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ようやく1月が終わりました。

ようやく1月が終わりました。

 ようやく忙しかった一月も終わり2月に入りました。今年の正月三が日は、天候に恵まれ初詣参拝者数は、ほぼ例年通りと思われます。正月三が日、例年にはない朱印希望者の増加がありました。神社参拝の証としての朱印があると思うのですが、最近の現状をみれば「朱印集め」が主たる目的となっているように思えてなりません。当社において拝礼も行わず朱印集めの行為のみに来社された事例も多くあります。朱印帳集めの趣味だとしか考えられません。

 そのようなお方には神さまに対しての畏敬の念を感じ取ることはできません。しかし朱印帳を機会にして当社との関係が深まり、昇殿参拝や神棚の奉斎もされている事例もあります。

また正月飾りについての問題もあります。飾り付けを取り外し「どんと」「左義長」などと呼ばれる行事を通じて「お焚き上げ」が行われてきた歴史があります。当社でも30年前には「お焚き上げ」を行っていたのですが、宅地化や高層住宅の増加により防災上の問題から「お焚き上げ」が困難となり中止しました。
 
 さらにモラルの問題もありました。正月飾り以外に「鏡餅」「干し柿」「みかん」「年賀状」「結納品」「弔電」「人形」等を「どんと」に持ち込まれました。そのこともあり30年前に中止となりました。

参拝のマナーについては若年層、ネット世代は比較的マナーは良いと思います。毎年のことなのですがお正月と言うこともあり、今年はお酒を飲んで酔っ払って参拝に来られトラブルを起こす中年世代の男性が少なかったと思います。

初詣をはじめとする正月行事は神社への関心を高める機会です。宮司として、そのなかで垣間見られる変化を見過ごすのではなく、細かな事象をいかに認識し、どのやうな手段を講じて夏祭・秋祭、そして来年のお正月を臨むのかを考えています。

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旧正月に参拝された2名の剣士

旧正月に参拝された2名の剣士
本日、旧正月です。早朝から神殿において旧正月の祝詞を奏上しお祀りを執り行いました。以前、兼務していた大阪府下の神社では旧正月元旦を迎えるに際して、旧暦の大晦日に斎戒沐浴して午後10時ごろから「おこもり神事」を行いました。午前零時に「招神祭」を執行し神殿で「天照大御神」を三度叫んで歳神様をお迎えし、新しき年を氏子さんの家族が幸福と健康でありますようにと祈念していました。

 旧正月、中国で言えば春節は、本来の正月です。明治維新前の日本では旧正月で新年を迎えていました。明治維新後、政府が「太陰暦」を「太陽暦」に変えてから、現代の正月になりました。

 ところで鶴見神社の敬神婦人会は明日の旧暦の正月二日(新暦で1月29日)、今年の恵方、北北西に御鎮座されている京都府亀岡市の元出雲大神宮へバス2台で初詣に行きます。

旧正月の本日土曜日ということもあり、今年厄年になられた方々が早朝より御祈祷に来られました。また午後2時には子供さん対象のイベントグループ「月華」の2名の剣士が平成29年度の安全祈願の御祈祷に来られました。

男の剣士は「三日月」、女の剣士は「月読み」といいます。男女2名の剣士が子供たちに夢と希望を与えられることと自分たちの安全と元気で子供たちの前で演技ができますようにと祈念されました。
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歯固めの石の風習

歯固めの石の風習
お食い初め(おくいぞめ)とは、新生児の生後100日目に行われる儀式です。お食い初めはこの子が一生、食べ物に困らないようにという両親が願いをこめて行われる儀式です。
当社の氏子地域では「はし初め」の祝いともいわれています。 

赤ちゃんには、ただ食べさせるまねをするだけですが、赤ちゃんの長寿にあやかるために祖父母のなかでもっとも長寿の人に頼んでいました。核家族が進んでお父さんがする場合もあります。赤ちゃんはこのとき母親が抱いてやります。
 
