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「死に場所難民」と「葬儀難民」について

「死に場所難民」と「葬儀難民」について
平成10年ごろから盛んに「少子高齢化」の社会が到来すると叫ばれてきました。それが現実となり今や「少子超高齢社会」が到来したのです。平成27年国勢調査による人口を基準とした平成29年1月20日の総務省が発表した人口推計(概算値)によりますと、平成29年年1月1日時点での我が国の全人口は1億2,686万人となりました。

我が国の人口数は、平成22年(2010)の1億2,806万人以降、年々下降しています。その一方で上昇を続けるのが高齢化率です。『平成28年版高齢社会白書』によると、平成37年(2025)には総人口が1億2,066万人となり高齢化率が30.3%、2040年には総人口が1億728万人で高齢化率が36.1%、2060年には総人8,674万人で高齢化率は39.9%になります。

思うのですが、「少子超高齢社会」と言いますが、老人たちの「多死社会」でもあるのです。平成26年(2014)の年間死亡者数は約126万人を超えており、団塊の世代が死亡する平成37年(2025)は約154万人、平成47年(2035)は約166万人となると予測されています。

今回は最期は何処で迎えるか、と言うことについて記述します。昭和50年(1975)以降、病院などの医療機関が自宅を上回るようになりました。現在では医療機関での死亡が全体の8割近くとなっています。

しかし、今後私を含めて団塊の世代の死亡者数が増加します。ベット数の増加が見込めないことから、医療機関での看取りはパンク状態になります。介護施設で最期のときを迎える人が増加することになると思います。

そのことから介護職、看護職不足が予想されています。今でも深刻な問題になっています。そのため政府は、入院患者を退院させ、自宅で最期を迎えられる在宅医療を目指す意思を明確に表明しています。老人が在宅で最期を迎えたいという要望をもっているのでそれを叶えるためではありません。超高齢化社会を迎えるにあたって、医療費の高騰を抑えるためです。

すでに病院の長期入院患者に対する診療報酬を国が低下させています。病院側としても長期入院患者では経営が苦しくなります。長期入院患者を入院させていても、これ以上治療しても良くならないという理由で追い出すという事態が起きています。

国の在宅医療ができる環境が整っていなければ今後、大きな問題となります。自宅で患者の看護、介護ができず、また高齢者施設は順番待ちという現状で病院を転々とする患者が増加しています。高齢者施設に受け入れる余裕がないという受け入れ側の収容能力に問題もあるからです。

今後、「治すこと」を目指してきた日本の医療制度を、「自宅で看取る」「介護施設で看取る」という方向に変えてゆかなければなりません。そのために全国各地の訪問看護ステーション、診療所・医院には、在宅療養支援の拡大を目指す必要があります。そして医師のさらなる増員なしには、「高齢多死社会」には対応はできません。

国や自治体が新たな施設と法整備がなければ、急増する高齢者が最期を過ごす場所が不足し、死に場所の見つからない、「死に場所難民」が予測されます。そのことから政府も2025年までに医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現しようとしています。

私は宮司でありながら境内地で鍼灸師・柔道整復師として開業しています。また学校法人森ノ宮医療学園の理事をしております。学校法人の森ノ宮医療大学には看護学科が併設されており、終末期に関わる看護師からいろいろな問題を聞くことがあります。ガン患者に限らず終末期の緩和ケア病棟を神社の境内地にできないか、と聞かれたことがありました。

神職の多くは神葬祭など葬祭に関わりを持つことは少ないので「高齢多死社会」の現状を把握できていないと思います。また「ターミナルケア」という言葉も神職の間で聞くことはあません。「ターミナルケア」とは余命がわずかになった人の終末期医療や終末期看護を指し ます。つまり、「看取り」に向けての医療や看護のことです。「ターミナルケア」では基本的に 延命措置を行わず、痛みや不快な症状の緩和ケアが中心となります。

「ターミナルケア」を行う医療施設は、介護療養型医療施設(療養病床)、病院の緩和ケア病床、緩和ケア病棟(ホスピス)などがあります。介護施設には、介護老人保健施設や特別養護老人ホーム、一部の有料老人ホームなどがあります。

