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13年前に起きたことの国会答弁

13年前に起きたことの国会答弁
買い物しようと氏子地域にあるイオンモール鶴見店まで出かけたら、肝心な物を買うのを忘れてしまったことがあります。携帯電話の置き忘れは常にありますが、発進すれば音で置き場所が分かります。常に老眼鏡は忘れ物になっています。これでも若い頃は友人の電話番号を100人程度記憶していました。今はすべて忘れてしまっています。

地下鉄に乗りますと車中で「宮参りのときに子供がお世話になりました」「地鎮祭のときにはお世話になりました」と氏子さんに言われるときがありますが、ほとんど記憶に残っていません。40年間、教師をしていますが教え子の名前はほとんど覚えていません。顔も記憶にありません。

昔の親友との思い出やそのときの会話は驚かれるくらい覚えています。興味が無かったり、思い出す必要が無い事柄は、思い出せないのは当たり前だと思います。ましてや今から13年前の出来事など記憶にありません。

2004年の民事訴訟に夫の代わりに原告側代理人として出廷したことなど記憶になくて当たり前だと思います。稲田防衛相は3月14日午前の参院予算委員会理事会で、学校法人「森友学園」が起こした民事訴訟の口頭弁論に原告側代理人として出廷したことを認め、学園の裁判に関わったことはないとする国会答弁を撤回し、謝罪する考えを自民党理事を通じて各党に伝えました。

今年は2017年です。今から13年も前の事です。そんな古いことまで覚えていないでしょう。しかも稲田防衛相は、当時は弁護士であり国会議員ではありません。しかも何でこんな事が問題になるのか?不思議でなりません。森友学園に関する問題はマスコミ、間違いましたマスゴミと野党は鬼のクビでも取ったかのような大騒ぎです。
 
    虚偽発言で稲田は辞職だ!安倍総理は任命責任があるから辞職せよ!

13年前の事を今起きているかのような報道し、国会は国会でそれを取り上げて責任論と結びつけるなど、本当に程度が悪すぎるとしかいいようがない、と思います。

ところで私は、13年前に大阪府神社庁渉外委員長として大阪地裁で民事訴訟の靖国神社訴訟に被告側に出席したということですが記憶にありません。








 

 


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古くて新しいもの、新しくてふるいもの

古くて新しいもの、新しくてふるいもの
47年前のお話しです。私が皇學館大学文学部国史学科の学生の頃、「神道概論」など神道に関することは谷省吾先生から学びました。伊勢市古市にあるご自宅にも何度か伺いし神道に関することを教えていただきました。

 伊勢神道(度会神道)の根幹である『神道五部書』(しんとうごうぶしょ)の一つで『倭姫命世記』(やまとひめのみことせいき)があります。記載されている有名な言葉があります。『倭姫命世記』は建治・弘安(1275-1288年)の頃、豊受大神宮(外宮)の神職、渡会行忠(わたらいゆきただ)の撰になったものとも言われています。その中の下記の言葉を谷先生から教わりました。

件(くだん)の童女(おとめ)宇太(うだ)の大采禰奈(おほうねな)を大物忌(おおものいみ)と定め給(たま)ひて、天磐戸(あめのいわど)の鑰(かぎ)を預(あずか)り賜(たま)はりて黒心無(きたなきこころな)くして、丹心(あかきこころ)もちて、清く潔(いさぎよ)く斎(ゆま)はり慎(つつし)み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り、右に廻(めぐ)る事も、万事(よろづのこと)違(たが)ふ事なくして、大神に仕え奉れ。元(はじめ)を元(はじめ)とし、本(もと)を本(もと)とする故(ゆえ)なり。

解釈しますと、神さまに仕える時には左に置くものは右に置かず、左に置くものは左に置き、不自然なことをしない、と説いています。「左左右右(ささうう)」と言う自然なことを行い、不自然なことはしない、伝承させていることを行いなさいと説いています。

 また「元を元とし、本を本」、略して「元元本本」は、人々の「いのち」は、神々につながる「いのち」であり、そのことから常に自覚しなさい。その「根元」から「いのち」の出発があり、民族も国家も文化も神々からいただき成り立っているので、神々をまつり、神々に祈ることを受け伝えなさい、と『倭姫命世記』は教えています。

 谷先生は、「変化が激しい時代の中で、変化をしないものを探し続けなさい。神道は古くて新しいものであり、新しくて古いものである。神宮の式年遷宮も常若の思想である」と教えてもらいました。

