて守るべきものそれは歴史と伝統の日本であるとぶれずに主張してきました。

彼の風貌は頭は少し禿げ上がり、メガネをかけて口ひげとあごひげがあり、一見して恐そうに見えますが、九州で有名な写真家でもありました。筋道の通らないことは一切やらず、仁義を重んずる草莽の士でした。こわもての風貌とは違い常に礼儀正しく微笑みの絶えない人物でした。神宮参拝禊会を主催して、毎年民族派の有志たち100名前後集めて国家の安寧と回天維新の祈願の後、五十鈴川で禊を敢行していました。

考えてみれば亡くなった三浦重周と風貌は似ているのですが、彼は議論より実践してゆくタイプでした。彼は私と違い「武」の人間です。「武」とは花と散ることに意義があり、「文」とは不朽の花を育てることに意義があると思います。国難いよいよ迫り来る我が国の情勢の中、彼は最期まで、このまま座して朽ちてはならないと思っていました。彼からは自覚と信念、生涯をとおして変革者しての活動を続けることの大切さを学びました。

はからずも闘病の甲斐も無く平成28年5月2日、帰幽となってしまいました。心から哀悼の意を表します。





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