普通は宗教を必要としてない人々も、「死に場所難民」の時代に入りますと死に直面した時は必ず駆け込む場所を探すはずです。それらに対して神社も拠り所にならないのか。キリスト教系の病院・ホスピスは数多くあります。しかし神道系の病院・ホスピスは聞いた事がありません。仏教系では全国で17の病院があり関西では下記の通りあります。

•栄仁会 京都駅前メンタルクリニック - 京都市下京区。宇治おうばく病院の分院。
•田中医院 - 京都市中京区。西山禅林寺派。
•三聖病院 - 京都市東山区。森田療法専門の病院。東福寺境内にある。
•宇治おうばく病院 - 宇治市。萬福寺境内にある。
•あそかビハーラクリニック - 城陽市。浄土真宗本願寺派系。
•東大寺福祉療育病院 - 奈良市。華厳宗(東大寺)系。
•四天王寺病院 - 大阪市天王寺区。和宗(四天王寺)系。

神道系の病院
神奈川県の寒川神社の寒川病院
奈良県の天理よろづ相談所病院

全国に神社は8万社以上あります。神職は約2万2千人おられます。単純に計算しても1人の神職で8社の神社を維持されているということです。私も1社の神社を兼務しています。同期で地方の宮司をしている友人は15社も兼務しています。それも大阪と違い鎮守の森に囲まれ広大な境内を有しています。

心の安らぎとそして瑞々しい生命力を授かる鎮守の森の中で医療機関、つまり介護施設や「看取り」専門の病院、ホスピスに賃貸できないかと。もちろん賃貸料で神社の維持運営もできます。また神職が臨床宗教師としてターミナルケアに関われるのではないかと神社界で提言しています。生まれてきたから、避けて通ることのできない「死」。神職も「看取り」の問題に関わってもいいと思います。

次に「死に場所難民」のほかにもう一つ大きな問題があります。「葬儀難民」の問題です。
大阪市北区に通称「遺体ホテル」と呼ばれる「安置ホテル」があります。イオン系列の会社が運営しています。家族と故人が「最期の時間」をゆっくりと過ごす遺体安置・宿泊施設です。少人数でのお葬式を行うことが可能です。自宅で通夜や葬式を出さないで火葬までの間、家族が遺体と「最期の時間」を過ごせるホテルというコンセプトのもとに約5年前からオープンしています。

その背景には「葬儀難民」という問題を抱えているからです。東京都では葬儀場や火葬場を抑えることができるまで、最長1週間から10日かかります。その理由は深刻な火葬場の不足です。当社の氏子地域の火葬場も満杯で3日間待たされることもあります。「友引」の日は告別式や火葬を避けていましたが、そんなことを言っておられない状況です。

将来、24時間フル回転の火葬場も増えると思います。このままでは火葬までの期間、遺体だけを預かる安置所も増えてくると思います。各自治体が火葬場を増設しないと「葬儀難民」の問題は解決しません。


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「エンディングノート」について

「エンディングノート」について
最近、高校・大学の同級生、幼なじみが亡くなることが多くなりました。年齢的に結婚式に招待されるより葬式の方が多くなりました。それだけ私も年をとったという事です。当然、孫もできていますのでおじいちゃんと言うことです。

昨年、亡くなった友人は12回も手術をしました。おそらく本人はこの世を去ることを覚悟していました。彼から死ぬ前に何度も携帯電話で話すことができ、彼から最期の別れの言葉も聞きました。

今でも悔やまれるのは静岡県に住んでいた大学時代の親友のことです。彼は突然消えるような最期でした。当時、彼は静岡県で高校の校長をしておりました。定年前の12月に癌が発見され、すでに手遅れの状態でした。12月の初めに入院先の静岡の病院へ見舞いに行ったのですが、翌年の1月7日にこの世を去りました。ご存知の通り正月は神社が一番多忙なときで葬式に出られなかったことが今でも悔やまれています。来月に彼が眠る浜松市のお墓に参りたいと思っています。