 皇大卒業後、神社に奉職し、夜間に東洋医学系の専門学校に通い、柔道整復師・鍼灸師の国家資格を取得しました。東洋医学を学ぶ動機は「古くて新しいものであり、新しくて古いもの」であることが神道と共通していたからです。

神職でありながら中医学を学ぶために社会主義が徹底していた時代の中国に留学もしました。気がつけば神職でありながら柔道整復師・鍼灸師の専門学校と大学を有する学校法人森ノ宮医療学園の教員や理事となっていました。年を重ねてもどこかに谷先生の言葉が頭にありました。

 ところで私が50歳前後までに先代宮司も義父宮司も帰幽しました。二人とも共通していることは、常に世代交代の時期を考えていました。それは「どのようにお宮をお守り続けるか」ということでした。二人とも「自分の代だけが運営できればよい」とは考えてはいませんでした。孫の代のことまで真剣に考えていました。

いつか世代交代の時期が来ることを意識して、過去から未来へと続く歴史の中で、今に生きている自分たちが御先祖様のつながりを子孫へ引き継がれるように努力していました。

先代も義父も帰幽するまでに引退し子孫へ引き継がれたことで安堵感があったと思います。私も同様に長男へと、ご先祖から預かったお宮を子孫に引き継がれて行くことに努力しています。

パソコンや携帯電話が一家に何台もあり、インターネットを通じて世界中の新しい情報が入ってくる時代に「古くて新しいものであり、新しくて古いもの」を考えると、神宮の20年に一度の式年遷宮の「常若」の精神が「どのようにお宮をお守り続けるか」を反映しているようにみえます。

当社は時代の流れで社殿・社務所が鉄筋コンリート造の近代的な建物になっています。社務所の中では3台のパソコンで社務を行っています。神職との連絡もメールが行っています。変はりゆく中にあっても変はらないことは毎日、朝拝・夕拝を執り行っていることです。祈りや感謝の祝詞は何も変わっていません。祓詞も大祓詞もご先祖から伝承されたものを奏上しています。

 昨日の2月28日は大阪府神社庁の御神殿で「神宮大麻頒布終了祭」が執行されました。平成28年11月2日の「神宮大麻頒布始祭」と同様に今回も斎主としてご奉仕させていただきました。顧みれば、先代も斎主としてご奉仕していまた。祭員の神職も父親が祖父が過去に何度もご奉仕しています。

生命は永遠ではありません。しかし生命は受け継がれて循環します。永遠性です。変わり行く世の中にあっても変わらずに、神宮さまへの祈りや感謝を受け継いで行ける「常若」の精神がしっかりと神社界及び神職には根付しているのだと思いました。




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両首脳のゴルフについて

両首脳のゴルフについて
記憶は定かではないのですが私が皇學館大学の学生の頃、今から49年前お話しです。昭和44年6月頃だと思います。当時の皇學館大学第2代総長は安倍総理の祖父で岸信介元総理大臣が講演されました。演題は確か「青年学徒に告ぐ」だったと思います。

講演終了後、選抜された学生との対談の場がありました。その時に、先輩が「岸先生の趣味は何ですか」と質問されました。そのとき岸先生は即座にゴルフと言われました。そしてその後、学生を前にして岸先生は第34代大統領のドワイト・アイゼンハワーとゴルフをされたことを語られました。昭和40年初頭、ゴルフを趣味にされるお方は少なく、リッチに見えた時代です。今や普通のサラリーマンでもゴルフができるようになりました。

因みに私はゴルフはしません。理由は少林寺拳法3段で武道家を自認しているからです。

今回、安倍晋三首相は2月9日、第45代トランプ米大統領と初めての首脳会談を行うため、米ワシントンに向け政府専用機で羽田空港を出発されました。ホワイトハウスで日米首脳会談を行ったあと、トランプ米大統領の別荘がある南部フロリダ州で安倍総理大臣とゴルフを行うことになっています。

ところで私はトランプ大統領が「米国第一」を打ち出して実行するならば、我が国は戦後、骨の髄まで染み込んだ「アメリカ依存」という病状から脱却すべきチャンスだと思います。世界中で有り得ない憲法九条に由来する「非武装にすればするほど安全だ」という発想の転換を図るべきチャンスです。

トランプ大統領が「米国第一」を実行するならば我が国も戦後体制から脱却し、国家と国民は独立自尊の体制、つまり、自力で国家の存立を確保する体制を確立しなければなりません。私は戦後体制とは、アメリカが日本を守るという日米安保の架空の前提のもとに成り立っていると思っています。その戦後体制を、構築しているものが「日本国憲法」だということです。