食い初めの料理は、昔のしきたりでは、本膳は一汁三菜といってご飯を山盛りにしました。
最近では、赤飯に尾頭つきの鯛と離乳食中心の献立でもあるようです。

次に歯固めの儀式がありますがとても簡単です。「歯固めの石」に、お箸を軽くちょんちょんとあてます。そのお箸を、「石のように丈夫な歯になりますように」という願いを込めながら、赤ちゃんの歯茎にやさしく、ちょんちょんとあてるだけです。石を赤ちゃんの歯茎に直接あてることは致しません。誤飲のおそれがあるのでしてはいけません。

当社の氏子地域では石ではなく硬くなった小さな丸餅を使います。「歯固めの丸餅」なのです。「硬い丸餅でも噛める丈夫な歯になりますように。食料にこまらないように」という願いを込めます。

 郷土の風習を知らないお母さんたちが1ヶ月に数回、「歯固めの石」を貸して下さい、と当社に来られます。この周辺では「歯固めの石」ではなく「歯固めの丸餅」と一応に説明しています。しかし両親や祖父母がインターネットで検索されていますのでメジャーな「歯固めの石」をかりられます。

また当社ではお宮まいりのお下がりで差し上げた「お食い初め招福御箸」で歯固めの儀式でお使い戴ければ、無病息災、健やかな成長が叶うとされています。両親も健康の源である歯がいつまでも赤ちゃんが健康であるよう祈念して使用されています。

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「比翼の鳥、連理の枝」は夫婦円満を意味する。

「比翼の鳥、連理の枝」は夫婦円満を意味する。
平成29年・皇紀2677年は丁酉の年です。「酉年」ですので鳥に関するお話しをします。「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」。これは、中国唐代の詩人白居易(白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な漢詩の一節です。安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝と楊貴妃の愛のエピソードを歌ったものです。

「比翼の鳥」は、一眼一翼(一説には、雄が左眼左翼で、雌が右眼右翼)の伝説上の鳥です。地上ではそれぞれに歩きくますが、空を飛ぶ時はペアになって助け合わなければならなりません。このことから、後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」に譬えるようになったと言われています。

 一方、「連理の枝」は、東晋(317-420年)に著された小説集「捜神記」(そうじんき・干宝が著した小説集)のある説話に由来してます。「連理の枝」は並んで生えている二本の木が、枝の部分で一つに繋がっているという伝説上の樹木のことです。

戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)と夫人の何氏はとても仲の良い夫婦でした 
。当時の宋の国王、康王は酒色におぼれ暴君として有名でした。康王は美貌の才媛何氏を気に入り自分の女性にしょうとして韓凭を監禁してしまうのでした。そして何氏は康王と出かける際に高台から飛び降り自殺し、夫の韓凭も跡を追うように自らの生命を絶ったのでした。

愛し合っていた夫婦を死に追いやった康王は激怒し、この二人を同じお墓には入れず別々に埋葬したのです。それから数日後、それぞれの墓から木が生えてきて、枝が互いに結び根もつながってからみついたました。そして、その木の上ではつがいの鳥が何とも物悲しい声でさえずりあっていた、ということでした。

 当社の境内に「連理の木」と呼ばれいる「夫婦楠」があります。樹齢数百年の2本の楠木が2メートル間隔で植えられているのですが、長い年月の間に根っこが地中深く絡み合ってしまいました。一つの根っこで2本の楠木が生きている状態です。地上で2本の楠木の枝も連なり手をつないでいるように見えます。そのことから「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として信仰の対象ともなっています。2本の楠木も大阪市指定の保存樹になっています。

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やっと落ち着きました。

やっと落ち着きました。

今年も残すところ僅かとなりました。12月は師走と言われるように「稲蓬莱」を各企業や家庭に配布する忙しい日が続きました。やっと落ち着きました。そもそも、師走にはどのような意味があるのでしょうか。

師走の語源には諸説があり、正確にはわかっていません。師(僧)が走る説が面白いです。
僧とはお寺のお坊さんのことです。日本には昔から年末になるとお坊さんに自宅まで来てもらい、お経を唱えてもらう風習があります。そのため、お坊さんは年末になりますとあちこちの檀家を回り東西を行ったり来たりと大忙しになります。その様子を見て「師が馳せる」から師走になったという説です。