私事ですが、平成15年4月には先代宮司が8月には母親が亡くなりました。共に高齢でしたので、二人とも死を覚悟していました。両親とも孫に囲まれてこの世を去りました。先代は「エンディングノート」を書いていましたので、「延命措置はいらない」「知り合いの病院で世話になった医師のもとで死ぬ」。また神葬式の斎主まで決めていました。「交通渋滞になるので神社では神葬式はしない。会館で執り行ってほしい」など事細かく書いてありました。

また先代から「お母さんは家族葬で行え」と指示されていましたので、そのように行いました。

先代の場合、医師から余命は3ヶ月と宣告されていましたので、神葬式の準備は完全にできました。母親も夏まで持てばよいかもしれないと宣告されていましたので、両親共に神葬式の準備をしなければなりませんでした。平成15年は人生で一番疲れました。

しかし両親がこの世を去ってからがたいへんでした。先代の「エンディングノート」には書かれていないことがあったのです。書籍は別にして、先代はおしゃれで1年に一回はスーツを誂えていました。靴も特注でした。

先代の身長は165センチありました。私は182センチ、息子は185センチあります。スーツもワイシャツも着ることはできません。いとこ達や親戚も合いません。洋服の始末に困りました。母親は母親で単行本の小説が大好きで何百冊の本と趣味の人形やこけし類が山と有りました。さらに両親たちの手紙も多くありました。

長生きすれば本人たちの思い出が込められた様々な「荷物」が増えて行く物だと思いました。長寿になればなるほどその荷物は増えるばかりです。一番家族にとって困る物は写真やアルバム・手紙です。両親が子供のときの写真や友人たちと取った写真、両親の結婚式の写真など、両親や祖父母の思いがこもっていると、不用意に捨てられないのです。

両親は別にして祖父母の若いときの写真や記念写真などを収めたアルバムを残しても、孫の時代は誰も見ないし誰が写されているのか分からないと思います。今だに大正時代のガラス板のフィルムもあります。祖父母が大好きな瀬戸物のレコード盤があります。落とせば割れますし、回転数が速いので聞く蓄音機もありません。骨董品だけが増えてばかりです。

両親のものだけで、だいたい3tトラック1台分の物品を処分することになりました。

自分がどういう逝き方をしたいのかを家族に伝える「エンディングノート」も必要ですが、
生きている間に不要なものは棄ててほしいものだと思いました。家族が故人の遺品整理に頭を抱えることなことにならないようにすべきです。生きているうちに自分の手でひと思いにすべて捨ててしまうのも方法だと思います。

「エンディングノート」にアルバムや手紙は『遠慮なく捨ててください』と記載してほしいと思います。一筆でもあれば、家族も処分しやすくなります。

亡くなった友人の父親がAVの趣味を持っていて、友人の家族たちが、遺品の整理中に見つけるというケースがありました。『なんだ、おじいちゃんHだったのか』と陰口を叩かれたそうです。友人の母親は『こんな恥ずかしいことはなかった』と言っていました。

子孫のために威厳を保つためにも、元気なうちにキレイさっぱり整理しょう。


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「憲法70歳。何がめでたい」

「憲法70歳。何がめでたい
平成29年5月3日の産経新聞朝刊の第一面の見出しに「憲法70歳。何がめでたい」という記事がありました。

ご存知のことと思いますが、日本国憲法は占領下の昭和22年(1947)5月3日に施行されました。世界中で改正されたことがない憲法が日本国憲法で、施行から70年も経ち世界一の「長寿」となっています。それで産経新聞が皮肉で「何がめでたい」と記事にしたのです。

そもそも日本国憲法を草案したのは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)です。それも8日間で草案しました。その証拠に日本国憲法が英語で書かれた草案が存在しています。日本国憲法は英語で書かれたものを訳したものです。ハーグ陸戦条約には占領軍は占領国の憲法を制定してはいけないとしてあります。しかしそれを無視して草案した為に占領軍は英語で作ったのです。