トランプ大統領が内向きの政治体制を確立すれば、トランプ大統領が如何なる人物がなろうとも、我が国は国益と繁栄、存続を確保しうる体制を構築すべきです。祖父の岸信介先生とアイゼンハワー大統領もお互いが国益を守るためのゴルフだったと思います。今回の両国の指導者のゴルフが歴史を動かすことになることを期待します。



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今日は「節分」です。

今日は「節分」です。
今日は「節分」です。「節分」という言葉を説明しますと、古くは「せちわかれ」と称していました。元々1年に4回訪れる大きな季節の変わり目がありました。立春、立夏、立秋、立冬と言います。それぞれの前日を意味する言葉が「節分」でした。つまり1年に4回「節分」があったことになります。それが、やがて1年で最初に訪れる、大きな季節の変わり目であった、立春の前日だけを指す言葉へと変化していったのです。

大阪では「節分」のことを「年越し」と言います。それは前述しましたように「節分」といえば、一般的に立春の前の日を示す言葉です。立春を新年とすると、「節分」は大晦日にあたります。そのため、現在でも大阪市のはずれの鶴見では今でも「節分」のことを「年越し」といっております。

日本国中の家庭では、「鬼は外、福は内」と叫びながら、煎った大豆を家の内外に撒まきます。この豆撒きは、家から邪気を追い出して災厄を祓い、福つまり幸福を呼び込むために行われます。これは宮中行事の追儺(ついな)と寺社が邪気を祓うために節分に行っていた豆打ちの儀式が合わさったものといわれています。

豆撒きの大晦日の晩から元日の朝にかけて、氏神さまのもとに籠る習慣 がありました。 .「豆」は「魔滅」に通じ、また鬼の目の魔目(まめ)にめがけて豆を投げれば「魔滅」するという意味があると考えられています。また鬼を追い出すために鬼が嫌う柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、炒った大豆を年の数だけ食べるなどの風習も現代まで続いています。

当社の氏子地域では家庭で豆撒きをして年の数だけ大豆を半紙に包み神さまに奉納する風習があります。また当社では「節分」のときに厄年の御祓をする風習があります。それも午後6時ごろから午後9時までにお祓いを受けるというものです。これは前述しましたように氏子地域では「節分」は「年越し」と呼んでいます。立春を新年とすると、2月3日の「節分」は大晦日にあたります。家族全員が大晦日の晩から元日の朝にかけて、氏神さまに参拝する習慣があったからです。

もう一つ氏子地域では重ね厄年と言うのがあります。これは男女とも数え66歳・77歳・88歳・99歳になられたら健康に留意し、益々の長寿を祈願するお祓いです。





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ようやく1月が終わりました。

ようやく1月が終わりました。

 ようやく忙しかった一月も終わり2月に入りました。今年の正月三が日は、天候に恵まれ初詣参拝者数は、ほぼ例年通りと思われます。正月三が日、例年にはない朱印希望者の増加がありました。神社参拝の証としての朱印があると思うのですが、最近の現状をみれば「朱印集め」が主たる目的となっているように思えてなりません。当社において拝礼も行わず朱印集めの行為のみに来社された事例も多くあります。朱印帳集めの趣味だとしか考えられません。

 そのようなお方には神さまに対しての畏敬の念を感じ取ることはできません。しかし朱印帳を機会にして当社との関係が深まり、昇殿参拝や神棚の奉斎もされている事例もあります。

また正月飾りについての問題もあります。飾り付けを取り外し「どんと」「左義長」などと呼ばれる行事を通じて「お焚き上げ」が行われてきた歴史があります。当社でも30年前には「お焚き上げ」を行っていたのですが、宅地化や高層住宅の増加により防災上の問題から「お焚き上げ」が困難となり中止しました。
 
 さらにモラルの問題もありました。正月飾り以外に「鏡餅」「干し柿」「みかん」「年賀状」「結納品」「弔電」「人形」等を「どんと」に持ち込まれました。そのこともあり30年前に中止となりました。

参拝のマナーについては若年層、ネット世代は比較的マナーは良いと思います。毎年のことなのですがお正月と言うこともあり、今年はお酒を飲んで酔っ払って参拝に来られトラブルを起こす中年世代の男性が少なかったと思います。

初詣をはじめとする正月行事は神社への関心を高める機会です。宮司として、そのなかで垣間見られる変化を見過ごすのではなく、細かな事象をいかに認識し、どのやうな手段を講じて夏祭・秋祭、そして来年のお正月を臨むのかを考えています。