当社の氏子地域である鶴見・緑地区に「宮司」が着物姿で自転車に乗り「稲蓬莱」を配布する姿で、氏子さんは「もうお正月がくるんやなあ」と実感しています。氏子地域では「司が馳せる」ので師走ということになります。

今年の12月は何かと忙しく疲れてブログの更新もできなかったのです。それと言うのも11月からフル回転で今日まできましたので、おもしろいブログのネタがなかったのです。何か面白いことがあったとしてもそれに気が付く余裕がなかったというほうが正しいのです。

ところで「忙」を「説文解字」で見ますと形声文字、立心偏(心)+亡。つまり「忙」の字は音符の亡は、ないの意味です。おちついた心がない、ということです。心を亡くした状態で、つねに何かに追われ、感じる時間、考える時間がなく心を亡くした状態を指しています。

 さらに、「忙」を分解した「亡」と「心」を縦につなぐと「忘」になります。忙しすぎると鍵やメガネ、携帯電話等の忘れものをしてしまいます。そのことから忙しいときほどお茶などを飲んで「ゆとり」を持つことです。

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今日は11月25日です。

今日は11月25日です。
今日は11月25日です。私はこの時期になりますと涙もろく、うつ状態になります。それと言うのも昭和45年11月25日、自決された三島由紀夫先生と森田必勝さんの命日になるからです。自衛隊市ヶ谷駐屯地での自決から今年で46年も迎えます。

今年で私は66歳になります。先生と森田さんの無念を改めて思い起こし、それに報いるべく精進しようと誓うのが私の思う慰霊祭です。亡くなった三浦重周(前三島研究会事務局長)から「憂国忌」の神事の斎主の要請が度々あったのですが、文士三島由紀夫先生の追悼式の色が濃く、著名な文士や政財界の出席も多く三島ファンの集いのようでした。先生の「作家三島由紀夫に興味のある人間はいらない」という言葉がよぎります。

私の中では楯の会事件ではなく森田事件なのです。そのことから25歳で若き命を絶った森田さんに対する思いが強くあり、昭和45年当時一緒に活動した楯の会メンバーなどで執行されている「野分祭」の方が出席しやすいのです。また民族派の学生として活動していた仲間とも会えます。しかし、今だに十字架を背負っており、なかなか出席できないのです。

昔の仲間もそれぞれ悩んで今まで生きてきた、と思います。毎日悩んでいるわけではないが、何かの拍子にずっしり重くのしかかってくるのです。今でも森田さんや先生のことを思い出すと涙が流れてくるのです。バルコニーでヤジられている先生の顔や森田さんの無念さが伝わってくるのです。

この46年間、森田さんの死の意味は意義は何だったのか、問い詰めた人生でした。森田さんの笑顔を浮かべると落涙を禁じ得ません。


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「神宮大麻」について

「神宮大麻」について
「お伊勢さま」と親しみのある伊勢の神宮は、正式には神宮と呼びます。神宮は、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神、天照大御神さまをまつる皇大神宮(内宮)と、天照大御神さまのお食事をつかさどり、衣食住ははじめ産業の守り神である、豊受大御神さまをまつる豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心とする125のお社の総称です。

伊勢の神宮のお神札を「神宮大麻」といいます。神宮大麻は、毎年暮れになると、みなさんの氏神さまを通じて頒布されます。神宮では、神社本庁、各都道府県の神社庁を通じて、年末までに神宮大麻と神宮暦を全国崇敬者の各戸へ頒布されますが、これに先立ち平成28年9月17日(土)午前10時、内宮神楽殿において、全国の神社庁代表者参列のもとに大麻暦頒布始祭が執り行われました。これ以後、各都道府県の神社庁は随時、大麻暦頒布始祭が執行されます。

これを受けて大阪府神社庁も平成28年11月2日、シェラトン都ホテルにて神宮大麻暦頒布始祭、大阪府神社庁設立70周年の式典がありました。神宮大麻暦頒布始祭の神事に斎主となって斎行させてもらいました。同級生の祭式講師に指導を受け習礼(練習のこと)を繰り返し若手の祭員の神職に協力してもらい無事に執行できました。感謝しています。