知られているとおり、日本国憲法の改正には国民投票をすることが定められています。日本国憲法が草案されたときには国民の議論もなし、国民投票を行っておりません。国民の議論もなし許可もなし、国民投票もなし、それで「日本国憲法は国民の信を得ている」、という野党の発言は滑稽です。

また不思議なことに明治憲法と呼ばれている大日本帝国憲法は破棄されていません。占領の言論統制の中で国会の議論や国民投票で破棄することができていないからです。大日本帝国憲法はまだ存在しているのです。どこに存在するかというと、実は日本国憲法の中に存在しているのです。

大日本帝国憲法第73条の改正手続きを利用してほぼ全文を入れ替えて、作られたのが日本国憲法です。簡単に言えば大日本帝国憲法の延長線上に日本国憲法が存在するのです。そうすると日本国憲法は存在しない、と言うことになります。無効なのです。

ところで第23条に「学問の自由は、これを保障する」とあります。学問の自由を保障するならば例えば東京大学などの国立大学への入学制限の入学試験は憲法違反と言うことになります。

そして日本国憲法では憲法を守らなければいけない義務がある対象を具体的に指定します。第99条です。条文を見てみます。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

この条文の中には国民は入っていません。憲法を守る義務があるのは公務員だけです。国立大学の入学試験を実施していている文部科学省と公務員たちは憲法違反になります。

第9条の問題ではなくいろいろな矛盾と問題を持っている日本国憲法を改正されたことが一度もなく、70年間存在すること自体が『世界最古の憲法』と揶揄されているのです。

以下は、先進国におけるこれまでの憲法改正の回数です。

ドイツ:59回
フランス:27回
カナダ:19回
イタリア:16回
アメリカ:6回
日本:0回

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神箸

神箸
4月中、体調が良くないのでご先祖の墓参りを控えていたのですが、昨日ご先祖と父母の奥津城(おくつき・墓のこと)の掃除とお参りに行って来ました。花谷家の奥津城は明治の神仏分離以後、奈良県五條市の山深いところにあります。

自動車で2時間ほどかかります。花谷家では4月30日までに奥津城へお参りし、来年の三月まで毎月一日の月次祭(つきなみさい)や夏祭・秋祭に使用しますお箸の材料、杉の霊木を持ち帰えります。神箸は儀式で神さまに食物を捧げる道具として使われるのです。

帰宅後、霊木を加工して本日の5月1日午前7時に執行される月次祭に使用させていただきました。神箸には神さまと宮司の「間に挟む」意味があります。この神箸は「記紀」にも記述されており、神さまがこれを使って新穀を召し上がるものでした。

当社では5月5日の午後2時からは九鬼稲荷社の祭礼が執行されます。九鬼稲荷社のご祭神は摂津三田藩三代目藩主九鬼隆律(くきたかのり)です。端午の節句には柏餅やちまきを神饌としてお供えしています。先代の頃までには「ぶりの照り焼き」が九鬼隆律さまに神饌として備えしていました。「出世魚」と呼ばれるためです。その時にも九鬼隆律さまが食されるように神箸も横に置いていました。

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1ヶ月間の静養

1ヶ月間の静養
4月に何度か寒の戻りがあり、今年は各地で花の便りが少し遅れました。春の到来を待ち侘びるなかで、理事をしている学校法人森ノ宮医療学園の専門学校・大学で卒業式や入学式があり、さらに当社の年度末の慌ただしい時間を経て、同時に大阪府神社庁が経営母体の浪速中学・高校の役員会があり、そのために4月に入り体調を崩しまして1ヶ月ほど休養を余儀なくされました。

私の持病に「めまい」があります。疲労やストレス、生活習慣の乱れがありますと{めまい}を引き起こします。1年に数回あります。普段は安定した足取りで神さまのご奉仕や鍼灸治療、専門学校の講義、大阪府神社庁の役員会、浪速高校の役員会、学校法人森ノ宮医療学園の理事会など仕事をこなして日常生活を送ることができます。

4月3日の午前2時ごろ、お手洗いのためにベットから立ち上がると、天井がぐるぐる回るような感覚の{めまい}が起きました。その時に吐き気や嘔吐などの症状を伴います。今回は嘔吐が激しく起こりました。何回も同じ症状を経験していますので、自分で頚部のツボに中国の鍼で治療を行いました。