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旧正月に参拝された2名の剣士

旧正月に参拝された2名の剣士
本日、旧正月です。早朝から神殿において旧正月の祝詞を奏上しお祀りを執り行いました。以前、兼務していた大阪府下の神社では旧正月元旦を迎えるに際して、旧暦の大晦日に斎戒沐浴して午後10時ごろから「おこもり神事」を行いました。午前零時に「招神祭」を執行し神殿で「天照大御神」を三度叫んで歳神様をお迎えし、新しき年を氏子さんの家族が幸福と健康でありますようにと祈念していました。

 旧正月、中国で言えば春節は、本来の正月です。明治維新前の日本では旧正月で新年を迎えていました。明治維新後、政府が「太陰暦」を「太陽暦」に変えてから、現代の正月になりました。

 ところで鶴見神社の敬神婦人会は明日の旧暦の正月二日(新暦で1月29日)、今年の恵方、北北西に御鎮座されている京都府亀岡市の元出雲大神宮へバス2台で初詣に行きます。

旧正月の本日土曜日ということもあり、今年厄年になられた方々が早朝より御祈祷に来られました。また午後2時には子供さん対象のイベントグループ「月華」の2名の剣士が平成29年度の安全祈願の御祈祷に来られました。

男の剣士は「三日月」、女の剣士は「月読み」といいます。男女2名の剣士が子供たちに夢と希望を与えられることと自分たちの安全と元気で子供たちの前で演技ができますようにと祈念されました。
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歯固めの石の風習

歯固めの石の風習
お食い初め(おくいぞめ)とは、新生児の生後100日目に行われる儀式です。お食い初めはこの子が一生、食べ物に困らないようにという両親が願いをこめて行われる儀式です。
当社の氏子地域では「はし初め」の祝いともいわれています。 

赤ちゃんには、ただ食べさせるまねをするだけですが、赤ちゃんの長寿にあやかるために祖父母のなかでもっとも長寿の人に頼んでいました。核家族が進んでお父さんがする場合もあります。赤ちゃんはこのとき母親が抱いてやります。
 
食い初めの料理は、昔のしきたりでは、本膳は一汁三菜といってご飯を山盛りにしました。
最近では、赤飯に尾頭つきの鯛と離乳食中心の献立でもあるようです。

次に歯固めの儀式がありますがとても簡単です。「歯固めの石」に、お箸を軽くちょんちょんとあてます。そのお箸を、「石のように丈夫な歯になりますように」という願いを込めながら、赤ちゃんの歯茎にやさしく、ちょんちょんとあてるだけです。石を赤ちゃんの歯茎に直接あてることは致しません。誤飲のおそれがあるのでしてはいけません。

当社の氏子地域では石ではなく硬くなった小さな丸餅を使います。「歯固めの丸餅」なのです。「硬い丸餅でも噛める丈夫な歯になりますように。食料にこまらないように」という願いを込めます。

 郷土の風習を知らないお母さんたちが1ヶ月に数回、「歯固めの石」を貸して下さい、と当社に来られます。この周辺では「歯固めの石」ではなく「歯固めの丸餅」と一応に説明しています。しかし両親や祖父母がインターネットで検索されていますのでメジャーな「歯固めの石」をかりられます。

また当社ではお宮まいりのお下がりで差し上げた「お食い初め招福御箸」で歯固めの儀式でお使い戴ければ、無病息災、健やかな成長が叶うとされています。両親も健康の源である歯がいつまでも赤ちゃんが健康であるよう祈念して使用されています。

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「比翼の鳥、連理の枝」は夫婦円満を意味する。

「比翼の鳥、連理の枝」は夫婦円満を意味する。
平成29年・皇紀2677年は丁酉の年です。「酉年」ですので鳥に関するお話しをします。「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」。これは、中国唐代の詩人白居易(白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な漢詩の一節です。安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝と楊貴妃の愛のエピソードを歌ったものです。

「比翼の鳥」は、一眼一翼(一説には、雄が左眼左翼で、雌が右眼右翼)の伝説上の鳥です。地上ではそれぞれに歩きくますが、空を飛ぶ時はペアになって助け合わなければならなりません。このことから、後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」に譬えるようになったと言われています。

 一方、「連理の枝」は、東晋(317-420年)に著された小説集「捜神記」(そうじんき・干宝が著した小説集)のある説話に由来してます。「連理の枝」は並んで生えている二本の木が、枝の部分で一つに繋がっているという伝説上の樹木のことです。

戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)と夫人の何氏はとても仲の良い夫婦でした 
。当時の宋の国王、康王は酒色におぼれ暴君として有名でした。康王は美貌の才媛何氏を気に入り自分の女性にしょうとして韓凭を監禁してしまうのでした。そして何氏は康王と出かける際に高台から飛び降り自殺し、夫の韓凭も跡を追うように自らの生命を絶ったのでした。

愛し合っていた夫婦を死に追いやった康王は激怒し、この二人を同じお墓には入れず別々に埋葬したのです。それから数日後、それぞれの墓から木が生えてきて、枝が互いに結び根もつながってからみついたました。そして、その木の上ではつがいの鳥が何とも物悲しい声でさえずりあっていた、ということでした。

 当社の境内に「連理の木」と呼ばれいる「夫婦楠」があります。樹齢数百年の2本の楠木が2メートル間隔で植えられているのですが、長い年月の間に根っこが地中深く絡み合ってしまいました。一つの根っこで2本の楠木が生きている状態です。地上で2本の楠木の枝も連なり手をつないでいるように見えます。そのことから「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として信仰の対象ともなっています。2本の楠木も大阪市指定の保存樹になっています。

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やっと落ち着きました。

やっと落ち着きました。

今年も残すところ僅かとなりました。12月は師走と言われるように「稲蓬莱」を各企業や家庭に配布する忙しい日が続きました。やっと落ち着きました。そもそも、師走にはどのような意味があるのでしょうか。

師走の語源には諸説があり、正確にはわかっていません。師(僧)が走る説が面白いです。
僧とはお寺のお坊さんのことです。日本には昔から年末になるとお坊さんに自宅まで来てもらい、お経を唱えてもらう風習があります。そのため、お坊さんは年末になりますとあちこちの檀家を回り東西を行ったり来たりと大忙しになります。その様子を見て「師が馳せる」から師走になったという説です。

当社の氏子地域である鶴見・緑地区に「宮司」が着物姿で自転車に乗り「稲蓬莱」を配布する姿で、氏子さんは「もうお正月がくるんやなあ」と実感しています。氏子地域では「司が馳せる」ので師走ということになります。

今年の12月は何かと忙しく疲れてブログの更新もできなかったのです。それと言うのも11月からフル回転で今日まできましたので、おもしろいブログのネタがなかったのです。何か面白いことがあったとしてもそれに気が付く余裕がなかったというほうが正しいのです。

ところで「忙」を「説文解字」で見ますと形声文字、立心偏(心)+亡。つまり「忙」の字は音符の亡は、ないの意味です。おちついた心がない、ということです。心を亡くした状態で、つねに何かに追われ、感じる時間、考える時間がなく心を亡くした状態を指しています。

 さらに、「忙」を分解した「亡」と「心」を縦につなぐと「忘」になります。忙しすぎると鍵やメガネ、携帯電話等の忘れものをしてしまいます。そのことから忙しいときほどお茶などを飲んで「ゆとり」を持つことです。

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今日は11月25日です。

今日は11月25日です。
今日は11月25日です。私はこの時期になりますと涙もろく、うつ状態になります。それと言うのも昭和45年11月25日、自決された三島由紀夫先生と森田必勝さんの命日になるからです。自衛隊市ヶ谷駐屯地での自決から今年で46年も迎えます。

今年で私は66歳になります。先生と森田さんの無念を改めて思い起こし、それに報いるべく精進しようと誓うのが私の思う慰霊祭です。亡くなった三浦重周(前三島研究会事務局長)から「憂国忌」の神事の斎主の要請が度々あったのですが、文士三島由紀夫先生の追悼式の色が濃く、著名な文士や政財界の出席も多く三島ファンの集いのようでした。先生の「作家三島由紀夫に興味のある人間はいらない」という言葉がよぎります。

私の中では楯の会事件ではなく森田事件なのです。そのことから25歳で若き命を絶った森田さんに対する思いが強くあり、昭和45年当時一緒に活動した楯の会メンバーなどで執行されている「野分祭」の方が出席しやすいのです。また民族派の学生として活動していた仲間とも会えます。しかし、今だに十字架を背負っており、なかなか出席できないのです。

昔の仲間もそれぞれ悩んで今まで生きてきた、と思います。毎日悩んでいるわけではないが、何かの拍子にずっしり重くのしかかってくるのです。今でも森田さんや先生のことを思い出すと涙が流れてくるのです。バルコニーでヤジられている先生の顔や森田さんの無念さが伝わってくるのです。

この46年間、森田さんの死の意味は意義は何だったのか、問い詰めた人生でした。森田さんの笑顔を浮かべると落涙を禁じ得ません。


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