So-net無料ブログ作成

7月20日は「月面着陸の日」。

7月20日は「月面着陸の日」。
梅雨も明けて大阪の気温は33℃で高気圧に覆われて概ね晴れています。暑い日が続いています。今日の7月20日は「月面着陸の日」です。47年前の1969年(昭和44年)7月20日、日本時間では7月21日早朝のことでした。この日、アポロ11号が月面の「静かの海」に着陸し、人類が初めて月面に降り立ちました。人類史上初の月面着陸は、米国のアポロ11号計画における船長ニール・アームストロングと月着陸船操縦士エドウィン・オルドリンによるものでした。

1969年7月20日、この日、司令船操縦士マイケル・コリンズが月周回軌道上の司令船コロンビアで待機する中、二人の乗り込んだ月着陸船イーグルは司令船から切り離され、7月20日午後4時17分(東部夏時間)、月面に着陸し21時間30分滞在しました。

アームストロング船長が月面へ足を踏み出した際に最初に発した言葉が有名です。

「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind)」とのメッセージを地球に送ってきました。

当時、私は皇學館大学文学部国史学科1年生で、夏の神務実習で名古屋市の熱田神宮に20日間の予定で滞在していました。昼食時、熱田神宮の食堂の白黒テレビでアームストロング船長とオルドリン飛行士が人類史上初めて月面に降り立った模様が放送されていたので見ました。

38万キロ離れた月からの宇宙中継は、世界中の6億人がリアルタイムで見たといわれております。日本で月面着陸の瞬間を同時中継で見た人は、NHKの調査によると、NHK・民放合わせて68.3%となっています。

ところで我が国は宇宙航空研究開発機構(JAXA)が小型月着陸実証機SLIM(仮称スリム)の研究開発を進め、2019年度を目途に月面着陸を行うとともに、2020年代初頭に月南極探査を目指す方針で、今年いよいよスタートしました。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2003年10月、宇宙科学研究所(ISAS)・航空宇宙技術研究所(NAL)・宇宙開発事業団(NASDA)が統合され誕生しました。これにより、宇宙航空分野の基礎研究から開発・利用に至るまで一貫して行うことのできる体制になりました。所管庁は、総務省及び文部科学省です。2015年4月、独立行政法人から国立研究開発法人へと組織替えをしました。本社は東京都調布市にあります。ここの組織はお金がないことで有名です。今後の活躍を期待します。

nice!(0)  コメント(0) 

「終活」について

「終活」について
「万葉集」巻10・1884・1885に下記の短歌があります。作者不明です。

冬過ぎて 春し来れば 年月は 新たなれども 人は古りゆく    1884

解釈しますと、冬が過ぎて 春が来ると 年月は新しくなるけれど 人は年老いてゆく。
この歌は老いの寂しさを詠んでいます。作者は老いを自覚しながらも人生を前向きにとらえています。

物皆は 新たしきよし ただしくも 人は古りにし よろしかるべし 1885

解釈しますと、物はみんな新しいのがよいです。ただし人だけは年を取るのがよろしいのです。私みたいにこの作者もつっぱっています。そこがこの短歌のよいところです。

私は普段老いについてあまり意識していませんが、五月から体調の悪い日々が続き、友人が帰幽したのも一つですが、先々に対する不安を覚えることがあります。年を取り知識と経験では若い人たちに負けないつもりですが、決して古いほうが良いと口に出すことはできません。

でも、たとえ空元気でもいいから、前向きに過ごしていきたいと願っています。明日は明日のこと、今日の日を大切にしたいと思います。

厚生労働省のデーターを見ますと、日本人男性の平均寿命がとうとう80歳を超えてしまいました。女性の平均寿命は86.61歳と世界一を誇っています。元気で長生きは大いに結構なことだと思います。しかし寝たきり老人も含めて100歳以上の高齢者が約6万人もおられます。その87%は女性の高齢者です。現実に日本は長寿時代です。悪く言えば高齢者時代を迎えたのです。

最近、「終活」という言葉もよく耳にします。「終活」とは、「人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うこと」です。例えば、自分のお葬式やお墓について考えておいたり、財産や相続についての計画を立て、身辺整理をしておくといったエンディングとしての内容です。

これらの活動を行うことで残された家族に迷惑をかけることも無く、よりよく上手に美しく健やかに歳を重ねていこうという意味のウェル・エイジングとしての活動とがあります。

ところで私も今年で66歳になります。ぼちぼち「終活」の「老い支度」を考え始めています。官幣大社に勤務していた同期生もほとんどが退職しています。私も70歳で宮司を退職し禰宜の長男に宮司を譲る予定にしています。

この話しを氏子崇敬者に致しますと「宮司さんは後継者がおられるから有り難いことです」と、また神職以外の宗教家たちには「後継者が見つからずに廃寺となる寺院が多い中、結構なことですね」と言われました。

私は社家の長男に生まれたことにより大阪府神社庁が経営母体の浪速高校を卒業し皇學館大学に入学しました。そして神職となりました。浪速高校から国学院大学や皇學館大学に学び神職となるコースが大阪の社家出身の神職の王道です。

しかし社家といってもそれだけでは生活していけない神社も多くあります。社家が皆神職専業でやっていくわけではありません。それで大学にいかずに講習会で取って、兼業でする人も多いです。専業であれ兼業であれ社家には大きな役目があります。

祝詞の中には、「子孫の八十続(うみのこのやそつづき)」という言葉がたくさん出てきます。親から子へ、子から孫へと無限に「生命のリレー」は繋がり広がって行きます。神社の歴史は地域の歴史でもあります。社家出身の神職には神社神道や日本の伝統、それと生まれ育った地域の歴史を語り継ぐ受け継ぐ使命があると思います。地域の歴史を知りたければ先ず社家の神職に聞くことが一番良いと思います。

私にはもう一つ語り継がなければならないものがあります。それは「楯の会事件」のことです。昭和45年11月25日、三島由紀夫先生・森田必勝両烈士が自決されて46年にもなります。バルコニーでヤジられている先生の顔や森田さんの姿は決して忘れられることはありません。

今は毎日悩むことはありませんが、何かの拍子に悔しさと無念という想いが重くのしかかります。正直言って十字架を背負って生きてきました。先生の命令書は私の中で現在でも生きています。命令書は二つに要約されます。

一、三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘せよ。
一、皇国日本の再建に邁進せよ。

先生が言っておられた「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」(昭和45年7月7日、産経新聞に寄稿テーマされた随想「私の中の25年」より)、中間色、富裕な、抜け目がない、或る経済大国にならないためにも先生や森田さんのことを語り継ぐことが大切だと思っています。





nice!(0)  コメント(0)