今回の{めまい}も脳幹や小脳などの中枢神経の病気ではなく右側の内耳の病気が原因になっていました。脳幹や小脳などの中枢神経の病気の症状の場合、手足がしびれたり麻痺が生じたり、ろれつが回らない、ものが二重に見えるなどの症状があります。

耳の内耳にある前庭という部分に耳石があり体のバランスをとる働きをしています。私の場合、耳石の異常でめまいと嘔吐が生じます。ベットで寝ながら鏡で自分の目を見ますとぐるぐると目が回っていないので、メニエール氏病ではなく耳石が原因の良性発作性頭位のめまいです。

そこで鍼治療を頚部にした後、わざと{めまい}を起こす方向に頭を動かしてみました。20秒以内に{めまい}が収まりました。立ち上がると軽いめまいはしますが、歩行はできました。

良性発作性頭位は、{めまい}を起こす方に頭位を取り続ければ自然に消失すると言われています。私の場合、偶然に前庭部から三半規管に剥がれ落ちた耳石を前庭部に戻ったのでしょう。

過去に何度も頭部のMRIの検査を受けて頭部に異常のないことを知っていたので安心はしていました。ところが午前6時ごろ、起床して立ち上がると再び「めまい」と嘔吐があったために知り合いの耳鼻科の先生に受診し点滴を受けました。良性発作性頭位めまい症の場合は、2~3週間で自然と治るから、心配はないと言われました。「宮司さん、役職が多く周囲から見ても働きすぎです。自宅で3週間ほど安静にしてください」と言われました。

この4月前半から後半まですべての会議は欠席し、PCも見ないように本も読まないように生活していました。携帯電話のラインや通話だけはしていました。また神社の鍼灸院は休まず治療は続けていました。月に1度の敬神婦人会の勉強会の講師もしました。週に1回の専門学校の講義も休みませんでした。

しかしテレビは見ない、本は読まない、PCは使用しない、懇親会や会議は欠席し静養に努めました。退屈な1日だと思われますが、好きなジャズを聴いたり、神殿では白川流の呼吸法や大祓を奏上したりして、とても有意義な時間を過ごすことができました。

ところで「めまい」は古くは「めまひ」という言葉で「め」は目のこと、「まひ」は「風のようにまふ」の意味で「まふ」は「回」の「まわる」に通ずる言葉です。




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「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
明治38年 (1905)5月27日午前4時45分、五島列島沖で警戒中の信濃丸は、ロシアのバルチック艦隊を発見、連合艦隊に「敵艦隊見ユ」との第一報を打電します。バルチック艦隊発見の報告を受けた連合艦隊の東郷平八郎司令長官はすぐさま全艦隊に出動を命じると同時に大本営に宛てて秋山真之(あきやまさねゆき)参謀が発信した電文が「名文中の名文」として有名です。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

秋山真之は司馬遼太郎作「坂の上の雲」の主人公となった人物です。親友には正岡子規がいました。

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」、漢字を含めて13文字、ひらがなのみでも僅か20文字という短さの中で、天気がよく視界も鮮明であるため、すべての敵艦が見渡せる、砲撃にとっては好条件であるが、波が高いためにバルチック艦隊からの砲弾は我が艦隊に命中させることは困難である。しかし波が高いので我が艦隊の小型艦艇や水雷艇、機雷を2個つないだ連係機雷は使用できないという意味があります。

たったこれだけの短い言葉で重要な意味が込められていました。同じ言葉を引用した人物がいます。東京都議会の百条委に向かうにあたり、石原慎太郎元都知事は平成29年3月20日正午前、自宅前で記者団に心境をきかれ「天気晴朗なれど(も)波高し」と答え、続いて「君らは教養がないから分からんだろ」とメディアに皮肉をお見舞いしました。

