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紀元節に思う。

紀元節に思う。
「皇暦」は、神武天皇即位の年を元年と定めた日本の紀元で、皇紀元年は、西暦を660年遡る西暦紀元前660年(660 BC)にあたります。明治5年(1872)に、「太政官布告第342号」により制定され、「神武天皇即位紀元ん」といい、通称は皇紀、皇暦、神武暦、神武紀元などともいわれます。今年、平成25年は皇紀2673年に当ります。

神武天皇が即位したとされる旧暦1月1日は、現在の暦では2月11日にあたり、1873年(明治6年)に、2月11日を「紀元節」の名称で日本国が建国した日として休日と定められました。私は「建国記念日」とは言わず「紀元節」と呼んでいます。本日、午前8時には御殿で「紀元祭」を執り行っています。祝詞の奏上もしますが、教育勅語を読み上げます。

明治24年(1891)には小学校祝日大祭儀式規程(明治24年6月17日文部省令第4号)が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読からなる儀式が小学校で行われました。

ところが、昭和20年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾して敗戦が決定しました。戦後の日本は、敗戦によって、日本の素晴らしい所も悪い所も一緒くたにして無くしてしまったように思います。日本の占領政策を主導した連合国軍総司令部(GHQ)の占領方針の基本は、アメリカの国務・陸軍・海軍の三省が合同で作成した『日本降伏後における米国の初期の対日方針』が歴史的事実として明らかになっているように、その目的は「日本国が再び米国の脅威とならざることを確実にする」ために「日本人の精神を弱体化させること」にありました。

学校教育で「国史」「修身」「地理」の授業を禁止したのもそのためです。「国史」「修身」の禁止は、日本人から日本人の誇りと自覚を奪うことが、精神的弱体化のために必要不可欠であると考えた結果でした。もう一つGHQの功罪は「教育委員会」の設立もあります。

こうして占領軍GHQによって紀元節は廃止されてしまったのです。昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効して日本は主権を回復しました。その直後から紀元節の復活運動は起こりました。そのような中で、「建国記念日」を祝日とする法案は6回も提出されたが、すべて廃案になりました。しかし昭和41年になって、ようやく「改正祝日法」が制定され、「紀元節」は「建国記念日」として、ようやく復活したのです。

紀元節から建国記念日と名称は変わりましたが、「改正祝日法」には、建国記念日の意義を、「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定しているように、日本の紀元に想いを馳せ、神話を思い古代昔々に愛着を感じることは、国を愛する心に繋がるような気がします。

混沌としていた日本を秩序で初めて治めた神武天皇さまのご功績と、そして2673年という長い長い歴史の間、
現在の日本国に至るまで、先人たちはその時々を生きて日本国の発展と国民の幸福のためにに力を注いでこられました。そのご労苦に感謝申し上げるのが紀元節の意義だと思います。また先人たちにあやかって、今生きている日本人は国の繁栄と国民の幸福のために努力しなければならないと思います。














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