ところで新年を迎えるにあたっては、新しい神宮大麻を神棚の中央におまつりします。その意味は、新しいお神札で天照大御神さまをおまつりすることにより、更なる御神威の発揚を願い、より一層の御神徳をいただくためです。
 
この神宮大麻は、年末年始に地元の神社を通じて頒布されています。ブログを読まれています皆さん、「氏神さまのお神札」と「伊勢の神宮のお神札」をおまつりするのが昔からの慣わしです。「氏神さまのお神札」の地域をお守り下さり、広く日本をお守り下さっているのが「お伊勢さま」なのです。

「神宮大麻」は地元の神社からお受けするか、神社の総代の手によって各家庭に頒布されます。





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気の毒な歴代韓国大統領

気の毒な歴代韓国大統領
11月4日の朴槿恵大統領をめぐる疑惑問題について産経新聞の報道を記載します。

 朴氏の友人で女性実業家の崔順実容疑者に対し、機密資料を提供して国政に介入させていた疑惑が浮上。朴氏は大統領就任後の一時期、一部の資料について崔容疑者に意見を聞いていたことを10月25日に認めた。また、崔容疑者は安鍾範前大統領府政策調整首席秘書官と共謀し大統領府が設立に関わった「ミル財団」と「Kスポーツ財団」に資金提供するよう財界に強要していた疑いが持たれている。疑惑発覚後、国民の不満は高まっており、朴氏の支持率は下落を続けている。

なぜ韓国大統領はいつも悲惨な末路を迎えるのか、その理由を私なりに考えて記載します。韓国では朴槿恵(パク・クネ)大統領を含めて11人の11人の大統領が誕生しています。その半数が暗殺や自殺、刑事被告人になっています。

•李承晩(イ・スンマン、初代~3代)
1960年4月19日、不正選挙に反発した民衆のデモにより失脚、アメリカに亡命。

•朴正熙(パク・チョンヒ、5代~9代)
1979年10月26日、在任中にソウルで暗殺。

•崔圭夏(チェ・ギュハ、10代)
1979年12月12日、全斗煥の粛軍クーデターにより辞任。

•全斗煥(チョン・ドゥファン、11代~12代)
1996年8月、粛軍クーデターや光州事件で死刑判決

•盧泰愚(ノ・テウ、13代)
1997年4月、収賄罪で有罪の判決が出て懲役17年。

•盧武鉉(ノ・ムヒョン、16代)
2009年5月23日、故郷にある自宅の裏山から身を投げ死去した。大統領退任後に収賄や不正献金で側近や親族の逮捕が相次いだのが原因といわれている。

大統領の家族の刑事事件
・金泳三((キム・ヨンサム、14代)
次男が利権介入による斡旋収賄と脱税で逮捕。

・金大中(キム・デジュン、15代)
息子は3人全員賄賂で逮捕。

今回の事件で朴槿恵大統領も辞任か続行かは不明です。韓国の憲法では現職の大統領は刑事上の訴追が免除されています。在任中、どのような悪事を働いても訴追されません。しかし退任後は在任中の犯罪について法的責任が問われます。

思うのに朴槿恵大統領の母親、陸英修は1974年8月15日、在日朝鮮人の文世光に暗殺され、父親である朴正煕は側近である金載圭情報長官により暗殺されました。そのことから彼女は大統領になっても側近は信用することは出来なかったと思います。友人の崔順実容疑者が唯一の相談相手だったのでしょう。その気持ちは理解できます。

これまでに韓国は朴槿恵大統領を含めて11人の大統領が誕生していますが、その半数近くが「尋常ではない」辞め方や死に方をしています。韓国の大統領は日本のヤクザ組織の組長と同じ様な感じがします。韓国の大統領もヤクザ組織の組長も権力が集中し、財政や政策、人事に至るまで一人の人間に握られてしまいます。利益追求するならば権力を持った一人の人間に寄り添わないと甘味を味わうことはできません。