そもそも君たちマスゴミが愚かで怠慢で、都政を見張っていなかったから、こんな状態になったんだろう、という意味があるように思えます。

平成29年3月23日、国会で森友学園の籠池泰典理事長の証人喚問が開かれます。籠池氏の証人喚問は午前10時から参議院で、午後2時50分から衆議院で、それぞれ2時間あまり行われます。国有地売買の経緯や安倍晋三首相、稲田朋美防衛大臣ら政治家との関わりなど、喚問されると思います。

証人喚問前に記者団から籠池泰典理事長の心境を聞かれて、彼がどのように答えられるのか楽しみにしています。前述の秋山真之参謀の電文の「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」と言い出しそうで楽しみです。



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13年前に起きたことの国会答弁

13年前に起きたことの国会答弁
買い物しようと氏子地域にあるイオンモール鶴見店まで出かけたら、肝心な物を買うのを忘れてしまったことがあります。携帯電話の置き忘れは常にありますが、発進すれば音で置き場所が分かります。常に老眼鏡は忘れ物になっています。これでも若い頃は友人の電話番号を100人程度記憶していました。今はすべて忘れてしまっています。

地下鉄に乗りますと車中で「宮参りのときに子供がお世話になりました」「地鎮祭のときにはお世話になりました」と氏子さんに言われるときがありますが、ほとんど記憶に残っていません。40年間、教師をしていますが教え子の名前はほとんど覚えていません。顔も記憶にありません。

昔の親友との思い出やそのときの会話は驚かれるくらい覚えています。興味が無かったり、思い出す必要が無い事柄は、思い出せないのは当たり前だと思います。ましてや今から13年前の出来事など記憶にありません。

2004年の民事訴訟に夫の代わりに原告側代理人として出廷したことなど記憶になくて当たり前だと思います。稲田防衛相は3月14日午前の参院予算委員会理事会で、学校法人「森友学園」が起こした民事訴訟の口頭弁論に原告側代理人として出廷したことを認め、学園の裁判に関わったことはないとする国会答弁を撤回し、謝罪する考えを自民党理事を通じて各党に伝えました。

今年は2017年です。今から13年も前の事です。そんな古いことまで覚えていないでしょう。しかも稲田防衛相は、当時は弁護士であり国会議員ではありません。しかも何でこんな事が問題になるのか?不思議でなりません。森友学園に関する問題はマスコミ、間違いましたマスゴミと野党は鬼のクビでも取ったかのような大騒ぎです。
 
    虚偽発言で稲田は辞職だ!安倍総理は任命責任があるから辞職せよ!

13年前の事を今起きているかのような報道し、国会は国会でそれを取り上げて責任論と結びつけるなど、本当に程度が悪すぎるとしかいいようがない、と思います。

ところで私は、13年前に大阪府神社庁渉外委員長として大阪地裁で民事訴訟の靖国神社訴訟に被告側に出席したということですが記憶にありません。








 

 


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古くて新しいもの、新しくてふるいもの

古くて新しいもの、新しくてふるいもの
47年前のお話しです。私が皇學館大学文学部国史学科の学生の頃、「神道概論」など神道に関することは谷省吾先生から学びました。伊勢市古市にあるご自宅にも何度か伺いし神道に関することを教えていただきました。

 伊勢神道(度会神道)の根幹である『神道五部書』(しんとうごうぶしょ)の一つで『倭姫命世記』(やまとひめのみことせいき)があります。記載されている有名な言葉があります。『倭姫命世記』は建治・弘安(1275-1288年)の頃、豊受大神宮(外宮)の神職、渡会行忠(わたらいゆきただ)の撰になったものとも言われています。その中の下記の言葉を谷先生から教わりました。

件(くだん)の童女(おとめ)宇太(うだ)の大采禰奈(おほうねな)を大物忌(おおものいみ)と定め給(たま)ひて、天磐戸(あめのいわど)の鑰(かぎ)を預(あずか)り賜(たま)はりて黒心無(きたなきこころな)くして、丹心(あかきこころ)もちて、清く潔(いさぎよ)く斎(ゆま)はり慎(つつし)み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り、右に廻(めぐ)る事も、万事(よろづのこと)違(たが)ふ事なくして、大神に仕え奉れ。元(はじめ)を元(はじめ)とし、本(もと)を本(もと)とする故(ゆえ)なり。

