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旧正月に参拝された2名の剣士

旧正月に参拝された2名の剣士
本日、旧正月です。早朝から神殿において旧正月の祝詞を奏上しお祀りを執り行いました。以前、兼務していた大阪府下の神社では旧正月元旦を迎えるに際して、旧暦の大晦日に斎戒沐浴して午後10時ごろから「おこもり神事」を行いました。午前零時に「招神祭」を執行し神殿で「天照大御神」を三度叫んで歳神様をお迎えし、新しき年を氏子さんの家族が幸福と健康でありますようにと祈念していました。

 旧正月、中国で言えば春節は、本来の正月です。明治維新前の日本では旧正月で新年を迎えていました。明治維新後、政府が「太陰暦」を「太陽暦」に変えてから、現代の正月になりました。

 ところで鶴見神社の敬神婦人会は明日の旧暦の正月二日(新暦で1月29日)、今年の恵方、北北西に御鎮座されている京都府亀岡市の元出雲大神宮へバス2台で初詣に行きます。

旧正月の本日土曜日ということもあり、今年厄年になられた方々が早朝より御祈祷に来られました。また午後2時には子供さん対象のイベントグループ「月華」の2名の剣士が平成29年度の安全祈願の御祈祷に来られました。

男の剣士は「三日月」、女の剣士は「月読み」といいます。男女2名の剣士が子供たちに夢と希望を与えられることと自分たちの安全と元気で子供たちの前で演技ができますようにと祈念されました。
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歯固めの石の風習

歯固めの石の風習
お食い初め(おくいぞめ)とは、新生児の生後100日目に行われる儀式です。お食い初めはこの子が一生、食べ物に困らないようにという両親が願いをこめて行われる儀式です。
当社の氏子地域では「はし初め」の祝いともいわれています。 

赤ちゃんには、ただ食べさせるまねをするだけですが、赤ちゃんの長寿にあやかるために祖父母のなかでもっとも長寿の人に頼んでいました。核家族が進んでお父さんがする場合もあります。赤ちゃんはこのとき母親が抱いてやります。
 
食い初めの料理は、昔のしきたりでは、本膳は一汁三菜といってご飯を山盛りにしました。
最近では、赤飯に尾頭つきの鯛と離乳食中心の献立でもあるようです。

次に歯固めの儀式がありますがとても簡単です。「歯固めの石」に、お箸を軽くちょんちょんとあてます。そのお箸を、「石のように丈夫な歯になりますように」という願いを込めながら、赤ちゃんの歯茎にやさしく、ちょんちょんとあてるだけです。石を赤ちゃんの歯茎に直接あてることは致しません。誤飲のおそれがあるのでしてはいけません。

当社の氏子地域では石ではなく硬くなった小さな丸餅を使います。「歯固めの丸餅」なのです。「硬い丸餅でも噛める丈夫な歯になりますように。食料にこまらないように」という願いを込めます。

 郷土の風習を知らないお母さんたちが1ヶ月に数回、「歯固めの石」を貸して下さい、と当社に来られます。この周辺では「歯固めの石」ではなく「歯固めの丸餅」と一応に説明しています。しかし両親や祖父母がインターネットで検索されていますのでメジャーな「歯固めの石」をかりられます。

また当社ではお宮まいりのお下がりで差し上げた「お食い初め招福御箸」で歯固めの儀式でお使い戴ければ、無病息災、健やかな成長が叶うとされています。両親も健康の源である歯がいつまでも赤ちゃんが健康であるよう祈念して使用されています。

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「比翼の鳥、連理の枝」は夫婦円満を意味する。

「比翼の鳥、連理の枝」は夫婦円満を意味する。
平成29年・皇紀2677年は丁酉の年です。「酉年」ですので鳥に関するお話しをします。「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」。これは、中国唐代の詩人白居易(白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な漢詩の一節です。安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝と楊貴妃の愛のエピソードを歌ったものです。

「比翼の鳥」は、一眼一翼(一説には、雄が左眼左翼で、雌が右眼右翼)の伝説上の鳥です。地上ではそれぞれに歩きくますが、空を飛ぶ時はペアになって助け合わなければならなりません。このことから、後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」に譬えるようになったと言われています。

 一方、「連理の枝」は、東晋(317-420年)に著された小説集「捜神記」(そうじんき・干宝が著した小説集)のある説話に由来してます。「連理の枝」は並んで生えている二本の木が、枝の部分で一つに繋がっているという伝説上の樹木のことです。

戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)と夫人の何氏はとても仲の良い夫婦でした 
。当時の宋の国王、康王は酒色におぼれ暴君として有名でした。康王は美貌の才媛何氏を気に入り自分の女性にしょうとして韓凭を監禁してしまうのでした。そして何氏は康王と出かける際に高台から飛び降り自殺し、夫の韓凭も跡を追うように自らの生命を絶ったのでした。

愛し合っていた夫婦を死に追いやった康王は激怒し、この二人を同じお墓には入れず別々に埋葬したのです。それから数日後、それぞれの墓から木が生えてきて、枝が互いに結び根もつながってからみついたました。そして、その木の上ではつがいの鳥が何とも物悲しい声でさえずりあっていた、ということでした。

 当社の境内に「連理の木」と呼ばれいる「夫婦楠」があります。樹齢数百年の2本の楠木が2メートル間隔で植えられているのですが、長い年月の間に根っこが地中深く絡み合ってしまいました。一つの根っこで2本の楠木が生きている状態です。地上で2本の楠木の枝も連なり手をつないでいるように見えます。そのことから「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として信仰の対象ともなっています。2本の楠木も大阪市指定の保存樹になっています。

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