巨大組織の組長の場合は引退・病死・殺害などで新しい組長が組織の要として跡を継ぎます。ヤクザ組織の政権が代わりますと組織の重要ポストも一斉に代わります。新組織は新組長の義兄弟などの血縁集団、つまり系列の親分集が幹部として支えます。前組長の配下が新組長の血縁集団に属さない場合は日陰の存在になります。

韓国の大統領の場合、任期は5年で再選はありません。政権が変わると、大統領府の職員も一斉に代わります。そのときの新職員は地縁・血縁・学閥などで足元を固めます。さらに新政権は旧政権の不正を摘発することにより、新政権の存在感の誇示と国民の支持を集めます。この悪習ともいえることが常態化し、大統領引退後の刑事告発や自殺という末路になります。

その点、北朝鮮の場合、選挙もなく任期もなく3代続いた独裁世襲制の金政権です。クーデターでも起こらない限り政権は永遠に続きます。

確か朴槿恵大統領の任期は2018年2月25日だと思います。1年4ヶ月を残して不正が摘発されていることは朴槿恵大統領の権限が弱体化し抑える力が無くなった、と言うことでしょう。

韓国の友人に聞きますと、統一新羅と高麗朝では、歴代国王のほぼ2人に1人が殺されるか非業の死を遂げている歴史があり、血縁以外韓国民同士お互いに信頼関係が薄く、仲がよくない民族だ、ということでした。特に昔の百済地区である忠清・全羅と昔の新羅地区である慶尚は仲が悪いとでした。

為政者がまともに余生を全うできない国が韓国だとも言っていました。





 
 

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北方領土の2島返還は93%の領土を放棄することになる。

北方領土の2島返還は93%の領土を放棄することになる。
安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が今年の12月15日、首相の故郷・山口県で会談することが決まりました。この会談で安倍晋三首相は北方領土問題の前進を図り、一定の成果を出したい考えで、今後、両政府間の協議が活発化することが予想されます。

今回は敗戦後からの北方領土について記します。

昭和20年(1945)8月9日未明、ソ連は我が国に対して、一方的に日ソ中立条約を破棄して宣戦布告をし、満ソ国境に展開する174万人のソ連極東軍に命じて、当時の満州に怒涛のごとく侵略しました。

我が国は同年8月14日に中立国を通してポツダム宣言を受諾し降伏を声明しましたが、ソ連は8月16日には、当時日本領であった南樺太へ、8月18日に千島列島へも侵攻して占領しました。同年9月5日までの間に北方領土のすべてを占領しました。

ソ連の一方的参戦は火事場泥棒と同じ行為であり、それは昭和20年2月11日のヤルタ会談に基づくものでした。米国等の連合国とソ連の間でヤルタ秘密協定を締結し、ドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦および千島列島、樺太などの日本領土の処遇も決定したのです。

我が国はヤルタ会談の開催やヤルタ秘密協定も全く知りませんでした。このことを知っていたならばポツダム宣言の受諾を遅らせたか、戦争続行になった可能性もあります。

ロシア側からすればヤルタ秘密協定で連合国が旧ソ連に参戦する条件として樺太の南部及びこれに隣接するすべての島と千島列島の領有権を認めたので、正当な権利で北方領土を領有していると言うことなのです。

このことからプーチン大統領が来日されても北方領土の問題は解決できないと思っています。

またロシアにとって北方領土を含むオホーツク海は、我が国が考えている以上に対米戦略上の重要な地政学的要素があります。

北方領土で一番大きな択捉島は沖縄本島の3倍の面積があります。次に国後島ですが、沖縄本島よりも大きな島です。次に色丹島、歯舞群島があり、便宜上これらの島を北方四島と呼んでいます。北方四島が返還され場合、一つあるいは二つの県ができるほど大きな面積を持っています。

歯舞群島の貝殻島から納沙布岬までの距離は約3.7キロあります。泳いで渡れる距離なのです。北方領土は我が国の固有の領土です。しかも遠い島の問題ではないのです。国民の関心は低すぎます。

ロシア(旧ソ連)は敗戦後のドサクサに紛れて占領された択捉、国後、色丹、歯舞諸島いわゆる北方領土を占領したのですが、ロシアでは北海道本島の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南、千島海峡までの間に連なる列島をクリル列島と呼んでいます。北方領土は南クリル諸島といっています。