解釈しますと、神さまに仕える時には左に置くものは右に置かず、左に置くものは左に置き、不自然なことをしない、と説いています。「左左右右(ささうう)」と言う自然なことを行い、不自然なことはしない、伝承させていることを行いなさいと説いています。

 また「元を元とし、本を本」、略して「元元本本」は、人々の「いのち」は、神々につながる「いのち」であり、そのことから常に自覚しなさい。その「根元」から「いのち」の出発があり、民族も国家も文化も神々からいただき成り立っているので、神々をまつり、神々に祈ることを受け伝えなさい、と『倭姫命世記』は教えています。

 谷先生は、「変化が激しい時代の中で、変化をしないものを探し続けなさい。神道は古くて新しいものであり、新しくて古いものである。神宮の式年遷宮も常若の思想である」と教えてもらいました。

 皇大卒業後、神社に奉職し、夜間に東洋医学系の専門学校に通い、柔道整復師・鍼灸師の国家資格を取得しました。東洋医学を学ぶ動機は「古くて新しいものであり、新しくて古いもの」であることが神道と共通していたからです。

神職でありながら中医学を学ぶために社会主義が徹底していた時代の中国留学もしました。気がつけば神職でありながら柔道整復師・鍼灸師の専門学校と大学を有する学校法人森ノ宮医療学園の教員や理事となっていました。年を重ねてもどこかに谷先生の言葉が頭にありました。

 ところで私が50歳前後までに先代宮司も義父宮司も帰幽しました。二人とも共通していることは、常に世代交代の時期を考えていました。それは「どのようにお宮をお守り続けるか」ということでした。二人とも「自分の代だけが運営できればよい」とは考えてはいませんでした。孫の代のことまで真剣に考えていました。

いつか世代交代の時期が来ることを意識して、過去から未来へと続く歴史の中で、今に生きている自分たちが御先祖様のつながりを子孫へ引き継がれるように努力していました。

先代も義父も帰幽するまでに引退し子孫へ引き継がれたことで安堵感があったと思います。私も同様に長男へと、ご先祖から預かったお宮を子孫に引き継がれて行くことに努力しています。

パソコン携帯電話が一家に何台もあり、インターネットを通じて世界中の新しい情報が入ってくる時代に「古くて新しいものであり、新しくて古いもの」を考えると、神宮の20年に一度の式年遷宮の「常若」の精神が「どのようにお宮をお守り続けるか」を反映しているようにみえます。

当社は時代の流れで社殿・社務所が鉄筋コンリート造の近代的な建物になっています。社務所の中では3台のパソコンで社務を行っています。神職との連絡もメールが行っています。変はりゆく中にあっても変はらないことは毎日、朝拝・夕拝を執り行っていることです。祈りや感謝の祝詞は何も変わっていません。祓詞も大祓詞もご先祖から伝承されたものを奏上しています。

 昨日の2月28日は大阪府神社庁の御神殿で「神宮大麻頒布終了祭」が執行されました。平成28年11月2日の「神宮大麻頒布始祭」と同様に今回も斎主としてご奉仕させていただきました。顧みれば、先代も斎主としてご奉仕していまた。祭員の神職も父親が祖父が過去に何度もご奉仕しています。

生命は永遠ではありません。しかし生命は受け継がれて循環します。永遠性です。変わり行く世の中にあっても変わらずに、神宮さまへの祈りや感謝を受け継いで行ける「常若」の精神がしっかりと神社界及び神職には根付しているのだと思いました。




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両首脳のゴルフについて

両首脳のゴルフについて
記憶は定かではないのですが私が皇學館大学の学生の頃、今から49年前お話しです。昭和44年6月頃だと思います。当時の皇學館大学第2代総長は安倍総理の祖父で岸信介元総理大臣が講演されました。演題は確か「青年学徒に告ぐ」だったと思います。

講演終了後、選抜された学生との対談の場がありました。その時に、先輩が「岸先生の趣味は何ですか」と質問されました。そのとき岸先生は即座にゴルフと言われました。そしてその後、学生を前にして岸先生は第34代大統領のドワイト・アイゼンハワーとゴルフをされたことを語られました。昭和40年初頭、ゴルフを趣味にされるお方は少なく、リッチに見えた時代です。今や普通のサラリーマンでもゴルフができるようになりました。

因みに私はゴルフはしません。理由は少林寺拳法3段で武道家を自認しているからです。

今回、安倍晋三首相は2月9日、第45代トランプ米大統領と初めての首脳会談を行うため、米ワシントンに向け政府専用機で羽田空港を出発されました。ホワイトハウスで日米首脳会談を行ったあと、トランプ米大統領の別荘がある南部フロリダ州で安倍総理大臣とゴルフを行うことになっています。

ところで私はトランプ大統領が「米国第一」を打ち出して実行するならば、我が国は戦後、骨の髄まで染み込んだ「アメリカ依存」という病状から脱却すべきチャンスだと思います。世界中で有り得ない憲法九条に由来する「非武装にすればするほど安全だ」という発想の転換を図るべきチャンスです。

トランプ大統領が「米国第一」を実行するならば我が国も戦後体制から脱却し、国家と国民は独立自尊の体制、つまり、自力で国家の存立を確保する体制を確立しなければなりません。私は戦後体制とは、アメリカが日本を守るという日米安保の架空の前提のもとに成り立っていると思っています。その戦後体制を、構築しているものが「日本国憲法」だということです。

トランプ大統領が内向きの政治体制を確立すれば、トランプ大統領が如何なる人物がなろうとも、我が国は国益と繁栄、存続を確保しうる体制を構築すべきです。祖父の岸信介先生とアイゼンハワー大統領もお互いが国益を守るためのゴルフだったと思います。今回の両国の指導者のゴルフが歴史を動かすことになることを期待します。



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今日は「節分」です。

今日は「節分」です。
今日は「節分」です。「節分」という言葉を説明しますと、古くは「せちわかれ」と称していました。元々1年に4回訪れる大きな季節の変わり目がありました。立春、立夏、立秋、立冬と言います。それぞれの前日を意味する言葉が「節分」でした。つまり1年に4回「節分」があったことになります。それが、やがて1年で最初に訪れる、大きな季節の変わり目であった、立春の前日だけを指す言葉へと変化していったのです。

大阪では「節分」のことを「年越し」と言います。それは前述しましたように「節分」といえば、一般的に立春の前の日を示す言葉です。立春を新年とすると、「節分」は大晦日にあたります。そのため、現在でも大阪市のはずれの鶴見では今でも「節分」のことを「年越し」といっております。

日本国中の家庭では、「鬼は外、福は内」と叫びながら、煎った大豆を家の内外に撒まきます。この豆撒きは、家から邪気を追い出して災厄を祓い、福つまり幸福を呼び込むために行われます。これは宮中行事の追儺(ついな)と寺社が邪気を祓うために節分に行っていた豆打ちの儀式が合わさったものといわれています。

豆撒きの大晦日の晩から元日の朝にかけて、氏神さまのもとに籠る習慣 がありました。 .「豆」は「魔滅」に通じ、また鬼の目の魔目(まめ)にめがけて豆を投げれば「魔滅」するという意味があると考えられています。また鬼を追い出すために鬼が嫌う柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、炒った大豆を年の数だけ食べるなどの風習も現代まで続いています。

当社の氏子地域では家庭で豆撒きをして年の数だけ大豆を半紙に包み神さまに奉納する風習があります。また当社では「節分」のときに厄年の御祓をする風習があります。それも午後6時ごろから午後9時までにお祓いを受けるというものです。これは前述しましたように氏子地域では「節分」は「年越し」と呼んでいます。立春を新年とすると、2月3日の「節分」は大晦日にあたります。家族全員が大晦日の晩から元日の朝にかけて、氏神さまに参拝する習慣があったからです。

もう一つ氏子地域では重ね厄年と言うのがあります。これは男女とも数え66歳・77歳・88歳・99歳になられたら健康に留意し、益々の長寿を祈願するお祓いです。





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