ロシアから見ればクリル列島は太平洋に出られる軍事的要所なのです。冬季にはロシアの太平洋艦隊はオホーツク海に閉じ込められます。しかし冬季に凍らないのが択捉水道と国後水道だけです。さらに、この海域は自由に潜水艦も通行できる深さがあるのです。

ロシアは米国との核抑止力を維持するため、オホーツク海に核弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)を配備しており、ロシア防衛のためにも択捉島、国後島を抑えていることが重要なのです。特に2013年、配備されたR-30という核ミサイルは、新型潜水艦発射弾道ミサイル(БРПЛ)です。実戦配備に伴いSS-N-30と呼ばれています。射程が8000キロです。オホーツク海にいながらにして、潜水艦からアメリカの主要都市を狙える、というわけです。

このようにロシアにとってクリル列島は敵側攻撃原潜の侵入を阻める防衛線であり、太平洋に出て原潜による米国への核攻撃ができる軍事的な要所なのです。北方領土を日本に引き渡してしまうと、米軍の脅威にさらされる事態になってしまいます。

ロシアにとって、北方領土を失うことは自国の安全保障環境を著しく悪化させてしまいます。歯舞諸島・色丹島の2島だけならば軍事的影響はほぼないので、返還される可能性は高いかもしれませんが、歯舞諸島・色丹島の面積は北方領土の7%に過ぎません。

安倍総理に言いたいのですが、プーチン大統領と信頼し合った友人関係にあるということですが、我が国の領土の7%の獲得と93%の放棄のために日露平和条約締結交渉をすることは、英霊を冒涜する行為だと思います。

私には「約束を守らないロシア」というイメージ強いのです。その根拠にあるのがソ連は日本の負けを見越してから、不可侵条約を破って満州や北方領土に攻め入り、あつかましくも米国のトルーマン大統領に、北海道もくれとか日本を半分に分けようなどと提案した国です。また投降した日本兵や民間人を約57万5千人がソ連領内に連行し強制労働させました。極寒での強制労働や飢えなどで約5万5千人が死亡したと推計されています。

すでに安倍総理はプーチン大統領と10回以上も会談されているということですが、日本からの経済協力は戴くが領土の返還には応じないとの結論であれば日本外交の失敗です。安倍総理、プーチン大統領が一体、何を目論んでいるのか、冷静に見極めてください。



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清掃ついて

清掃ついて
昨日、無事に秋祭が終わりました。おかげで「だんじり」の曳行も事故もなく無事に終了しました。本日、大祭の後片付けで忙しく動き回っていました。神殿の四神旗などの飾り物、神職の装束など神事に必要なものは準備に労力と時間が要しますが、不思議に後片付けは短時間ですみます。

後片付けに時間と労力が必要なのは神殿と参集所の清掃、境内の清掃、各トイレ掃除です。今朝も境内にある参拝者専用のトイレ掃除をしていますと、参拝者から「宮司さん、自らトイレ掃除するのですか」といわれましたが、「宮司だからトイレ掃除をするのです」と答えました。

神職の仕事は神さまに奉仕をすることですが、なかでも神域を清浄清潔に保つことが大切です。そのための掃除・清掃は大切な仕事です。神職の仕事は「掃除に始まり掃除に終わる」といっても過言ではありません。私の師匠は若い頃には「天の箒の神」(あめのほうきのかみ)と呼ばれたぐらいに徹底的に掃除をされました。

ただ何も考えずに清掃するのではなく、自分の心の垢も取れていくような気持ちになって清掃しなさい、といわれたことが思い出されます。そして参拝者が境内に入られて「ご神域だ」と言わせしめるほどに目に見えるところはすべて清掃しろと教えられました。それに境内で清掃するだけでも神気に触れることができ元気がもらえます。境内そのものが祓いの場なので、清掃奉仕すれば祓いの効果もあります。

そのことから古来より清掃そのものが神事の前の清祓の一種と考えられているほどです。神域は清浄の気に満ちていなければなりません。不浄のものを長きに渡って放置することは忌むべきことだと思います。








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